房総半島を日本のトレジャーハンティングの聖地に
noteで甦った伝説のコラム。埋蔵金の第一人者・八重野充弘氏が東スポで連載したものだ。埋蔵金だけではなく、様々なお宝とロマンを追い求めるトレジャーハンターが夢見ることとは…。
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アメリカのフロリダ半島は、トレジャーハンティングの聖地といっていいだろう。周辺の海には、数多くの船が財宝を積んだまま沈んでいて、ときおり大がかりなサルベージが行われ、砂浜に打ち上げられる金貨や銀貨を、金属探知機で探し回る人々が後を絶たない。
そんな楽しいことのできる場所が、日本にもないものかとずっと思っていたら、小判が見つかる可能性のある浜が見つかった。すでにこの「東スポnote」にも掲載したが、房総半島の突端にある千葉県館山市の塩見海岸だ。2005年の夏、近くに住む老人が時価約30万円の元文小判を1枚拾ったが、沖には江戸時代の船が沈んでいるから、流出したものがもっとあっても不思議はない。
そこで、テレビ番組のための取材を皮切りに、日本トレジャーハンティング・クラブは過去5回にわたり、波打ち際から次第に沖合へ向かって調査を行い、まだ発見できていないものの、かなりの手応えを感じている。
記憶をたどれば、房総半島に宝探しを目的として通うようになったのは1978年からだから、もう40年以上もたつ。回数は20回を軽く超えるだろう。手始めの場所は市原市の金剛地というところ。別のグループと筆者の仲間とが合体して埋蔵金探しに挑戦したのだが、これがJTC(日本トレジャーハンティング・クラブ)誕生のきっかけだった。ここはいわばJTC発祥の地なのである。
我々が最初のターゲットとしたのは、金剛地の旧家成島家の埋蔵金だ。もとは、戦国時代末の土気城主だった酒井康治の軍用金で、豊臣秀吉の小田原攻めの際に北条方について敗戦、地元では酒井家よりも古い成島家がその軍用金を預かり、江戸時代の半ばに埋蔵したという。成島家の蔵から、次のような文書が出てきたのは幕末のことだった。
同家では3代80年にわたり、屋敷中を探したが見つからず、昭和の初めに文書を一般公開したところ、全国から探索者がわんさと押しかけ、それぞれの解釈で屋敷以外の場所を掘ったが、誰ひとり成果をあげたものはいなかった。
筆者は、文書の謎を解き、埋蔵場所がわかったという兵法研究家の山城氏と出会い、彼のグループに筆者が仲間とともに協力する形で探索を始め、足かけ3年にわたって続けた結果、横穴を1つ見つけたものの、時価100億円を超えると想像される黄金は手にすることができなかった。その後、テレビの特番での発掘の最中に、別の横穴が見つかったが、ここも空っぽ。ただ最近になって、仲間があるポイントを探知機で探り出し、発掘の許可も取っているというので、もしかしたら近いうちに調査をやることになるかもしれない。
房総半島の内陸部には、ほかにも里見家の財宝など、魅力たっぷりの伝説がある。また、外海にも内海にも未調査の沈没船が多く、楽しみが残されている。筆者の夢は、房総をトレジャーハンティングの聖地、日本のフロリダにすることだ。