優勝候補・東海大相模を倒したら…女子高生が黄色い声援でお出迎え【定岡正二連載#7】
延長15回裏、213球目…最後の打者を空振り三振に打ち取った
いつ終わるかも分からない熱戦は、すでに延長15回を迎えようとしていた。あとになって聞いた話だが、1974年の夏の甲子園大会準々決勝・鹿児島実業VS東海大相模(神奈川)の試合は、NHKがあまりの試合の長さに中継を途中でやめてしまったところ「最後まで見せろ!」という視聴者の抗議が全国から殺到。慌てて中継再開になったそうだ。
試合は鹿実がリードを奪えば、土壇場で相模が追いつくという展開で進み、延長14回に1点を取り合って4―4。もちろん体力の限界などとうに過ぎてしまっている。ここまで来たら気力だけだ。ユニホームを泥だらけにした鹿実ナインは、とにかくわけの分からない大声を張り上げながら、何とか闘志をかきたてようとしていた。
そんなボクたちに決定的なチャンスがやってきた。運命の延長15回表。死球とボクのヒットで無死一、二塁とすると1番・松元の送りバントは三塁線へ。三塁を守る相模の原辰徳は一瞬「切れる」と判断したのだろう。しかし、この打球は三塁線ギリギリのところでピタリと止まり、慌てて拾った原はどこにも投げられずに内野安打になった。無死満塁――。苦しいのは相手投手の伊東義喜も同じだった。ここで2番の溝田が押し出しの四球を選び、鹿実は延長戦に入って2度目のリードを奪った。
結局、これが決勝点となった。「ストライク!」。最後の打者・山口を見逃し三振に打ち取った瞬間、ボクは駆け寄った捕手の尾堂に飛びつき、マウンド周辺にはまるで優勝したかのような歓喜の輪ができた。3時間38分にも及んだ長い長い激闘はようやく終わった。15回をひとりで投げ抜いたボクの投球数は213球。テレビにかじりついてボクたちの戦いを見守ってくれた地元・鹿児島の人たちは「錦江湾(鹿児島湾)の小船が軍艦を倒した!」と大騒ぎだったそうだ。
優勝候補の大本命・東海大相模を倒したことで、ボクたちを取り巻く環境は試合の前と後で劇的に変わった。宿舎に帰ると女子高生たちが黄色い声援で出迎えてくれ、お祝いの電話もじゃんじゃんかかってきた。こうなると鹿実への期待も跳ね上がる。何しろあと2つ勝てば鹿児島県勢初の全国制覇なのだ。もちろんボクたちもそのつもりだった。
準決勝の相手は山口代表の防府商。当日の朝を迎えたボクの体は当然、鉛のように重たかった。それでも体の疲れは周囲の大声援と、目の前にチラついた「全国制覇」という4文字が忘れさせてくれた。「今日も勝っど!」。鹿実ナインは勢い込んで甲子園球場へと乗り込んだ。
だがしかし…。準決勝で「甲子園の魔物」が用意していた「ドラマ」は、ボクたちが想像もできないものだった。
悪夢の準決勝
目を閉じれば「あの光景」がフラッシュバックのようによみがえる。1974年の夏の甲子園大会もいよいよ大詰め。準々決勝で優勝候補の大本命・東海大相模(神奈川)を延長15回の死闘の末に破ったボクたち鹿児島実業は、準決勝で山口代表の防府商と激突した。
何しろボクは、前日に15回を一人で投げ抜いている。肉体の限界を超え、気力だけで投げた反動が出ないわけがなかった。準決勝の朝を迎えたボクの体は、鉛のように重たかった。
マウンドに上がって第1球を投げた瞬間、がくぜんとした。いつもなら140キロは超えていたであろう直球が、120キロ出ていたかどうか…。それでも何とか1、2回をゼロに抑えると、3回表、鹿実に先制のチャンスが訪れた。
あの時のボクは確かにあせっていた。「何としても点が取りたい!」。今日の自分のボールなら、それこそ何点取られるか分からない。だから、無理をしてしまったんだと思う。二塁走者のボクは溝田のセンター前ヒットで三塁を蹴り、ホームへと突っ込んだ。重たい足を懸命に動かしながら、頭から本塁へと飛び込んだ――。
「やった! セーフだ!」。わずかに右手が早くホームに届いたような気がしたのだが…。次の瞬間、ボクの耳に飛び込んできたのは主審の「アウト!」のコール。一瞬、喜んだ分だけショックも大きかった。
だがその直後、それ以上のショックがボクを襲った。汚れたユニホームをはたこうとして手を動かすと、右手に激痛が走ったのだ。「しまった!」。どうやら本塁突入の際に右手を地面に強くぶつけてしまったらしい。みるみるうちに右手ははれ上がり…。それでもボクは気力だけで3回裏も投げた。だが、ボクの様子がおかしいのを久保克之監督が見逃すわけはなかった。「右手を見せてみろ!」。ベンチに戻ったボクがバツ悪そうに右手を見せると「すぐに医務室に行け!」。この瞬間、ボクの甲子園は終わった。
それでもボクの後を継いだ堂園一広はよく投げた。6回に1点を先制されたものの、7回に同点に追いつき、1―1で9回を迎えた。そしてあの悪夢の場面がやってくる。一死二塁で堂園の二塁けん制が低くそれて悪送球となり、ボールはセンターへ。これをセンターの森元峻がトンネルしてしまったのだ。
サヨナラエラー。野球の神様は何て残酷なことをするんだろう。森元とボクは同じクラスで、一番の仲良しだった。あいつはどんな気持ちで外野を転々としたボールを追いかけたのか…。そう思うと胸が締めつけられるような感覚に襲われる。スローモーションのようにボールを追う背番号8の後ろ姿が、今でも目に焼きついて離れない。
※この連載は2009年7月7日から10月2日まで全51回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全25回でお届けする予定です。