武藤敬司が語るハルク・ホーガン&坂口征二【スーパースター烈伝#2】秘蔵写真12点!!
はじめに
九スポ(九州スポーツ)でしか紙面掲載されなかった好評企画がnoteで復活!「武藤敬司のプロレススーパースター烈伝」では〝プロレスリングマスター〟武藤敬司が歴史に名を刻んだレジェンドレスラーたちをタブーなしで語ります。(運動二部・前田聡)
※ハルク・ホーガン編は2020年7月7日、坂口征二編は8月10日に九州スポーツ紙面で掲載されたものをnote用にまとめ直したものです
猪木とのタッグでMSGタッグリーグ戦を連覇したホーガン(1983年)
ハルク・ホーガンの存在価値は日本人の想像以上だ
ハルク・ホーガンと言えば、歴代のアメリカのレスラーの頂点ですよ。レスラーの価値って、どれだけ多くの人に影響を与えたかっていうことだと思う。日本では力道山であり(ジャイアント)馬場さんであり(アントニオ)猪木さんが飛びぬけてるけど、その世界レベルだね。「プロレスラーとはこういうもの」っていう骨格を作った。WWEという大きな組織と、おそらく唯一一人で対等に立つことができるレスラーでしょう。
最後に会ったのは多分、テレビ番組の撮影で2015年にアメリカに行った時じゃねえかな。フロリダ・タンパの空港で偶然。隣にセントピーターズバーグっていう街があるんだけど「そこでスポーツバーをやってるから来い」って言われた。仕事でいけなかったけど。
実はアメリカ人にとってのハルク・ホーガンって、日本人が思う以上の存在だからね。テレビで、ホーガン一家の1日を追うだけの番組(Hogan Knows Best)が成立しちゃうんだから。どっかのメディアと裁判して百何億円も勝訴したり、とにかくケタ違いだよ。
「nWo」時代はヒールに転向するも爆発的な支持を集めた
初対面? ムタが1993年5月の福岡ドーム大会で、俺はその後の大阪城ホール大会でシングルマッチをした時ですよ。リング上で初めて会った。柔らかくてスマートなレスリングだったな。若手時代に新日本でもまれて基礎がしっかりあるっていうのが大きいんだろう。普通の外国人選手ができないような細かい動きもしていた。その後9月に横浜アリーナで(ヘルレイザーズと対戦して)タッグも組んだな。
ホーガンはグレート・ムタとも激闘を繰り広げた
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