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ついに実装!セオリー無視の三冠馬・ミスターシービーを東スポで振り返る

 先ほど放送された「ウマ娘 プリティーダービー」の公式生配信番組で、ついにミスターシービーが実装されることが発表されました。ゲームでは天衣無縫な自由人で大物感は生徒会長・シンボリルドルフにも負けず劣らず。サクラチヨノオーの育成シナリオに登場したときはステータスがハンパじゃない高さ(スピードは驚異のSS)で、「勝てるわけない…」という声が上がったほどだったのですが、実はそれも当然で、史実のシービーは圧倒的な破壊力と個性で3冠を達成した名馬なのです。1983年(古っ!)、次々と競馬界の常識を覆していったクラシックロードと、古馬になってからの対ルドルフを「東スポ」で振り返りましょう。先日公開されたCMでシルエットが映っていたことで実装が予想できましたので、書いておきました。(文化部資料室・山崎正義)


天馬二世

「ウマ娘」でも正統派の美ぼうを誇るだけあって、実際のミスターシービーもイケメンで知られました

 きれいな瞳も印象的で、品も漂っています。同じくイケメンで知られたお父さん・トウショウボーイの血かもしれませんが、シービーの血統にはもうひとつ、ロマンが詰め込まれていました。皐月賞、宝塚記念、有馬記念を制し、「天馬」と呼ばれたその父と、オークス3着や毎日王冠勝ちのある母シービークインは同級生、それどころか同じ新馬戦を走っていたのです。人間で言えば幼稚園で一緒だった男女が、それぞれ違う道で名を上げ、大人になってから再び出会い、結ばれる…といったところ。いやはや、こんな素敵で夢のある配合があるでしょうか。

 で、生まれてきた仔が品のあるイケメンなんですから、期待は高まりますよね。父は底知れぬスピードで圧倒してきましたし、母も逃げることでその速力を中距離で活かしていました。もう、あふれんばかりのスピードで先行する息子の姿しか想像できません。が!走らせてみてビックリ。シービーはデビュー戦こそ先行して楽勝したものの、2戦目からはまともにスタートを出ても行き脚がつかなくなるのです。これだから競馬は分からないし、面白い。で、そのスピードが受け継がれなかったのかというとそうでもないからまた面白い。シービーは、レースの序盤ではなく、後半で天性の速力を爆発させる日本競馬界を代表する追い込み馬だったのです。

 2戦目は後方から徐々に上がっていき、何とか勝ったシービーですが、出遅れて最後方からになった3戦目のひいらぎ賞は、届かず2着に取りこぼします。ただ、主戦の吉永正人ジョッキーは、ためたスピードを後半で使うことに手ごたえを感じたそうで、早々に戦法は固まりました。続く共同通信杯も序盤は後方待機で、向こう正面11番手から徐々にポジションを上げていくレースぶり。3コーナーで7番手、4コーナー3番手から勝ち切ります。ただ、着差はアタマ差。本当に強いのか、弥生賞で真価を問われることになりました。

 メンバーも強くなる中、やはり後方3番手から。1番人気でしたし、前走の東京競馬場とは違って直線の短い中山競馬場ですから「届くのか?」とファンは不安そうに見ていました。しかし、3コーナーを過ぎて内から上昇していき、完勝。ゴール前も余裕があったことから、「こりゃあ思った以上に強いな」という声が上がりました。

 他にライバルも出現せず、皐月賞は本命で迎えることが濃厚です。ただ、当時の新聞をめくってみると、不安もささやかれています。追い込み脚質は他馬からの不利も受けやすく、展開にも左右されるので安定感を欠きますし、何より弥生賞同様、舞台は中山競馬場。皐月賞での〝追い込み不発〟はこの時代から〝あるある〟だったようで、本紙は管理する松山康久調教師のこんなインタビューを載せました。

 いろいろと聞く中で、肝となっているのは後半部分です。「先行策は取れないんですか?」という質問に対し、

「そんなことはないんですが、最近はどうもああいう競馬が多いようですね」

 と答えつつ

「同じ2000メートルでもやはり直線の長い東京コースのほうが安心して見ていられるでしょう」

 さらには

「馬場状態だって、いまの中山は良馬場でもかなりボコボコして危険な状態ですからね。一刻も早くケリをつけて早く府中(東京競馬場)にいきたいというというのが偽らざる気持ちですよ」

 と本音を漏らしています。ただ、前述の通り、ライバル不在のため、新聞の印はこう。

 単勝は3・2倍。◎が並ぶ1番人気にしてはそこまで圧倒的なオッズになっていないのは、松山調教師のコメントにもあった馬場も関係していました。あいにくの雨で、馬場状態の中では最も悪い「不良」。馬場が悪いと追い込みは利きづらく、先行有利が定説です。だから、スタートしてやはり行き脚がつかず、1コーナー手前の内のグチャグチャしたところでバランスを崩したのを見たファンは「ダメか…」と漏らしました。しかも、レース前に読んだ吉永ジョッキーの「多頭数なので中団ぐらいにはつけたい」というコメントに反し、向こう正面でもまだ後方4~5番手です。

「常識的には…」

「厳しいか…」

 3コーナーを過ぎた勝負どころ、シービーが馬群の中を上がっていくのが見えました。ただ、雨で視界も悪く、馬も人も泥だらけで、カメラが〝引き〟になると帽子の色もゼッケンも判別できません。

