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W杯で戦える喜びとは…1993年「ドーハの悲劇」を東スポで振り返る

 運命のスペイン戦まであと少し。我らがサッカー日本代表はカタールW杯初戦のドイツ戦で、〝ドーハの奇跡〟と言われるほどの逆転劇を見せてくれました。ところが一転、第2戦のコスタリカ戦で不用意な失点を喫して敗れてしまったことで今、厳しい批判にさらされています。勝つために、日本サッカーが成長するために、まっとうな批判というものもあるでしょう。しかしながら、世界最高峰のW杯という舞台で戦えることの素晴らしさをもう一度思い出してみてはどうでしょうか? 遡ること29年前、日本代表が同じカタールの地で経験した「ドーハの悲劇」を当時の東スポ(1993年10月30日付紙面)で振り返ってみましょう。きっと日本代表を応援する気持ちがよみがえるはずです!

ドイツ戦のスターティングメンバ―(22年11月、カタール、カメラ=平田一弘)

俺たちの悲願…カタールの夢と消える

【カタール・ドーハ28日(日本時間29日発)=山下賢次、手塚宏特派員】日本がアジアの壁の前に散った。サッカーの94年米国W杯アジア地区最終戦3試合は当地で同時に行われ、日本代表ーイラク戦は2ー2、サウジアラビアーイラン戦は4ー3でサウジが、韓国ー北朝鮮戦は3ー0で韓国が勝利を収めた。この結果、勝ち点7の首位・サウジと、日本と勝ち点6ながら得失点差で競り勝った2位・韓国がW杯出場権を獲得。目前で悲願の初出場を逃した日本代表は大ダメージを受け、大会表彰式を欠席する非常事態が発生した。

カズ 試合後の表彰式をボイコット

 残り試合時間0分のロスタイムで2ー2の同点に持ち込まれ、直後に試合終了を告げるホイッスルが響いた。カズ、ラモス瑠偉、柱谷哲二……イレブン全員がグラウンドに座り込み、10分間も立ち上がれなかった。まさに天国から地獄。代表イレブンのどん底の精神状態は深みにはまる一方だった。その象徴が試合終了後、2時間以上経過してからプレスセンターのあるラマダ・ホテルで行われた大会表彰式だ。

森保監督もドーハの悲劇を味わったひとりだ

 アジア地区最終予選ベストイレブンにサウジから3人、韓国から2人、同じくイランから2人、そして日本からGK松永成立、DF柱谷、MFラモス、FWカズと最多4人が選出されている。サウジ、韓国はもちろん、イランの2人も出席したのに対し、日本の4人は全員欠席なのだ。「選手の疲労があまりにも激しいのでFIFA(国際サッカー連盟)に連絡し、欠席の了承は取りつけた」と小倉純二・日本サッカー協会専務理事。確かに大会規定に選手の表彰式出席義務はないが、得点王(カズと同得点の4点)、MVP、ベストイレブンと3冠受賞のアリ・ダエイ(イラン)が他国の選手、関係者から大きな拍手を受けるシーンとは対照的だ。「選手に非はない。私の責任で決めたこと。すべての責任は私にある」とJリーグチェアマンでもある川淵三郎強化委員長。W杯初出場へすべてをかけた戦いが想像もできない形で閉ざされただけに「選手がかわいそうとしか言えない」(川淵強化委員長)という落ち込みぶりもわかるが、他国からは表彰式ボイコットと見られても仕方がない状況だ。

現在の日本代表の指揮をとる森保一監督(22年11月、カメラ=平田一弘)

 張りつめた気持ちが一気に崩れ、どん底状態の代表戦士だが、時間は待ってくれない。11月6日にはJリーグ第2ステージ後半戦が開幕。空前のサッカーブームという追い風に乗っているものの、まだ安泰には遠いJリーグ。W杯予選敗退虚脱症状が続いてしまうと、Jリーグに存続の危機が訪れる。

カズも柱谷も中山も涙ボロボロ

 カズの守りが破られてからの痛恨のロスタイム失点。皮肉にも、日本をここまで支えてきたエースが1対1で負けたことが、悪夢の同点劇に帰着した。

敗戦のショックで立ち上がることができないラモス瑠偉(93年10月、ドーハ)

 イラクのショートCKを警戒したカズがマークについた。一度右に引っ張られ、切り返されて左へ。スライディングをしたが届かず、センタリングを許す。そしてオムラムの同点ゴール。カズは急いで体ごと止めにいくチェックをしてかわされた。残り30秒もない状況を考えれば、じっくり構えてボールを持たせ、時間を消費させる守り方でもよかったのではないか。

