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ツチノコ発見だけじゃ〝戦況〟は劇的に変わらない

 話題の新書、東浩紀氏の『訂正する力』を読みました。ChatGPTのような時事問題からヴィトゲンシュタインの言語ゲーム論までとにかく話題の幅が広く、その分だけいろいろな気づきがありました。東氏がこの本の中で、「訂正する力」とは過去と現在をつなぎ合わせる力であると提唱しています。東スポならこれをどのように活用していくことができるのでしょうか。


「良い記事を書けば売れる」の限界

 今に始まった話ではありませんが、新聞が売れません。売れないのに売れていると言ったら嘘になるので新聞業界のほとんどの人は「部数」という言葉を忘れたいと思っているくらいです(苦笑)。売れないと真っ先に上がるのが、「良い記事を書けば売れるんだ」という声なのですが、これがなかなか正しくてなかなか難しいのです。日本大学危機管理学部の西田亮介教授が昨年10月にこんなツイートをしています。

 ここで言われているペイウォールとはニュースサイトにアクセス制限を設け、料金を支払ったユーザーにのみ記事を閲覧させるという仕組みです。記事を無料で閲覧させる広告収益モデルより収益性は高くなりますが、有料ですので当然ページビュー(PV)は下がり、多くの人の目に触れる機会は減ります。そしてペイウォールを導入すると、たくさんの人に読まれる(PVが多い)記事よりも、たくさんの有料会員を獲得するきっかけとなった(コンバージョンが高い)記事のほうが優秀だと見なされる世界へと変わります。

 ところが、留意しなければいけないのは「PV数が高い記事=CVも高い」ではないという点です。

 たとえば東スポお得意の「ツチノコ発見か」(※紙面だと「か」は極端に小さい)というウェブ記事があったとしましょう。マジかよと思って思わず記事を読んでしまう人がいることで瞬間的にPVは伸びるでしょう。しかし、仮に本当にツチノコを発見していたとしても「東スポは世紀の大発見を報じたもっとも信頼できるメディアだ。よし、今日から定期購読だ」と課金ボタンをクリックする人はそんなに多くいないはずです。私の推測ではそれとこれとは別なのです。今日、東スポがツチノコを発見したとしても、数年以内にネッシーまで見つけるとは思えないし、淡すぎる期待だけで定期購読を続けるほど消費者は夢見がちだとも思えません。

東スポが東スポであるために

ここでちょっと東氏の視点を入れてみましょう。

じつは人間はコンテンツを消費するとき、その内容だけでなく、「それをつくったのはだれか」といった付加価値も同時に消費しています。それが、作家性です。…(中略)…そしてぼくは、良質なコンテンツが安価で無限につくられてしまうAI社会においては、あらためて本体と付加情報のずれが問われてくると思うのです。要は、作家性がますます大事になってくるということです。

東浩紀『訂正する力』(朝日新書、2023年、129p)

 ツチノコを発見したという中身だけでなく、東スポが報じたということも付加価値になっている。東スポには東スポの作家性があるはずで、私たちはこれを大事にしていかなくてはいけない。要はブランドを守るということにつながるのだと思いますが、これもまた一筋縄ではいかないものです。「東スポって何?」と問われて即答できるほど、単一な集団ではありません(し、単一でないからこそ東スポであるとも言えます)。

 SNSを見ていると、組織よりも人間に興味が集まっていることは明らかです。東スポ関連X(旧ツイッター)のフォロワー数を全部足しても30万人ちょっとですが、2ちゃんねる創設者のひろゆき氏のフォロワーは約248万人。ZOZO創業者の前澤友作氏にいたってはなんと約994万人で、もはや新聞の部数をも超えています。

 このような変化を、プロの業界の人間は軽視します、プロはコンテンツの質を重視するからです。小説家は大事なのはまず文章の質だと考えます。ミュージシャンは大事なのはまず音楽の質だと考えます。映像作家は大事なのはまず映像の質だと考えます。当然のことです。
 でも現実に消費者はそう動いていない。どう見ても質の低いコンテンツにどんどん金を払っている。(中略)
 これはどういうことなのか? もっと原理的に考えなければいけません。これからは多くのひとがこの問題に直面することになる。生成AIが普及することで、いい文章やいい音楽やいい映像をつくるほうが簡単になってしまうからです。プロの能力のほうがコモディティ化しつつあるからです。

東浩紀『訂正する力』(朝日新書、2023年、132~133p)

 とても耳が痛い指摘ですが、「良い記事を書けば売れるんだ」の一本鎗ではこの先やっていけないようです。東氏がひとつの可能性として示唆しているのは、「じつは……だった」という発見を生み出す空間との共存です。「東スポのこの記者はこんなことを書くんだ」「東スポってこんなに馬鹿げた記事があるのか」といった意外性の発見が〝商品〟になりうるということだと私は理解しました。

課題山積!やらなくてどうするっ!

 紙面もウェブも、この東スポnoteも音声メディアのVoicyも、東スポのYouTubeもTikTokも意外性を提供していくことができればきっと時代に合わせた成長ができるはずです。もちろん紙の売上がV字回復するほどの夢は見ていません。個人よりもブランド、組織としての作家性を維持することは難しいでしょう。そして、企業としての経営の安定性を突き詰めると、西田先生がツイッターで言っていたように新規事業(東スポ餃子とか)の開発も待ったなしと言わざるをえません。まさに圧倒的課題山積!!!!

新聞社は斜陽? いいや、ワンダーに満ちています。それくらいじゃないときっとやっていけないし、存分に「訂正する力」を発揮していかねばなりません。そして、じつは私はやる気に満ちていた…がこの話のオチですわ。(東スポnote編集長・森中航)


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