「どこだ」

「どこまで上がってきてるんだ?」

「シービーは…」

「断然の1番人気は…」

 4コーナー。果敢に逃げていた馬が先頭のまま直線に立ち、その外から並びかけていく馬を見て、誰もが声を上げました。

「あっ」

「あれ?」

 馬が進むにつれ、こちらに近くなってくるにつれ、泥だらけのゼッケンからかすかにのぞく番号。

「12って」

「シービーだ!」

「いつの間に!」

 はい、不良馬場も何のその。3コーナーから4コーナーにかけて、馬群の中で天性のスピードで発揮したシービーはアッと言う間に先頭に並びかける位置まで上がってきていたのです。それはゴールドシップも驚く〝ワープ級〟の脚でした。そして、やや強引とも言えるその戦法で早めに先頭に立ったシービーは、力をためていた追い込み馬の追撃も楽々と振り切ったのでした。

「つ、強ぇ…」

 そう感じたのは他のジョッキーも同じでした。2分の1馬身差で2着に入ったメジロモンスニーの騎手はレース後、あきれ顔でこう話したといいます。

「こっちは苦労して馬場のいいところを選んでいったのに、シービーは馬場のよしあしなんてお構いなしのコースを通って、まだ余力があるんだから…」

 体力も精神力も消耗する極悪馬場と馬群の中で終始もまれていた状況を鑑みると、力の違いは明らか。そしてもうひとつ、その強さを証明する出来事がありました。レース後の取材でも〝言葉少な〟がお決まりの吉永ジョッキーがシービーの様子を詳細に振り返ったのです。

「馬場の内ラチ沿いで返し馬してみたが、道悪が下手じゃないことを確信した。だからスタートで内に入った時もなんの不安も感じなかった」

「折り合いもついたし、道悪を考え早めに行ったが、馬は楽だった。四角では勝てると思った。競り合ったら絶対に負けない自信があったからね」

 寡黙な仕事人が興奮して舌が滑らかになるほど、シービーは強かったわけです。そして、喜怒哀楽を表に出さない鹿児島生まれの九州男児が表情を緩める場面もあったといい、さらにこう付け加えたとも。

「距離が400メートル伸びても、折り合いのつく馬なのでいけます」

 大言壮語なんてもってのほかの騎手にここまで言わせるとは相当だと記者たちも感じたはずです。そして、過去34回挑んだクラシックで、2着はあるもののどうしても勝利がなかった42歳・中堅のいぶし銀ジョッキーに、皐月賞のタイトルをいとも簡単にプレゼントしたことも、シービーの強さを際立たせました。さあ、ダービーです。


ダービーポジション

 悪い条件が重なった皐月賞を完勝したのですから、まぎれがなく、直線の長い東京競馬場で行われるダービーでは鉄板――そう考えるのが普通です。

 体調も文句なしですから、印はこうなります。

 万が一、大外枠を引いたりしたらシャレになりませんでしたが、無事に5枠12番に収まりました。紙面には、松山調教師と吉永ジョッキーのインタビューも載っています。

 ハッキリ言って自信満々。松山調教師は、調整に狂いがないことに加え、ここにきて根性も増してきたことも明かしました。続いて記者が「あとは吉永騎手にバトンタッチということだが注文は?」と聞くと…。

「何もない。彼を信じているし、今さらあれこれいうほどの騎手じゃないしね」

 それを受けて、吉永騎手はこう話しました。

「競馬で、これがいいという乗り方はない。いかにミスをしないか、というだけ。その点、シービーは素直な馬で、行けといえばスーッと行ってくれる人馬一体になれる馬だ」

「折り合いがつくようになったし、今までちょっと課題だったスタートの悪さもなくなった。極端な言い方をすれば、ボクはただ馬に乗って、シービーの走りたいがままに任せるだけだ。そして栄光を分けてもらう感じだな。いずれにせよ、支持してくれるファンの信頼を絶対に裏切らないようにガンバルつもり」

 寡黙な男からあふれ出る言葉には馬との信頼関係とシービーの強さがにじみ出ています。「栄光を分けてもらう」というフレーズから、あくまで騎手は脇役だとも言っているのも心憎いですが、私はこのやり取りに「なるほど」とも思いました。一応、記者なので分かるのですが、松山調教師への「注文は?」という質問は、次のような意味を含んでいたはずなんです。

「調教師として乗り方に注文をつけなくてもいいんですか?」

「ダービーでもあんなに後ろから行かせるんですか?」

「それで大丈夫なんですか?」

 ここまで読んできて、「いやいや、直線の長い東京競馬場なんだから大丈夫でしょ」「皐月賞の前だってそう言ってたし」と思われる方もいるでしょう。「自信満々なんだからそれでいいじゃん」とも思うでしょう。でも、それなのに記者が聞きたがたったのにはちゃんと理由があります。実は当時、こんな言葉がありました。

 ダービーポジション――

 詳しく説明しますと…

「1コーナーを10番手以内で回らないとダービーは勝てない」

 はい、これは都市伝説でも何でもなく、事実でした。現在はフルゲートで18頭ですが、もともとは30頭近く、シービーの頃も平気で20頭以上が出走していたのがこのレース。ポジションが後方になると、馬群はさばくのに一苦労ですし、さばかずに上がっていこうとしたら、横に広がる多くの馬のさらに外を回っていかなければならず、相当なロスがあるのでした。先行しないと、いや、先行まではいかなくても少なくても10番手以内で最初のコーナーを回らないと〝無理ゲー〟なのがダービーだったのです。シービーの脚質はダービーの常識から考えたら「アウト」だったからこそ、記者はあの質問をしたのです。

「大丈夫なんですか?」

「ダービーポジションを取らないでいいんですか?」

 松山調教師も吉永騎手も質問の意図には気づいていたでしょう。しかし、どう乗るかは作戦上、言いづらいでしょうし、明言はしませんでした。ただ、「いつも通り後ろから行くよ」と言わないところに、ダービーポジションを意識していたこともうかがえます。

