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【プロ野球】「野球バカとハサミは使いよう」山田隆道著

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“球春到来”に合わせ、2012~13年にかけて東スポ紙面連載された往年のプロ野球選手から処世術を学ぶコラムを復刻します。選手のエピソードから導かれる教訓は日々の生活に役立つこと間…
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#東京ヤクルトスワローズ

「度胸7割、実力3割」で長く活躍した男【野球バカとハサミは使いよう#32】

勝負度胸が光った安田猛 プロ野球で一流の投手になれる条件とは、必ずしも体が大きいことや速いボールを投げられるということだけではない。例えば、1970年代に活躍したヤクルトの技巧派左腕・安田猛のように、身長170センチ前後と小柄で、ストレートの球速もせいぜい130キロにもかかわらず、長らく活躍した投手もいる。  安田はペンギン投法と呼ばれた独特のサイドスローからの緻密なコントロールを武器に、75~78年まで4年連続2桁勝利を記録し、さらに最優秀防御率賞を2年連続(72~73年

百回の弁解よりも一回の行動【野球バカとハサミは使いよう#29】

獲得した勲章は色あせない 人間はなにか勲章を手にするためだけに仕事をしているわけではない。しかし、だからといって勲章を手にできそうなチャンスがあるのに、それを逃すのもおかしな話である。  これはプロ野球では個人タイトルのことだろう。タイトルのために野球をやっているわけではないが、チャンスがあるなら狙いにいくのが人情だ。  かつて1980~90年代にかけて広島の二塁手として活躍した正田耕三が、その良い見本だった。正田は身長170センチという小兵だったためか、入団当初は決して

仕事優先の美学とは、あくまで自己犠牲においてのみ成立する【野球バカとハサミは使いよう#26】

プロ入り時は守備を評価されていた池山 元ヤクルトの池山隆寛といえば、ブンブン丸の愛称で親しまれた豪快な長距離砲というイメージが一般的だろう。1990年代のヤクルト黄金時代を支えた中心選手の一人だった。  全盛期の池山は守備の負担が大きい遊撃手というポジションながら、5年連続30本塁打以上を記録するなど、強打が売りの選手であった。常にフルスイングだったため、三振も多かったものの、それを補って余りあるだけの長打力があった。同時代に巨人・川相昌弘や阪神・久慈照嘉などのような超守備

くすぶっているかもしれない…と思ったときに読んでみて【野球バカとハサミは使いよう#13】

相次ぐ転向で生まれた遅咲きのスター 例えば、ある会社に入って数年がたつというのに、なかなか能力を発揮できず、くすぶっている人がいたとする。そんなときは、かつてのヤクルトの主砲・杉浦享に学べばいい。  杉浦といえば1970~90年代にかけて活躍した左の長距離砲。プロ22年間で通算224本塁打を記録したが、そんな彼も入団当初はなかなか能力を発揮できなかった。何しろ杉浦はもともと投手として入団しており、それでは芽が出る気配がなかったため早々と野手に転向した選手だったのだ。  も

趣味はプライベートだけでなく仕事も広げてくれる【野球バカとハサミは使いよう#4】

変わらぬ勝負強さを発揮した代打屋 27日に競馬の祭典、日本ダービーがあった。全国の競馬ファンが大いに熱狂したのはもちろん、シーズン中のプロ野球界でも、きっと“あの人”だけは落ち着かなかったはずだ。  現在、巨人の育成コーチを務める大道典嘉のことである。大道は本業のほかに、球界屈指の競馬通として知られる人物だ。  1988年に当時の南海ホークスに入団した大道は、球団がダイエー、ソフトバンクと身売りされていく中で、職人肌のクラッチヒッターとして活躍。ずんぐり体形の巨漢を小さく

往年のプロ野球選手から処世術を学ぼう【野球バカとハサミは使いよう#1】

“球春到来”に合わせ、2012~13年にかけて東スポ紙面連載された往年のプロ野球選手から処世術を学ぶコラムを復刻します。選手のエピソードから導かれる教訓は日々の生活に役立つこと間違いなしです! たった1回でも〝伝説〟は存在感を高める 今季のプロ野球が開幕した。開幕戦の主役を飾ったのは、周囲の予想を良い意味で裏切る完投勝利を挙げた日本ハムの開幕投手・斎藤佑樹だ。大舞台でも物おじしないハートの強さこそが、彼のスター性なのだろう。  予想を裏切るという意味では、1988年の開幕