 オフト監督の選手起用も不可解だった。1ー1と得点が必要な時に、さほど調子のよくない福田を入れて長谷川を下げた。韓国戦で活躍した北沢ではまずかったのか? 2ー1の後には、FWの武田を入れて前線からプレッシャーをかけさせた。三浦泰のような守備的選手を入れて、守りを固めてしまう手はなかったのか。

 イラクの弱点の左サイドから、日本は再三チャンスを作った。が、それを徹底できなかった。「今日は出来が悪い」とオフト監督が話した通り、試合は全般的にイラクペース。ボールコントロール、1対1の強さもイラクが上だった。試合内容ではイラク優勢といえた。

 イラクの執念はどうだ。ロスタイムで同点に追い着いたところで、W杯への道はない。引き分けも負けも同じなのに、最後まであきらめずにゴールを襲い続けた。劣勢になると気力がなえるチームが今回は違った。

「これがサッカーだ」とオフト監督は言った。まさにサッカー。奇跡的に手にしかけたアメリカへの切符を信じられないような形でつかみそこねてしまった。

 前半6分、長谷川が右サイドにパスを出し、粘った中山が中央に折り返し、走り込んだ長谷川が左足シュート。バーに跳ね返ったところを頭で押し込んだカズ。後半25分、ラモスのスルーパスを受けた中山の感動的ゴールもすべてはカタール・ドーハの夢と消えた。

茫然自失の日本代表(右はカズ、93年10月、ドーハ)

日本サポーターも泣き崩れる

 日本のサポーターも涙。統一された熱狂的な応援が地元紙に大きく取り上げられてきた日本代表応援団約600人。終了直前のイラク同点ゴールでそれまでの大歓声がピタッとやんで、すぐに終了のホイッスル。それまで総立ちだったサポーターは力なく腰を下ろした。選手同様サポーターも悲壮感を漂わせ、スタンドに泣きながら近寄ってくる主将・柱谷哲二を見て何人ものサポーターがその場に泣き崩れていた。
 一方、イラクの約1万人のサポーターが引き分けにも大喜びだったのとは対照的だった。

応援し続けたサポーター(93年10月、ドーハ)

負けた…これがサッカーだ

オフト監督の話=〝負けた〟。これがサッカーだ。前半はナーバスになり、コンディションも悪かった。後半は20分ごろまでに回復し、メンバーも代えたが、今予選2度目のロスタイムの失点でやられてしまった。
川淵三郎団長の話=選手に言葉をかけようにもみんな泣いていたからかけようがなかった。私自身、なんとも言葉がない。あれだけ押されっ放しで、日本が勝ったら奇跡だったんだが……。

立つことができない柱谷主将を抱きかかえるオフト監督(93年10月、ドーハ)

オフト監督続投へ

 ハンス・オフト監督の続投が濃厚になった。昨年5月に日本代表史上初の外国人指揮官に就任したオフト監督。最終予選が敗退の結果に終わったことで、去就が注目されていたが、続投がほぼ確実になった。

「こういう結果で自分の進退を決めたくない。来年5月まで契約が残っており、その後も契約延長があるかもしれない」(オフト監督)

 日本代表の監督はサッカー協会強化委員会で決定されるシステムとなっており、川淵強化委員長もオフト監督の手腕に高い評価を与えている。

「負けたからオフト監督の指導に問題があったとは考えていない。今までの戦績を見ていると彼なりの成果を上げており、監督の手腕が大きいと考えている」(川淵強化委員長)

 オフト監督自身と協会サイドの思惑が一致しているだけに、最低でも来年5月までは続行。「次回の98フランスW杯から逆算して何年間か監督を任せる方法も考えたい」(川淵強化委員長)としていることからも契約延長も可能性十分だ。

 ただ、オフト体制下でもメンバーの刷新は必至。ラモスらベテラン勢が多かった今回の代表イレブンだけに、大幅な若手抜テキを図ることは間違いない。

韓国が執念の逆転出場

 奇跡が起きたのは韓国だった――。
 北朝鮮に大差勝ちして日本かサウジアラビアが引き分けた場合に限り、W杯への道が開かれる韓国。前半、再三のチャンスをつかみながらノーゴール。

 後半に入って高正云コ・ジョンウンが突破口。予選突破に全く望みのない北朝鮮のゴールに黄善洪ファン・ソンホン河錫舟ハ・ソッチュが得点。3ー0で試合終了のホイッスルを聞いた。

 掲示板には日本が2ー1でイラクをリードしていることが表示されていたから選手は無表情。一点、日本が引き分けた知らせを耳にした瞬間、お互いが抱き合って万歳。涙を流して喜びを表した。

 スタンドに陣取った約400人のサポーターも太極旗(韓国国旗)を激しく振りながら「奇跡だ」の連呼。

 韓国は3大会連続、四度目のW杯出場となった。


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