「どう乗るんだろう」

 ダービーのこの常識は競馬好きなら知っていましたから誰もが興味津々。そんな中でゲートが開きました。

「さすがに行くのかな」

「前につけるのかな」

「えっ?」

「え…」

 いつもと同じく行き脚がつかないシービーを吉永騎手は促してもいませんでした。後ろも後ろ、最後方で目の前を通過していったのですからスタンドが大きくどよめいたのは言うまでもありません。

「おいおい…」

「いくらなんでも…」

「大丈夫なのかよ」

 気が気じゃなかった。単勝2・5倍。8・1倍の2番人気をオッズ的も大きく引き離していた大本命馬が、1コーナーを回っても後方3番手なのです。

「まずいんじゃないか」

「ダメなんじゃないか」

「常識的には厳しいんじゃないか」

 向こう正面に入り、3コーナー手前でじわり中団まで上がりますが、長年競馬をやっているファンは不安でしかありませんでした。まだまだ前には馬がズラリ。大ケヤキの向こうを通過したところで、馬群の中をやや外に向かって進出し、4コーナー手前では先団の直後まで外を回りながら一気に上がっていくのを見て、ライトなファンは熱狂したでしょうが、競馬を知っている人間からしたらこれもまた「アウト」でした。

「そこで脚を使ったらまずい」

「長い直線は持たない」

「常識的にはも持たないぞ!」

 4コーナー、スタンドに突っ込んでいくかのように大外をぶん回したシービー。玄人は確信しました。

「いくらなんでもやりすぎだ」

「これじゃ止まる」

「常識的には最後に止まる」

 しかし、直線を向いて内に切れ込んでいくシービーの脚色はまったく衰えていませんでした。それどころか、外から他馬をすべて飲み込むように先頭に立ったのです。

 常識?

 定説?

 セオリー?

 それが何か?

 そう言わんばかりでした。小細工とか、作戦とか、そんなものでは太刀打ちできない、他馬を、レースそのものを丸ごとさらっていくような丸飲み…。しかも、シービーはさらにそこから加速します。3~4コーナーであれだけ脚を使っていたのに、2弾ロケットのようにもう一度伸び、追い込んできた馬をも完封したのでした。

「つ、強ぇ」

「強すぎる」

「ケタ外れだ!」

 誰もが圧倒されました。ライトなファンはその豪快さに酔いしれ、ポカンとしていた競馬玄人たちは、常識が覆されたことに驚きつつ、次第にこみ上げてくる喜びに気付き始めました。

 常識?

 定説?

 セオリー?

「どっかいっちゃった…」

「そんなもん、どっかいっちゃったよ」

 はい、シービーは何もかも吹き飛ばしてしまいました。

 ダービーポジション?

 10番手以内?

 仕掛けどころ?

「関係ない」

「シービーにはそんな常識なんて通用しない」

「なんだこの感覚」

「ゾクゾクする…」

「気持ちイイーーーー!」

 常道を軽々と越えていく姿が、こんなに快感だとは知りませんでした。それは競馬に長年寄り添ってきたからこそ、常識が染みついていたからこその快感とも言えました。セオリーを知っているからこそ、人はそれを超えるものを目にしたとき、身を震わせるのです。そしてシービーのこの勝利は、快感と同時に、競馬ファンに大きな大きな期待を抱かせることになりました。

「ついに出る…」

「やっと出る…」

 それはシンザン以来、19年間も達成されていなかった大偉業。

「待ちに待った…」

「三冠馬だ!」


菊花賞

 三冠制覇に向けて夏休みを取ったシービーですが、夏風邪をひいたり、蹄を痛めたりで、調整が遅れてしまいます。セントライト記念でひと叩きするはずが、3週後の京都新聞杯へスライド。やはり調子が上がり切っていなかったのでしょう。いつも通り最後方から進めるものの、一気に上がっていく脚はなく、追い込むものの4着に終わります。

 ただ、記事にもあるように、吉永騎手は無理をしておらず、あくまでトライアルだと割り切った〝試走〟。先行馬ペースの中でも最後しっかりと脚を使っており、典型的なひと叩きで調子を上げてくるパターンでしたから、陣営のムードは悪くありません。そして、シービーは目論見通り、グングン調子を上げていきました。

 調教が行われたトレーニングセンターには多くの報道陣が集まり、シービーの追い切りにはシャッター音の嵐だったとも書かれています。どのスポーツ新聞も、この年の菊花書ウイークはシービー一色。そのぐらい久しぶりの三冠馬誕生に対する期待は高かった。何せ、この年までにわずか2頭しか誕生しておらず、最初のセントライトは42年前、シンザンは前述のように19年前なのです。それだけの希少性、それだけの大スター。なのに、今改めて、さまざまな記事を読み返してみると、三冠獲得を確信するような〝温度〟で書かれているものが目立ちます。皐月賞とダービーのケタ外れの強さ、夏の上がり馬も登場していない状況に、新たな英雄の誕生を渇望する空気も加わっていたからでしょう。そんな状況でしたから、菊花賞当日の京都競馬場は三冠馬を一目見ようというファンであふれました。

