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ヘルメット投げ捨て事件から始まったトラブル続きの野球人生【駒田徳広 連載#7】

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「悔しかったら気持ちをすべてグラウンドにぶつけるんだ!」加藤英司さんの言葉で人生が変わった

 あれは1986年、この年から巨人に移籍してきた加藤英司さんに食事をごちそうしてもらう約束をしていた日のことだ。ところがその日の試合後、横浜スタジアムの風呂場でヘッドコーチの国松さんにこってり絞られたことで、加藤さんを長時間待たせることになってしまった。

巨人に移籍した加藤英司、右は正力亨オーナー(86年1月、球団事務所)

「駒田の奴、遅いなあ…」。加藤さんがいい加減しびれを切らしてレストランを出ようとしていたところに、顔の半分をパンパンに腫らしたボクがやってきたのだから驚かないはずがない。

「ど、どうしたんだ!」「何だ、その顔は!」「誰にやられたんだ!」。加藤さんは店への道中、ボクが暴漢に襲われて格闘になったとでも思ったのだろう。店内も「あれほど大柄な人間がやられるとは、いったいどんな相手なのか」と異様な雰囲気となり、加藤さんも「何があった? 話してみろ!」。ボクは「英司さん…」と言ったきりボロボロ泣き出してしまった。

 少し気持ちが落ち着いてから、自分のせいで試合に負けてションボリしていたこと、国松さんに風呂場でどやしつけられたこと…。事の経緯を涙ながらに説明し、この日の試合で打てなかったことがどれほど悔しかったかを訴えた。

近鉄から移籍した加藤は代打の切り札として活躍した(右は有田)

 そして…。加藤さんからかけられた言葉は「本当に悔しかったら、その気持ちをすべて、グラウンドにぶつけるんだ!」。今にして思えば、この言葉がボクの野球人生の転機となった。

 ボクは小さいころから周囲の子たちより体が大きく、力もあった。そのため母から強く言われ続けてきたことが「どんなに頭にくることがあっても、オマエは絶対に手を出しちゃいけないよ」。

 自分が手を出せば相手を傷つけてしまう。そう刷り込まれていたこともあって、小さいころから感情を表に出すようなことはせず、我慢を重ねて自分をセーブするクセがついていた。だからボクのそんな部分を見て、周囲の人から「凡退してもあっさりしている」「ヤル気がない」などと言われたりもした。だが、この時の加藤さんの言葉で「これからは我慢することなく感情を表に出してみよう」と思うようになったのだ。

小さいころから体が大きかった駒田氏(83年8月、後楽園球場)

 虚勢でもいいから自分に自信を持って振る舞うこと。そして感情を思い切り出していこう。そう決めたボクは翌87年終盤、松本(匡史)さんのケガもあって、準レギュラーを取ることに成功した。しかし、その年の日本シリーズでとんでもない事件を起こしてしまう。一部で「王監督への造反」とも指摘されたヘルメット投げ捨て事件だった。

盗塁する松本匡史(84年5月、横浜)

「あ、危ない!!」凡退の悔しさのあまり投げたヘルメットは王監督に向かって…

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