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生きていくために必要なことは野球から学んだ【石毛宏典連載#20/最終回】

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プロ野球OBによる育成システムの確立を

 2011年7月、私は中学生の硬式野球チーム「愛媛ラディアンツ」を設立した。愛媛・松山で「石毛野球塾」を開講していることもあって、地元の方々からチームをつくってほしいという要望が多くなっていた。そして、私自身も野球界のあるべき将来像というものをイメージしていた。その一つがプロ球団がユースやジュニアユースといった中高生を対象にしたチームを設立することだ。

 日本は高校野球から直接か、大学や社会人を経てプロ野球に進むというのが主流だ。私はその道だけではなくプロ球団がジュニアユース、ユースチームを運営し、子供たちを指導してトップリーグで活躍する人材を育成するシステムを構築するべきだと考えている。

少年野球教室でバッティングを披露する松井秀喜(2004年1月、東京ドーム)

 指導するのはプロ野球OBだ。現在はプロアマ規定の関係でプロ野球経験者による子供たちへの指導が制限されている。プロ野球という高いレベルで培った技術を十分に伝えることができていない。野球教室などで子供たちを見ると指導者の重要性を痛感してしまう。少年野球の監督、コーチや学校の部活の顧問の方々も本業を持ちながら、指導の勉強をしていると思う。ただ、残念ながら正しい指導ができているか、というと首をかしげてしまうケースが多い。

 少年時代に正しい基本を身につけることは技術の向上とともに故障防止にもなる。そのためにもしっかりとした技術を習得したプロ野球OBが指導できる環境の整備が必要だ。スター選手を生み、球界の活性化につながる。今年もダルビッシュ有が米大リーグで活躍しているように、トップレベルの選手がメジャー挑戦の夢を抱くのは仕方がないことだ。彼らが海を渡ることを阻止する方法を考えるのではなく、彼らが抜けた穴を埋めるスター育成の方法を確立することが先決だろう。

中居殉也

 私は愛媛ではソフトバンクで二軍コーチを務めていた中居殉也とともに子供たちを指導している。野球はもちろん礼儀、作法も教えている。5月の中居の誕生日には野球塾の卒業生が、進学した高校の野球部の練習後にわざわざ顔を出して中居に花束と手紙を渡していた。手紙を読んだ中居の目は心なしか潤んでいた。子供たちはすぐにいろいろなことを吸収し、目に見える変化を見せてくれる。だからこそ、この時期の指導者の力量が大切になる。人々を魅了するためにはレベルアップは欠かせないし、若いスターが生まれれば球界は盛り上がる。NPBを中心に指導力を充実させるシステムの確立が急務ではないだろうか。

 現役選手にもお願いがある。全選手が年俸の何%かを寄付して野球少年を対象にした奨学金制度を確立してほしい。景気の悪化により、経済的な事情で野球をあきらめてしまう子供も増加している。一人でも多くの子供がプロ野球を目指すことができる環境を提供してあげてほしい。社会貢献、青少年育成につながることでもある。今度、駒大野球部の後輩でプロ野球選手会を務めている新井貴浩会長に提案してみようと思う。

体が動くうちにもう一度、ユニホームを

 私は今、新たな挑戦に取り組んでいる。“IT参入”だ。これまでパソコンを扱ったことはなかった。公式ブログ「石毛流 以心伝心」も私の手書き原稿を「石毛野球塾」の管理部長を務めている中居殉也がパソコンで打ち込んでいる。パソコンに限らず電子機器の類いは苦手だ。だが、一念発起して挑戦することにした。

 私がIT機器を手にすることを決意した理由は正しい野球技術を広めるツールとして活用できる可能性があると考えているからだ。現在、東京と愛媛・松山で開講している「石毛野球塾」をはじめ、各地で野球教室を開催している。こうした野球技術を学ぶことができる講習の需要は高い。

 できるだけ多くの子供たちに基本をマスターしてもらうためにもプロ野球OBによる野球塾が全国的に広まることを期待している。その一方で爆発的に普及しているスマートフォンを活用できるのではないだろうか、とも思う。打撃理論、投球動作や守備について私が講義をしている映像を配信。これをスマートフォンで見ることができればグラウンドで少年野球の監督やコーチが映像で確認しながら指導できる。持ち運びが自由なスマートフォンなら家庭でも利用できる。球界のレベル底上げには有効な方法だろう。実現に向けて購入したばかりのiPadと格闘中だ。

ダイエー時代、沖縄で自主トレを行った石毛(1996年1月)

 私の野球改革はもう一つある。NPBのファーム組織のあり方だ。例えばウエスタン・リーグ5球団の拠点をすべて沖縄県内にできないか。私自身も何度も沖縄で野球教室を行い、地元の人々の野球熱が高いことを実感した。多くのプロ球団がキャンプを行っており、立派な施設も多い。その中で地元は観光協会などが地域振興につながる起爆剤を探している。球団にとっては入場料収入が見込めない二軍の経費が負担になっている。収益が上がる形で二軍のリーグ戦を開催できれば沖縄の人々と球団の双方に大きなメリットが生まれる。NPB、地元と行政が協力すれば黒字経営できる可能性は高い。景気低迷によって各球団とも厳しい経営を迫られている。こういう時こそ思い切った改革が必要だろう。

 私は野球を通じて育てられてきた。礼儀や人間関係の築き方をはじめ、生きていくために必要なことを野球から学んだ。野球には人を育てる力がある。世の中を変える力がある。私は野球界を発展させることが日本全体が活気づくことにもつながると信じている。

ベルーナドームでの西武対阪神戦前に行われたOB対決に登場した石毛氏。懐かしいライオンズユニホーム姿でVサイン(2024年6月14日)

 今年で56歳になる。こうして振り返ってみれば、改めて突っ走り続けてきたような気がする。選んだ道に後悔はない。今後はどういう道を歩いていくことになるのだろうか。体が動くうちにもう一度、ユニホームを着たいという気持ちもある。大学時代から抱いていた母校・駒大の監督という夢もある。いずれにしても私は与えられた立場でできること、やるべきことに全力で取り組んでいくつもりだ。野球や将来を担う若者、そして愛する家族のために――。しっかりと前を向いて「標なき道」を歩いていこう! (終わり)

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いしげ・ひろみち 1956年9月22日、千葉県旭市生まれ。市立銚子から駒大、プリンスホテルを経て81年に西武ライオンズにドラフト1位で入団。8回の日本一、11回のリーグ優勝に貢献。新人王(81年)、シーズンMVP(86年)、日本シリーズMVP(88年)、ベストナイン8回、ゴールデングラブ10回、14年連続球宴出場と輝かしい成績を残す。94年オフ、ダイエー(現ソフトバンク)にFA移籍。96年に引退。ダイエー二軍監督、オリックス監督を歴任。その後、四国アイランドリーグを創設するなど各地の独立リーグ設立に尽力。現在は野球教室「石毛野球塾」の塾長を務める。著書は「石毛宏典の『独立リーグ』奮闘記」(アトラス出版)。

※この連載は2012年5月8日から7月13日まで全40回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全20回でお届けする予定です。

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