「偉業だー」

「大記録だー」

「頼んだぞー」

 ライトなファンにはワクワクしかありません。しかし一方で、「もしかして危ないのでは…」と感じていたファンも一定数いたことも想像できます。根拠は単勝オッズです。最終的にシービーは2・8倍の1番人気になるのですが、2番人気のカツラギエースは9・0倍。3番人気のビンゴカンタは12・1倍です。違和感を感じる競馬ファンは私だけではないと思います。普通、ここまで圧倒的な差と当確ムードがあったら、1倍台が普通です。菊花賞が2番人気だったシンザンでさえ2・4倍でした。この後、誕生する5頭の三冠馬は当然、1倍台。唯一前哨戦を取りこぼしていたナリタブライアンでさえ1・7倍です。この2・8倍という数字こそ、シービーに不安を感じた人がいたことの証明ではないでしょうか。

 では、その不安とは何か。

 それは血統脚質。〝天馬〟トウショウボーイは冒頭でお話ししたようにスタミナよりスピードタイプ。連対を外したのは生涯でたった2回なのですが、それが3000メートルの菊花賞(3着)と3200メートル天皇賞(7着)でした。母シービークインも決して長距離向きの馬とは言えませんでしたから、スタミナ不足に陥る可能性は十分。で、その不安を脚質があおります。おそらく後方からいくのは間違いなく、最終的には上がっていくのでしょうが、その時点でスタミナが尽きていたら他馬を丸飲みできないんじゃ…というわけです。そして、騎手もそれぐらい分かっているでしょうが、ダービーで常識を無視して最後方からいったあの吉永ジョッキーが、戦法を変えるとも思えないのです。だから、競馬を知り尽くしていたファンはこう願いました。

「三冠馬を見たい」

「見たいから頼む」

「スタミナをロスしないように乗ってくれ」

 ゲートが開き、やはり行き脚がつかないシービー。1周目のスタンド前を後方2番手で進んでいきます。ザワつく大観衆。ただ、〝ヤバイよヤバイよ〟状態ではありません。

「大丈夫かな」

「でも、ダービーもこんな感じだったから」

 こんな感じ。それぐらい、シービーの戦法は浸透していました。向こう正面に向かう間も、ずーっとザワつきは収まらないのですが、それは単にファンの「ねえ見える?」「シービーはどのあたりにいる?」という声だったんだと思います。では、競馬キャリアの長い人たちはどう見ていたのか。はい、不安は消えていませんでした。吉永騎手が、1コーナーを回ったあたりで外に出したからです。スタミナに不安があるなら内でじっと体力を温存するのがセオリーなのに、そうではない…。

「どうするんだ」

「どうする気なんだ…」

 向こう正面から3コーナーへ向かう馬群は一団になっていました。シービーは中団の一番外。距離ロスなんてお構いなしのポジショニングにさらに不安を募らせたファンの目に、信じられない光景が飛び込んできました。シービーがグングン前に上がっていったのです。

「うおー」

「いけー」

 盛り上がる大観衆。しかし、何度も何度も菊花賞を見てきた人たちの頭には、あの「常識」が浮かんでいました。

「京都の坂はゆっくり上り、ゆっくり下れ」

 それは好走のコツであり、勝利への鉄則。向こう正面から3コーナーにかけた上り坂と、そこから4コーナーにかけての下り坂で脚を使って(スパートして)しまうと最後まで持たない…これが京都競馬場の常識なのです。いや、常識どころか掟とも言えました。なのに、なのに、シービーは上り坂でグングン加速して上がっています。

「無理だ」

「動いちゃ…」

「そこで動いちゃダメだ!」

 そんな声を無視するように止まらないシービー。上りが下りになるころにはもう3番手。明らかにスパートです。下りながら2番手にまで上がっていきました。

「ダメだ」

「常識破りだ…」

「掟破りだ!」

 お構いなしに4コーナーを回っていくシービー。

 常識?

 定説?

 セオリー?

 それが何か?

 そう言わんばかりに先頭に立ちました。ダービーとは少し形は違いますが、見ている側に伝わってきた印象は同じ。

 ひと飲み

 丸飲み――

 他馬を、レースそのものを飲み込むかのような圧倒的な走りでゴールに向かっていくシービーに、テレビの杉本清アナウンサーが叫びます。

「大地が弾んでミスターシービーだ」

 はい、あの日、確かに大地は弾んでいました。

「つ、強ぇ」

「強すぎる」

「ケタ外れだ!」

 19年ぶりの三冠馬誕生。ゴール後、杉本アナはこう漏らしました。

「驚いた。ものすごい競馬をしました」

 そう、何度も何度も京都競馬場のレースを、菊花賞を実況してきた人でさえビックリする勝ち方、まさに掟破りのレースで、シービーは晴れて三冠馬となったのです。

「ゾクゾクする…」

「気持ちイイ」

「気持ちイイぞーーーー!」

 ダービーに次ぐ快感に身を震わせたのは玄人だけではありませんでした。最近競馬を始めた人、それこそシービーのダービーで競馬にハマりだしたライトなファンにも、杉本アナが言う〝ものすごい〟は伝わりました。それぐらいすごかった。誰が見てもすごかった。大地とともに、見ている者すべての心を弾ませたシービーは、競馬界のスターとなったのでした。ちなみに、「ウマ娘」でも、シービーが、こんなふうに言う場面があります。

「だってアタシは大地を震わせるウマ娘だからね」


四冠へ

 吉永騎手は菊花賞をこう振り返りました。

「馬の行く気に任せただけ。僕が追ったのは直線だけですよ。今まで(三冠)で一番楽な競馬でした」

 まさに無敵。古馬陣にもスターホースがいない状況でもあり、メディアの関心は、シービーが今後、どれだけGⅠ勝利を積み上げるかになりました。

 古馬になった翌年、天皇賞・春、ジャパンカップ、有馬記念を制するため、シービーは菊花賞後、軽い休みを取ります。年末の有馬記念を使わず、始動は1月末の「アメリカジョッキ―クラブカップ」という伝統のGⅡ。しかし、週末に雪が降り、コースが芝からダートに変更されたことで、シービーは大事をとって回避しました。これは馬柱にいない馬が見出しになっている珍しい紙面です。

