天才!ショーン・マイケルズのSCMは〝老後対策〟でもあった【WWE21世紀の必殺技#8】
2005年11月に急逝したエディ・ゲレロを除くと、WWEスーパースターズの中で“天才”と呼べるのはショーン・マイケルズだけだろう。抜群のルックス、卓越したレスリング技術、観客の心をガッチリとつかむ心憎いショーマンシップ…。とにかく完璧だ。
唯一の泣きどころはヘビー級の中で見劣りする華奢な体形だが、それをカバーするべく完成させたのが、スイート・チン・ミュージック(SCM)だった。
この技の元祖は、81年に高千穂明久から変身したザ・グレート・カブキである。カブキはこの技を「トラースキック」と命名。「トラース(THRUST=押し込む、突きつけるの意)」は非常に発音の難しい英単語で、あえてカタカナで表記すると「スラゥストゥ」となる。日本流に「トラースキック」と発音するとアメリカのファンには全く通じない。
ともあれ、試合前(時には試合中)に吐く毒霧と並び、カブキのトレードマークとして80年代の日米マットに定着した必殺技だった。
右足をタイミングよく相手の胸に叩き込む。単純といえば単純な技なので、パクるレスラーが多かった。中でもカブキと同じダラスを本拠地にしていたクリス・アダムス(故人)は「スーパーキック」と称し、自ら右足を振り上げる時に右の手のひらで「パチーン」と小気味よい音を立ててオリジナル感を出していたが、これをリングサイドで見ていたのが、デビューしたばかりのショーン・マイケルズ(当時18歳)だった。
マイケルズはカブキがテキサスで大ブームを巻き起こしていた83年、ホセ・ロザリオのプロレス学校を卒業して前座時代をスタートしていたが、カブキ、アダムスといった小柄なレスラーが巨体を相手に一発で蹴り倒すシーンを目前にしながら「将来、自分がメーンイベンターになった時の切り札はこれだ!」というイメージを作り上げていたに違いない。
カブキ、アダムスの名前を想起させぬようSCMという新技として命名したわけだが「この技をチン(アゴ)に食った相手は、まるでミュージックでも聞きながら甘い(スイート)陶酔へ誘われる」というのがネーミングの由来。
持病だった椎間板ヘルニアによって98年に一度は引退したマイケルズだったが、02年に奇跡のカムバック。それまでは背骨に負担のかかるバックブリーカーやムーンサルト系のフィニッシュが多かったが、以降SCM一本に絞り、背骨への負担を軽減している。晩年(40代)のアントニオ猪木が延髄斬りに転換した理由も全く同様だったが、40歳を超えたマイケルズにとっては当然の老後対策だろう。
右足が相手の胸まで上がらなくなった時、マイケルズは進退を迫られるだろうが、最晩年(50代)の猪木がスリーパーに方向転換して粘ったことも、すでに研究済みかもしれない。
※この連載は2006年2月~5月まで全10回で紙面掲載されました。東スポnoteでは当時よりも写真を増やしてお届けしました。