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スピードスケート500m〝30秒台の世界〟は「無限の学びが含まれていて、果てしなく追求できる時間」

〝氷上の哲学者〟がリンクを去った――。スピードスケート担当として取材できたのはわずか1年あまり。ただ、記者人生の中でもかなり濃い時間を過ごさせてもらった。(運動2部・中西崇太)

引退会見を行った小平奈緒(22年10月27日、パレスホテル東京)

鳥肌を超えた現役ラストレース

 W杯の五輪個人種目で日本人歴代最多に並ぶ通算34勝を挙げ、五輪でも2018年平昌大会女子500メートルでの金を含む3つのメダルを獲得した小平奈緒氏が、先月22日に現役ラストレースを迎えた。選んだ舞台は「最後に自分のスケートを表現するのは、地元の信州」との思いから、長野で開催された全日本距離別選手権だった。

 得意の500メートル1本に全てをかけた小平氏は、37秒49の好タイムをマークし、8年連続13度目の優勝。満員の観客の前で有終の美を飾った。ゴール後には「五輪でメダルを取ったときよりも、世界記録に挑戦した時よりも、ずっと私にとって価値のあるものだったなと感じた。人生で初めて鳥肌が立ったのが(1998年)長野五輪だったが、鳥肌を超えて、心が震えて飛び出てきそうな感じだった」と目を赤くしながら振り返った。

ラストレースを終えた小平奈緒(22年10月、長野エムウェーブ)

 スケートに出会って約33年。周囲からの期待の声は、当然小平氏の耳にも届いていたはずだ。だが、小平氏は〝唯一無二の自己表現〟を追い求め続けた。「順位や記録という目標はあったが、それは1つの手段に過ぎない」。500メートルであれば、約30秒で勝敗が決まる世界。その中で自分ができることは何かを考えた。「無限の学びが含まれていて、果てしなく追求できる時間。内からの好奇心をかき立ててくれる」。理想の滑りとは――。どうしたらもっと速くなれるのか――。誰よりも純粋な思いでスケートと向き合ってきた。

現役引退でようやく小麦解禁!食へのこだわり

 たった1年という短い時間とはいえ、取材を重ねる上でさまざまな〝こだわり〟を目の当たりにしてきた。数を挙げればキリはないが〝食〟に対する意識の高さが印象的だった。小平氏を知る関係者は「よく自分で食事を作っているのですが、びっくりしたのは(乳酸菌など)微生物の領域まで調べていたこと。普通の人じゃ想像つかないですよね。例えば今は違いますけど、昔は飲む水一つでもこだわっていましたね」と回想。当の小平氏も先月27日の引退会見で「小麦は腸内の環境が私の体質に合わなかった部分があるので、アレルギーとかではないが、競技にベストな体調を持っていくという意味で少し避けていた」と話すなど、人一倍気を遣っていた。

引退セレモニーでファンの声援に応える小平

 食事のリズムも決して崩すことはなかった。ある関係者は「現役時代はチームの関係者以外と食事に行かなかったですね。自分の食事のリズムを崩されるのが嫌なので」と証言。それを知る周囲の関係者たちは、現役時代に小平氏を食事に誘うことはなかった。アスリートは体が資本。それを理解しているからこそ、徹底的に自分の体と相談をしてきたのだろう。

 ちなみに現役生活を終え、すでに小麦は解禁。「実家に一瞬だけ帰って、母親といろりを囲んで長野のおやきを食べました。今まで小麦やパンを食べてこなかったので、家族と食卓を囲むっていうその時間も含めてすごく心に栄養が行きわたった」と笑みを浮かべた。ただ、関係者からの「ラーメンを食べよう」との誘いには「ちょっといきなりは無理です」と苦笑いを浮かべているという。

 実力は今も健在で、信州大進学後の2005年から指導を受ける結城匡啓コーチが「10年先まで現役でできるな」と太鼓判を押すほど。それでも、小平氏は「長い人生を考えたときにスケートだけで人生を終わりたくない。自分の実力で物事を考えるよりは、人生を彩り豊かにしたいとの思いがある」と、新たなステージに足を踏み入れる決断を下した。

信州大の特任教授に就任

 今後は今月1日付で母校・信州大の特任教授に就任し、講演活動などと並行しながら、来年1月から1年生を対象に健康科学やキャリア形成の講義を担当する。「もともと学校の先生になりたくて信州大の教育学部に入学したので、特任教授の話をいただいた時にはまさか大学の先生になるとは思っていなかった」と率直な気持ちを吐露しながらも、自らの経験は惜しみなく伝えていく覚悟だ。「私自身がキャリアを自分で選択して切り開いてきたように、学生たちもいろんな視点を持って自分たちの生きたい世界を切り開いてくれるといいな」と展望を語った。

引退会見でスタートの構えを見せた小平

 最後に小平氏の引退セレモニーで〝らしさ〟を感じた言葉を紹介したい。

「歩みを止めたらそこで終わってしまう。私の歩みはまだまだこれからも続きます」

 どんなときも〝学び〟を大切に、己の世界を築き上げた。次はいったいどんな輝きを見せてくれるのか。小平氏から得た〝学び〟を胸に、私もまだ知らない景色を追い求めていきたい。


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