 この後、シービーは別のレースを使おうと調整しますが、脚部不安が出て、上半期を棒に振ります。馬の体調を優先した休みは予想以上に長くなり、復帰は秋。GⅡ「毎日王冠」でしたが…。

 追い切りを見る限り、さすがに11か月のブランク明けで本調子ではありません。陣営も慎重なトーン。レースでも、この年、中距離で頭角を現し、宝塚記念を勝っていた同期のカツラギエースに1番人気を譲ります。ただ、東京競馬場にはファンが殺到しました。常識破り、ケタ外れの三冠馬が、無事に戻ってくるのか。まさか〝終わって〟なんかないよな…とかすかな不安を抱きながら向かった府中のターフの大外、最後方からシービーは追い込んできました。

 結果的にはカツラギエースに届かず、見出しも「頭差に泣く」ですが、ファンは胸をなでおろしました。

「あの脚は健在だ」

「またシービーを応援できる」

「またシービーで気持ち良くなれそうだ」

 記事では、上々の結果に陣営がホッとしていたことも伝えられています。大きな写真の下にある見出し「負けてうれし?のシービー陣営」では、レース前とは一変した明るいトーンのコメントが並んでいます。

「スタートもスンナリ切れたし、馬に落ち着きが出ていた」(吉永騎手)

「終いも伸びてくれたし、試金石としては言うことなしだね」(松山調教師)

「これで天皇賞は決まりだな。今度はベストで戦えるよ」(佐藤厩務員)

 菊花賞のときもひと叩きで目論見通り上昇カーブを描いたので、陣営も確信があったのでしょう。シービーはしっかりと調子を上げていきます。これは天皇賞の追い切り速報。

 そして馬柱。

 単枠指定となった単勝オッズは1・7倍。東京競馬場は人であふれました。スターホースを見たいのと同時に、歴史的な日でもあったからです。実はこの年から今まで春も秋も3200メートルだった天皇賞が、秋のみ、2000メートルになっていました。JRAがつけた副題はこう。

「二千メートル」の中編小説

 そう、世界的な流れに対応するため距離を短縮し、スタミナだけではなくスピード能力をも求められる一戦に変貌していたのです。

「記念すべき第1回」

「そこに常識破りの三冠馬」

 シチュエーション的には最高です。ただ、ファンには少なからず不安もありました。毎日王冠で1800メートルに対応したものの、もっとペースが速くなりそうなGⅠで、そのスピードについていけるのか。いつものように後方からで間に合うのか。外枠が不利とされる府中の2000メートルの13番ゲートが不利にならないか…。それでも単勝が1・7倍だったのは、シービーの人気の高さ、何より今までどんな状況もセオリーも吹き飛ばしてきたケタ外れ感に期待した人が多かった証拠でしょうが、ファンはドキドキ、ハラハラしながらファンファーレを待ちました。

 スタート直後の行き脚がつかないポジショニングはいつもと同じ。それに伴うザワつきも同じ。向こう正面に入って最後方なのも同じ。この秋からできた東京競馬場の大画面にその姿が映っても悲鳴ではなく大歓声が上がったのは、「きっと追い込んでくる」というファンの胸の高まりだったに違いありません。とはいえ、3コーナー手前でまだ先頭まで20馬身もありました。

「大丈夫なんだよな」

「シービーなら大丈夫だよな」

 久しぶりに味わうこの感じ。大ケヤキを前に内から少しずつポジション上げたシービーが、ケヤキを過ぎるころには外に持ち出されました。4コーナーで、前には10頭。

「くるのか」

「きてるのか」

「きた」

「きた…」

「きた!」

「シービー!」

 追い込みの快感を知っていたファンにとって、外からシービーが伸びてきたのを確認したときの興奮はいかばかりだったでしょう。

 2000メートル?

 不吉な13番?

 それが何か?

 豪脚、再び

 再びの丸飲み――

 大地も、ファンの心もまたまた弾みました。

「ゾクゾクする…」

「気持ちイイ」

「気持ちイイぞーーーー!」

 完全復活。さあ、次なる相手は世界。ジャパンカップ。未知なる強豪。ファンは叫びます。

「外国馬もひと飲みだ!」

 創設されてからの過去3回、日本馬は歯が立ちませんでしたが、今年は違う。この三冠馬ならやってくれる。外国馬を倒してくれる…もう楽しみで仕方ありません。加えて2週間後、まるで宝くじに当たったような、JCをさらに盛り上げる出来事が起こります。

 2年連続、三冠馬誕生――

 はい、1つ年下のシンボリルドルフが、無敗のまま菊花賞を楽勝し、トリプルクラウンを達成したのです。しかも、血気盛んに中1週でジャパンカップへ矛先を向けてきたのです。つまり…

 三冠馬×2!

