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早くトイレに行きたい!無欲で打ったら…ホームラン【野球バカとハサミは使いよう#14】

無心無欲が一番能力を発揮できる

 あらゆる仕事において、人間が最大の能力を発揮できるのはどんな局面か。日頃からの努力に加えて、体調や精神の管理も重要になってくるだろう。

 その点について、1990年代にイチローらとともにオリックスで活躍した外国人選手、トロイ・ニールが見事な回答を示してくれた。ニールといえば、96年に本塁打王と打点王の2冠に輝いた左の長距離砲である。

 彼が残した最大の伝説は、98年5月15日の対ダイエー戦だろう。試合前、オリックス・仰木彬監督はいつものようにニールを4番・DHで先発登録しており、敵将とのオーダー表の交換も済ませていた。ところが、ニールは試合直前になって体調不良を訴え、嘔吐と下痢の症状に苦しみだしたのだ。

オリックスのニール

 そこで仰木監督はニールを先発から外すことを決意した。しかし、これを認めなかったのが公式記録員。野球規則に「打順表に記載された指名打者は、相手チームの先発投手に対して、少なくとも1度は、打撃を完了しなければ交代できない」と書かれているからだ。

 かくして試合に出場せざるを得なくなったニール。指名打者のため、1回表の守備につかずに済んだのだが、裏の攻撃になると下痢の波が襲ってきた。しかも、よりによってランナーが1人出たため、4番・ニールに打席が回ってきてしまう。

 普段のニールなら気合満点で打席に立つ局面だが、この日は早く打席を完了させたかったため、初球を適当にスイング。すると、これがなんとツーランホームランになったのだ。

 圧巻である。下痢に耐えていたことで、無心無欲の境地に達したのかもしれない。打撃の極意のひとつに「無意識に下半身に力を入れる」という説があるが、このときのニールは違う意味でそうだったのか。

 なお、ホームランを放ったニールは少しも喜ぶことなく、鬼の形相でダイヤモンドを全力疾走。味方とのハイタッチも拒否し、さっさとベンチ裏に消えていった。間違いなくトイレだ。

ダイエー戦の試合前、球場で結婚式を挙げたニール(99年7月、GS神戸)

 これを笑い話で済ませてはいけない。サラリーマンの仕事においても、自己最大の能力を発揮するための理想的な精神状態は無心無欲であるということの見本である。頭を真っ白にすることで、自分の能力が余計な色に染まらず、そのまま表出されるのだろう。まるで説話だ。

 もっとも、それは日頃からの努力の蓄積があってこそのものだ。やるだけの努力はやってきたと自負できるのなら、あとは余計なことは考えず、大きな仕事に臨めばいいのだ。

組織のニーズに対応する〝忠犬型人間〟はかっこいい

 阪神タイガースの伝説のヒーローとなった八木裕は、1990年代後半から2000年代にかけて球界屈指の代打屋として名をはせた選手だ。特に97年は代打成功率4割、98年は開幕からしばらく代打成功率5割以上を記録。その驚異的な勝負強さから「代打の神様」と呼ばれた。

 代打・八木のすごさとは、ここ一番の集中力と思い切りの良さ、そして相手投手の勝負球を左右に的確に打ち分けられるシュアなバットコントロールにあった。チャンスの場面で炸裂する、しぶとい打撃は敵軍にとって厄介だったことだろう。

 しかし意外なことに、代打に専念する前のレギュラー時代の八木は、どちらかというとバットを荒々しく振り回す長距離砲タイプで、確実性に欠ける打者であった。実際、90~92年までは3年連続20本塁打以上を記録しつつも、打率は常に2割台中盤、三振も多かった。

阪神の八木裕

 後年、八木はこのころについて「本来の自分の打撃でないのはわかっていたけれど、チーム事情から長打を狙う役割を担っていた」と語っている。八木の本質は中距離打者なのだが、当時の阪神打撃陣には長距離砲が少なく、チームから長打を求められていたため、それに忠実に従っていたというわけだ。

 かくして八木は貴重な若い時代を分不相応な長距離砲として過ごし、晩年に代打屋になってから初めて、本来のシュアな打撃を披露するようになった。そうなった経緯もまた、代打として「チャンスで確実にランナーをかえす」ことをチームから求められたからだろう。八木はどこまでも組織に忠実な男なのだ。

 そう考えると、現役時代の八木がファンから絶大な人気を誇り、引退後も球団から指導者として寵愛されている理由がよくわかる。八木は常に「自分が求める仕事」よりも「自分に求められる仕事」を優先し、徹底的に組織に尽くしてきた。神様ならぬ、忠犬・八木様だ。

 こういった忠犬性は、サラリーマンも見習うべきだ。仕事において、自分の個性を必要以上に発信するのではなく、組織のニーズに従順な姿勢を貫く。現代ではそういう犬型人間よりもマイペースな猫型人間のほうが憧れの対象になりがちだが、犬型にはいつまでも人々から求められるという強みがある。

 従うことは決して屈することではない。自分を捨てることでもない。それは組織に誠実に貢献するということだ。なぜ犬が古くから人間に愛されてきたのか。それを考えると、犬型人間の素晴らしさがよくわかる。そう、犬はかっこいいのだ。

引退セレモニーでナインに胴上げされる八木(04年10月、甲子園球場)

山田隆道(やまだ・たかみち) 1976年大阪府生まれ。京都芸術大学文芸表現学科准教授。作家、エッセイストとして活躍するほか大のプロ野球ファンとして多数のプロ野球メディアにも出演・寄稿している。

※この連載は2012年4月から2013年9年まで全67回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全33回でお届けする予定です。

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