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【プロレス】豪傑列伝

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プロレスと格闘技界の豪傑のエピソードをまとめました。
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#プロレスリング・ノア

ゴルゴ13をライバル視した青木篤志「特別仕様なのか?それともデューク東郷の腕がいいのか…」【豪傑列伝#25】

 狙った獲物は逃さない。誰からともなく“有明のゴルゴ13”“金髪スナイパー”と呼ばれるほど、独特の殺気を持った男がいる。ノアの青木篤志だ。リング上ではスピーディーな関節技を得意とする青木は、自衛隊時代は銃の扱いに卓越し、射撃の名手として知られていたという。  青木が自衛隊に入隊したのは、高校卒業後の1996年4月。まず最初に埼玉・朝霞駐屯地で半年間の新隊員教育を受けた。予想以上に厳しい訓練が待ち受けていたが、青木は自分の特殊な能力に気がつく。  銃は使った後に入念な手入れ

極貧から這い上がった中嶋勝彦「もちろん修学旅行は欠席です」【豪傑列伝#14】

 中嶋勝彦は、過酷な少年時代を過ごしてきた。貧しい幼少期を経て、14歳でプロレス界に入ってからは、1年365日24時間プロレス漬けの生活を送る。同年代の友人が青春を謳歌する間、ただひたすらに歯を食いしばって未来を見続けてきた。  3人兄弟の次男として生まれた中嶋は、母子家庭で育った。母親・富士子さんが家計を支えていたが、小学校高学年に入る頃から生活は苦しくなる。電気、ガスが止められることもしばしば。夕飯は母親が仕事先から持ち帰ったコーンスープだけという日もあった。  しか

ケガをしても練習を休まない小橋建太「あの温厚な馬場さんが怒ったんだ」【豪傑列伝#6】

 2007年12月2日、日本武道館。腎臓がんを克服した小橋建太が546日ぶりにリングに戻ってきた。日本中が注目した鉄人の復活劇だったが、わずか9か月後の翌年9月には、両腕の手術で再度長期欠場を余儀なくされる。2000年8月にノアが旗揚げしてから、小橋が長期欠場したのは実に4回。ひざと腕は何度も故障しており、体にメスを入れた回数は何と11回になるという。  小橋の記憶では、初めて試合を欠場したのは全日本プロレスの若手時代。まだ故ジャイアント馬場さんの付け人をやっている時だった