 さあ、とんでもない週末がやってきます。


総大将として

 菊花賞とジャパンカップは中1週ですから、常識的にはかなりの強行軍。こうなると、同じ三冠馬とはいえ、総大将が〝先輩〟シービーになるのは自然な流れです。追い切りの1面も、主役はシービー。

 絶好調でした。毎日王冠、天皇賞・秋ときて、走りごろの〝叩き3戦目〟。2000メートルから2400メートルへの距離延長もノープロブレムで、直線の長い東京競馬場も追い込み脚質にうってつけ。好走は約束されたようなものだからか、メディアは「対外国馬」はもちろん、「ルドルフと、どっちが強いのか」にも注目するようになっていました。紙面左端では、両調教師に、もう一方の三冠馬に対する印象を聞いています。まずは松山調教師。

「ルドルフは、シービーより一つか二つ条件のそろった馬だと思う」

 これは〝競馬の教科書〟とも言える先行抜け出しを得意としたルドルフの操縦性の高さを指していると思われます。すなわち、シービーにはない器用さ。一方で、こうも言いました。

「しかし、シービーは完成されながらも、まだ未知の部分があり、その底力には私自身、驚いている」

 そうです、教科書を超える、セオリーをぶち破るポテンシャルと破壊力を持っていることをトレーナーも自覚していました。対するルドルフの野平祐二調教師。

「ミスターシービーとの対決に関して、いろいろ質問は受けますが、このレースのターゲットはあくまで外国馬。日本馬の一員としてシービーを中心に世界の登竜門にチャレンジする気持ちです」

 脚質にも似た教科書通りのコメントとも言えますが、いずれにせよ、互いに意識はしつつも、まずは手を取り合って外国馬を倒そう!日本馬の初勝利をつかみ取ろう!という雰囲気は大いにファンにも伝わってきました。

「ついに日本馬が勝つときがきた!」

「ワンツーフィニッシュだってある」

「ルドルフの中1週は心配だけど」

「俺たちにはシービーがいる!」

 陣営のトーンは上がるばかり。金曜の朝、松山調教師は出来に関し、こうコメントしました。

「生涯最高」

 佐藤厩務員はこうです。

「外国馬だろうがルドルフだろうが、負ける気がしないね」

 当然、印も集まります。

 単勝オッズは3・3倍の1番人気。第1回で惨敗したことで、第2回、そして前年の第3回と、日本馬は5番人気以内には入りませんでした。日本でやっているのに支持されなかった。それぐらい外国馬とはレベルの差があるように感じていたのに、このときばかりは誰もが確信していたのでしょう。

「シービーならやってくれる」

「シービーなら勝てる」

「シービーなら!」

 そう、あの破壊力満点の豪脚はすべてを吹き飛ばしてきました。

 常識

 定説

 セオリー

 今回のJCならこうです。

 日本馬はかなわない?

 ジャパンカップは勝てない?

 でも、シービーならこう言いながら追い込んでくるはず!

「それが何か?」

 だから、スタートで出遅れてもそこまで不安じゃありませんでした。最後方で1コーナーを回っても、ファンにはダービーで免疫ができていますから焦りません。

 向こう正面に入っても最後方。

 3コーナー手前でも最後方。

 大ケヤキを過ぎても最後方。

 4コーナーでも最後方。

 でも、大丈夫だと自分に言い聞かせるファン。

「くるよな」

「シービー」

「そこからまとめて…」

「丸飲みだ!」

 そう信じ、声にならない声で叫ぶファンの大歓声で、あの日、東京競馬場の大地は揺れました。でも、弾みませんでした。シービーは直線に入っても後方のまま伸びを欠き、10着に大敗したのです。

「どうしたんだ…」

「何があったんだ…」

 目の前の光景を信じられないファン。呆然自失。期待が豪快に裏切られたことだけは分かりましたが、なぜシービーがここまで負けるのか、理由が分かりませんでした。ルドルフなら分かります。中1週です。体調が整わなくても当然です。でも、シービーには瑕疵がなかった。なのに、見せ場もない。惜しくもないのです。純粋なシービーのファンは言葉を失ったままうつむき、馬券を当てるためにシービーを買っていた人は声を上げました。

「なんだったんだ!」

「どうなってるんだ!」

 絶好調だったはず、少なくとも日本馬には負けないはず、そう言ってたじゃないか。競馬場では、引き上げてくる吉永騎手に罵声が飛び交ったといいます。

「バカヤロー」

「何やってんだ」

「あんな後ろからいってどうするんだ!」

 そこまで言わなくても…しかし、1984年はまだ昭和。当時の競馬場には鉄火場の雰囲気も残されていましたから仕方ありません。何より、期待度が高まり過ぎていたのです。MAXを超えていたからこそ、反動も限界を超えました。

「説明してくれ」

「どういうことだ」

「誰が悪いんだ」

 漂うのは不穏な空気。メディアも追及せざるを得ませんが、レース後、シービーの体調に異常は認められません。一生懸命走ったことも間違いなく、馬に罪はない。ファンの多い人気ホースを悪者にするわけにもいきませんから、批判の矛先は、あの罵声と同じになりました。

「先行馬があんなに前にいたのに」

「あんなに離された最後方で」

「どうして動かなかったのですか?」

 聞かれた吉永ジョッキーは力なく答えたそうです。

「向こう正面でスローを感じて行こうと思ったのだが、行けなかった」

 そして…

「シービーの能力を半分も出せませんでした」

 非を認めたことで悪者が誰かが図らずも決まってしまいました。こうなるとバッシングが起こります。

「いつかやると思ったよ」

「あんな大味な乗り方じゃ」

「国際舞台では通用しないんだよ」

 しかし、シービーを追いかけていたファンがこのような声を上げたわけではありません。うつむいたまま、拳を握りしめ、反論を飲み込みました。

「大味な乗り方だから好きだったんだ」

「それで勝つから気持ち良かったんだ」

「百も承知」

「そういう吉永とシービーが好きだったんだから」

 だからといって、結果に納得しているわけではありません。とにかく、悔しかった。鳴りやまない吉永騎手への批判がシービーへの失望に聞こえたのです。ジャパンカップをまさかの逃げ切りで勝利した同期のカツラギエース、何より、中1週で3着に入り、一気に株を上げたシンボリルドルフに主役を奪われた気がしました。同じ三冠馬なのに。先に日本を盛り上げたのはこっちなのに。たった一度の敗戦で、あれだけ自分たちを熱狂させてくれた馬の立ち位置が、奈落の底に落ちていく気がしたのです。

