落合さんの加入で起きた変化、そして88年の広島との因縁爆発!大乱闘【宇野勝連載#8】
「当てろ」のサインもあった時代、遂に広島と…
私が現役だったころのプロ野球は今とは違ってかなり過激だった。今ではあまり見かけない乱闘劇などもよく起こった。そのきっかけのほとんどは故意死球。いわゆるビーンボールだ。
両軍大乱闘となった1988年広島VS中日戦。左が宇野勝
私が2年目、20歳そこそこのときだった。ヤクルトのあるベテラン投手から第1打席にホームランを放った。
「よし。もう1本打ってやる」
意気込んで臨んだ第2打席。結果は頭にデッドボールを食らった。ベンチに戻って先輩たちに言われた。
「ほらな」
その時の私は想像もしていなかった。まるっきり頭になかった。出るくいは打たれる。プロの洗礼だった。
私は野手なので、はっきりとは知らないが、そのころのバッテリーには「当てろ」のサインもあったという。それは野手の方だって薄々は分かっている。私もレギュラーになってからは相手ベンチからのやじが激しくなってくると「そろそろ来るかな」と警戒していたものだった。
2年連続3冠王に輝いた阪神のランディ・バースなどはストライクゾーンに投げれば打たれる。二死二塁の場面では「当てるもの」が常識だったという。
そんな荒れた時代の中でもとりわけ激しかったのが、1987~91年に星野仙一さんが中日の監督を務めていた、あの時代だろう。毎試合がケンカ腰だった。
特に広島とはよくもめた。当時、広島の正捕手だった達川光男さんへの星野さんのやじもきつく「てめぇ! ぶつけるぞ!」とか普通に言っていた。もちろん、相手にも聞こえていた。露骨だった。
広島の捕手・達川に詰め寄る星野監督
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