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武藤敬司が語る馳浩&蝶野正洋【スーパースター烈伝#9・最終回】

九スポ(九州スポーツ)でしか紙面掲載されなかった好評企画がnoteで復活! プロレスリングマスター・武藤敬司にとって石川県知事となった馳浩は同世代でIWGPタッグ王座も獲得した元相棒だけにエピソードは枚挙にいとまがありません。そしてラストを飾るのは、黒いカリスマこと蝶野正洋。天才が黒いカリスマを徹底分析。驚きの「引退試合構想」をぶち上げました。(運動二部・前田聡)

WCWの大会に出場するためセントルイスを訪れた馳浩、武藤敬司、蝶野正洋(91年6月)

バックドロップで心肺停止して、三途の川と花畑を見たらしい

 馳先生は最初ジャパンプロレスでキャリアをスタートしてるんだよな。そこから(新日本プロレスに)流れてきて、やっぱり最初はライバル心みたいなものを抱いたわけだよ。レスリングで五輪に行って、いかにも「長州力のジャパン」という感じで、黒いタイツにレスリングシューズ。男くさい雰囲気だったんだよな。俺は今でもそっちの方が好きなんだけど。

ジャパンプロレス入りした馳浩、長州力(右)と谷津嘉章と(85年8月、専修大)

 それが(1990年6月の福岡大会で)後藤達俊のバックドロップを食らって(心肺停止して)からだな。本人いわく、三途の川と花畑を見たらしい。それで戻ってきたら何か人が変わっちゃって、パンツも黄色になってパフォーマンスもするようになったんだよ。そのキャラになってからはタッグを組むことが増えて(91年11月にはIWGP)タッグのベルトも取ってね。

馳浩が失神事件を起こした福岡大会、左から後藤達俊とヒロ斎藤(90年6月、福岡)
IWGPタッグ王座を獲得した武藤と馳浩(91年1月、日本武道館)

 だから対戦相手というよりはパートナーとしての方が印象は強いな。組んでるうちにライバルていうより気心が知れちゃって、巡業でもいつも一緒に飯を食うようになったね。UWFと違って、ジャパンは新日本とそんなに思想に差がないじゃん。それで同年代としてやって行く中で「上をぶち破らないといけない」っていう目標が共通していたからね。

米国で勃発!ファッション泥棒事件

 アメリカにも一緒に行ったなぁ。そういやあの時、俺がカッコいいシャツ買ったら、馳が後日、同じ店で同じシャツ買ってきてさ。〝ファッション泥棒〟されたんだ。まいったよ…。

参院選に出馬したアントニオ猪木の出陣式、手前が馳浩(89年7月、芝公園)

 95年に国会議員に立候補するって聞いた時はびっくりした。本当に受かるのかなって。ただ(アントニオ)猪木さんの選挙で馳先生は付き人のように鞄持ちをしてた。だからそこで政治っていう物に少し触れて興味を持ったのかなって思った。俺は海外に行ったりしてて、ほとんど選挙の手伝いはしていない。いい形で逃げられたんだ(笑い)。あ、でも投票は行ったよ。もちろん「アントニオ猪木」って書いた(笑い)。

馳浩の当選リボンをつける小泉純一郎元首相(05年9月、自民党本部)

 で、当選したら半ば強制的に引退っぽくさせられたんだ。誰の意向かは分からないけど、当時二足のわらじをよしとしない雰囲気で「引退しろ」みたいな感じだった。でも先生はプロレスがしたいから全日本に行っちゃった。

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