「このままじゃ終われない」

「吉永!」

「頼む」

「シービーがすごいことを証明してくれ!」

 分かっています。吉永騎手も、そして松山調教師も分かっていました。そりゃそうです。ファン以上に悔しいのは陣営。幸い、名誉挽回の場はすぐ目の前にありました。

 1か月後

 有馬記念

 外国馬は出てきませんが、カツラギエースも、そしてシンボリルドルフも出走を予定していました。


捲土重来

 今まで通りやってきたのに惨敗したのですから、何かを変えないといけません。有馬記念の最終追い切り、シービーは普段とは違う、芝コースに入りました。

 完璧な動きとまではいきませんが、異例の調教から、有馬にかける強い思いと、〝背水の陣〟感が伝わってきます。一方、翌日、追い切りを行ったルドルフは余裕しゃくしゃくで絶好調。それを伝えた1面の左下では、前日のシービーの調教の意図を探りつつ、松山調教師のこんなコメントを載せています。

「積極的な競馬というのを考えねばいけないでしょう。ただし、私の言えるのは二、三の大きな指示だけです。折り合いと流れのリズムなどはジョッキーに任すしかないが、皆さんが言うようにいつも後方からまくるという競馬ばかりしていたのでは…」

 はい、明らかに戦法の変更が示唆されていました。いつも以上に言葉が少なくなっていた吉永ジョッキーに代わり、「今度はなるべく前で」と明かしているようなもの。もう、なりふり構ってはいられない。どんな方法でも勝つ、いや、勝ちたい!という陣営の気持ちが伝わってくるようで、こうなったらファンも応援するしかありません。やや複雑ではありますが、やはり悔しさを晴らしたい。シービーを復権させてやりたいのです。

 中にはこのころ、ルドルフに強烈な対抗意識を持っている人もいました。先行抜け出しの危なげない勝ち方、いかにも聡明なレースぶりがシービーと正反対で、それがなんだか、「あなたもこうやって走ったら?」と言われているようで悔しかったのです。なんなら、この有馬へ向かうルドルフ陣営の泰然自若、余裕しゃくしゃくな様子も気に入りません。「ライバルはシービーだ」とも口にしないのです。既に世代交代は終わったとでも言いたげに映るのです。もちろん実際は違います。ルドルフ陣営だってシービーには敬意を抱いていたはずです。でも、ルドルフ憎しになってしまうほど、消化しきれない悔しさは爆発寸前でした。

「許せない」

「同じ三冠馬なのに」

「こっちが先輩なのに…」

「シービー…」

「目にモノを見せてやれ!」

 単勝オッズ1・7倍のルドルフに迫ろうかという3・0倍を示す中、ゲートを出たシービーはやはり行き脚がつかず最後方。しかし、そこからが違いました。ファン以上に悔しさを心に秘めていた吉永騎手が必死で馬をプッシュしています。それでも最後方、向こう正面でも後方2番手。でも、明らかに吉永騎手は動かそうとしていました。本来なら違うと思うんです。促しても進まないのだから、やっぱり後方からいく馬なんです。でも、同じ過ちは繰り返せない。2度続けて負けるわけにはいかない…。3コーナーで内を5番手まで上がっていくシービー。2番手を進むルドルフを射程圏に収めつつ、4コーナーを回ります。回りながら仕掛けています。いつもの外ではなく、馬群の中を上がっていきます。

 ルドルフから離れないように

 ルドルフを倒すために

 自らのスタイルを崩してまで勝ちにいったシービー

 戦法がプライドだとするなら

 三冠馬のプライドをかなぐり捨てて勝ちにいったシービー

 大歓声でした。スタンドから声が飛びました。

「シービー!」

「吉永!」

 その数は「ルドルフ!」「岡部!」より多かった。3番手から前を追うシービーに、中山競馬場は間違いなく揺れました。

 でも…

 大地は弾みませんでした。

 ルドルフから3馬身半差の3着という結果には2つの見方があります。

「先輩の三冠馬は天皇賞・秋で燃え尽きた」

「後輩の三冠馬が強すぎた」

 どちらが正解か分かりません。どちらも正解かもしれません。でも、どんなファンでも分かりました。1984年12月、あの時点ではルドルフの方が強かった。吉永ジョッキーはレース後、こう語っています。

「もう少し策はあったかもしれませんね。でも先生の指示通りに乗ったし、四角では射程圏にはいたんだが…」

 松山調教師は清々しい表情だったとか。

「ルドルフに敬意を表します」

「状態は万全。ジョッキーもうまく乗ってくれた」

 この言葉に、シービーファンが抱いていたルドルフ憎しも収まりました。

 完敗

 世代交代

 あとは任せよう。

 バトンを渡し、常識的には引退でしょう。三冠馬の経歴に傷をつけずに去るのが普通です。でも、この馬は違いました。いや、忘れていました、こういう馬だと。

 常識?

 定説?

 セオリー?

 それが何か?

