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足首を折られても心は折れなかったハルク・ホーガン【タイガー服部が語る強豪外国人#6/最終回】

 ヒロ・マツダさんの道場でコーチをしていたオレにとって、マツダ門下生のハルク・ホーガンは印象深い男の一人だ。

 高校でレスリングをやっていたホーガンは、たまたまオレの家の上に住んでた自分の友達を通じて「マツダさんの所へ連れてってくれ」と入門を志願してきた。

 当時のホーガンは体も大きかったから腕っぷしにはかなりの自信を持っていた。それに、アイツはロックバンドもやっていたこともあって、かなり生意気なヤツだった。

 マツダさんにもふてぶてしく見えたんだろう。だからホーガンはスパーリングで足首を関節技でポキリと折られてしまった。

新日マットでブレークしたホーガンは、その後米国で大人気となった

 あまりに悔しかったんだろう。ホーガンはその後、タンパから車で30分ぐらいの所にあるメルボルンのイーストコーストにあるジムで、半年ぐらい猛特訓して戻って来た。体も前よりも大きくしてね。オレはホーガンのやる気に感激したよ。

 マツダ道場の厳しい練習に音を上げることはなかった。力が強くて、よく練習していた。ホーガンのデビュー戦も裁いたけど、パワーだけで相手をメチャクチャにするほどだ。

 ただリングでは少々不器用な男でもあったから、ブレークするまではすごく苦労した。週1回しか試合がなくて厳しい生活を余儀なくされたこともあった。そんな時、ホーガンは赤いバン1台に寝泊まり。今思うと、あの時にハングリー精神を養っていたんだろうな。

「上達するには痛みが伴う」という理念

 ニューヨーク(WWE)で成功して、新日本で猪木さんとの戦いで一気にスターダムにのし上がってからは、カネの心配はいらなくなった。むしろありすぎて困ったくらいだ。オレが成田からニューヨークにホーガンを送る時は、カネがカバンの中に入りきらなかった。だから、オレのブーツの中にも札束を入れてホーガンの家まで持って行ったよ。あのふやけた札のことは忘れられない。

 今ではタンパにプライベート・ビーチを持っているほど成功しているホーガン。だけど、プロレスにかける情熱は人一倍。「上達するには痛みが伴う」という理念を持っている。だから、中途半端な気持ちでプロレス入りするヤツは大嫌いだ。

ホーガン(右)とビーフケーキ(1993年3月、米サウスカロライナ州ノースチャールストン)

 一方で、後輩は大事にする。前に一緒にハワイに行って、パラシュートをボートにつないで海を楽しむ「パラセール」で遊んでいた時のことだ。同行した兄弟分のブルータス・ビーフケーキの彼女が着陸を誤り、ヒザがビーフケーキの顔面に直撃。ものすごいスピードだったから顔面が陥没してしまった。その治療費をホーガンはポンと払った。男気のあるヤツだ。

 リングでは豪快なレスラーで生粋のエンターテイナー。でもそんなことができるのは地道に努力を重ねて仲間を大事するハートがあったからだ。 

※この連載は2006年4月9日~5月まで全6回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やしてお届けします。

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