 はい、現役続行でした。


再戦

 打倒ルドルフに燃えるシービーはスパルタに近い猛調教を積むようになります。シービーと陣営の意地でした。リベンジの舞台は春の天皇賞。前哨戦として選んだのは、3月31日、阪神競馬場のGⅡ「大阪杯」でした。挑戦状を叩きつけるためには、前哨戦で健在ぶりをアピールしたいところ。きっちりと仕上げて臨みました。

 レースではいつも通り最後方。しかし、以前とは違いました。常に馬群から離れず、とりつくようにして進んでいきます。ジャパンカップのような状況に陥らないよう、馬についていくことを教えていたのです。3コーナーでも離れず動いてくシービー。4コーナーは大外ではなく、馬群に突っ込ませたのにも陣営の意図が見えました。59キロを背負っていた上に、差しが決まりにくい阪神2000メートルで、グングングングン、追い込んで…。

 ハナ差届かず。松山調教師は「内容は十分あった」と話しましたが、物足りない結果でもありました。完勝で挑戦状!どころか2着。しかも、負けた馬はそれほど強くはなかったのです。紙面の見出しをみてください。

「ルドルフ抜きでも負けた」

「打倒ルドルフはもはや絶望」

 付け加えるなら、同じ日にルドルフは中山の日経賞を大楽勝していました。「年明けて実力差さらに開いたぞ」という見出しも当然、その差は歴然でした。しかし、陣営はあきらめません。関東所属なのに、そのまま関西馬の拠点である栗東トレーニングセンターに入ったのです。1か月後の天皇賞は京都。関東へ往復している時間なんてもったいない。輸送で何かあっても困る。近場でみっちりトレーニングだ!というわけで、松山調教師の言葉を借りると「ネジを巻いて仕上げる」一種の賭けでした。そして、シービーはその思いにこたえます。課されたトレーニングをこなし、最終追い切りでも異例のハード調教を行うのです。

 気迫ではなく〝鬼〟迫。仕上がりきった体にさらにムチ打つ、まさに鬼気迫る仕上げでした。調教というのはやり過ぎも良くありません。レース前にピークを過ぎてしまうことがあるからですが、シービー陣営は賭けに出ました。パーフェクトを超える究極のデキにもっていけば、あの豪脚をもう一度繰り出せるのではないか。逆に言えば、そこまでしなければ勝てないほどルドルフとの力差を感じていたのかもしれませんが、松山調教師は追い切り後、こうコメントしています。

「一丁やってやろうか、という気分になっている」

 熱い思いは記者にも伝わりました。天皇賞・春、シービーに◎がつきます。

 ファンも馬券を買いました。単勝オッズはルドルフ1・3倍に次ぐ3・7倍。改めてシービーの人気を感じざるを得ません。有馬記念で完敗し、前哨戦でも敗れているのに、これしか差がないのです。心の奥底では、「厳しいだろう」と思いつつも馬券を買いたくなる。常識的には無理そうでも応援したくなる。それぐらいシービーは魅力的だったのです。それぐらい常識をぶち破っていく面白さ、レース観戦の気持ち良さは忘れることができなかった。その感謝も込めてファンは馬券を買いました。もしかしてこれが最後かも…と思いながらゲートが開くのを待ちました。

 ガチャン――

 シービーは必死になって馬群から離れないようについていっています。この時点で泣けてきました。競馬界最高の栄誉である三冠を手にした馬です。天皇賞・秋で四冠馬となった馬です。頂点を極めたとも言える馬。現役最強馬、いや、史上最強馬と言われた馬が、わずか半年で背水の陣に追いやられ、自らの戦法を変えてまで、必死になって食らいついているのです。1周目のスタンド前から1コーナーでは後方3番手。最後方じゃないことに、プライドをかなぐり捨てた乗り方に、涙をこらえつつ、ファンのテンションは徐々に上がっていきました。向こう正面に入り、シービーが馬群の中でさらにポジションを上げているのです。先団のすぐ後ろに位置するルドルフを見るポジションは虎視眈々に映ります。

「シービー…」

「吉永…」

 マークしているようにも見えました。教科書通りに先行しているルドルフは教科書通りに抜け出していくでしょう。吉永ジョッキーは、そして、少しだけ前に行けるようになっているシービーは、そのルドルフについていき、常識的に考えれば、一騎打ちに持ち込む気なのかもしれません。

「シービー…」

「吉永…」

 一団になった馬群が3コーナーの坂を上がっていきました。シービーがいつの間にか外に出しているのを見て、ファンの胸に懐かしさがこみ上げてきます。

 菊花賞

 19年ぶりの三冠

 もうひとつ、もうひとつ、何かあったような…。

「京都の坂はゆっくり上り、ゆっくり下れ」

 その掟をファンが思い出したとき、目の前で信じられないことが起こりました。馬群の大外をシービーがグングン上がっていったのです。内にいるルドルフを追い越して、グングングングン、全馬を飲み込もうかという勢いで先頭に並びかけていったのです!

「シービー」

「シービー!」

「吉永!!」

 あのとき大本命馬だった馬

 王者だった馬

 それが今はチャレンジャーとして京都の坂を走っていました。

 極限まで絞った体で

 バッシングに耐えた相棒に導かれて

 負けてたまるか…

 俺だって…

 俺だって三冠馬だーーーー!

 そう叫ばんばかりの大まくり

 意地さえも掟破り

 常識?

 定説?

 セオリー?

 それが何か?

 5着でしたが、あの日のシービーに、大地と私たちの心は間違いなく弾みました。

「ゾクゾクする…」

「気持ちイイ」

「気持ちイイぞーーーー!」


同時に実装

 長い文章を最後までお読みいただき、ありがとうございました。同時に実装されたツインターボに関しては、既に一昨年の七夕にアップしています(なぜその日だったかも分かるはず)。ガチャで引こうと思っている方で、師匠のことをご存じない方はぜひ。



カッパと記念写真を撮りませんか?1面風フォトフレームもあるよ