現役の最後には、若いころの忘れ物を取りに行こう!【野球バカとハサミは使いよう#28】
「メジャーに最も近い男」と評された佐々木誠
かつての日本球界にとって、MLBははるか遠い存在だった。1995年に野茂英雄が日本人メジャーの門戸を開いたわけだが、それ以前の日本人選手はたとえメジャーで活躍できる能力があったとしても、それを実現する術をもたなかった。
なかでも、80~90年代の南海・ダイエーなどで活躍した左打ちの外野手・佐々木誠は特にそうだった。92年に首位打者を獲得した巧みな打撃はパンチ力も兼ね備えており、92年と94年には盗塁王も獲得した俊足の持ち主。さらに広い守備範囲と強肩にも定評があり、現在のオリックス・糸井嘉男に近いトータルプレーヤーだった。
実際、当時の佐々木は「メジャーに最も近い男」と評されており、自身もメジャーへの夢を抱いていたという。88年の日米野球ではメジャーのエース・ハーシュハイザーから本塁打を放ち、のちの大投手・マダックスからも二塁打を放つなど、メジャー関係者たちに「ササキを連れて帰りたい」と言わしめる大活躍を見せたのだが、それでも世が世なだけに佐々木がメジャー移籍することはなかった。
そして時は流れ、イチローと新庄剛志が日本人外野手として初めてメジャーに移籍した2000年。佐々木はすでに30代半ばになっており、かつての身体能力はすっかり衰えていた。しかも同年限りで、当時所属していた阪神からも解雇されたのだ。
ところが、ここからが特筆ものだ。佐々木は最後の最後でメジャーの複数球団の入団テストを受験。もちろん、力の衰えた佐々木がメジャー契約を勝ち取れるわけもなく、案の定どの球団も不合格に終わったのだが、それならばとばかりにアメリカの独立リーグに入団。若いころに夢見たアメリカの野球を1年間楽しんでから現役を引退した。
佐々木はメジャーに活躍の場所を求めたのではなく、現役の最後に若いころの忘れ物を取りに行ったのだろう。そこで燃え残った夢を満喫したのだ。
これはサラリーマンの引き際においても参考になる話だ。たとえば長年ひとつの業種に従事していれば、若いころに抱いた夢、つまり本当にやりたかった仕事を我慢してまで、与えられた業務をまっとうした経験などいくらでもあるだろう。
そんなとき、その夢を残したままリタイアするより、最後に少しだけ自分が本当にやりたかった仕事にチャレンジするのも悪くない。その際、仕事の成否は重要ではない。若いころの夢を楽しむことが、自分の人生を豊かにしてくれるのだ。
晩年に〝下流〟を経験したことで広がった視野
例えば会社で人の上に立つような人物は、過去の実績が豊富である場合が多い。これはプロ野球では監督人事にあてはまる。日本では現役時代に名選手だった方が、引退後に監督になれる確率が高いのだ。
しかし、だからといって名選手が必ずしも名監督になれるとは限らない。自分が名選手であったがために、発展途上の未熟な選手の気持ちが分からず、それによって統率力や求心力を失うことも少なくないという。
そう考えると、現在の埼玉西武・渡辺久信監督の経歴は実に興味深い。現役時代の渡辺といえば1980年代中盤から90年代の西武黄金時代を支えた右のエースだった。最多勝3回をはじめとする数々のタイトルに輝いたほか、甘いマスクで女性人気も抜群。要するに渡辺もまた、名選手出身監督の一人なのだ。
普通なら、この手の監督には先述したような危険性を感じなくもないのだが、彼は決してそうならなかった。2008年に西武監督に就任以降、過去5年間でAクラス4回(日本一1回)という好成績を残している。
その秘密は現役晩年の渡辺にあると思う。渡辺は98年限りで当時所属していたヤクルトを解雇されると、将来指導者になるための勉強として、そのころはまだプロ野球後進国であった台湾に渡り、選手兼任コーチとして活躍。台湾の未熟な若手選手たちを指導する一方で、自身も主力投手としてマウンドに立ち、3年間で35勝を挙げたのだ。
この経験は、後の渡辺監督にとって大きかったはずだ。彼のような元名投手が野球後進国でプレーするとは、よくプライドが許したものだ。しかし、それを体感したからこそ、未熟な選手たちの“リアル”を感じることができたのだろう。
また、引退後の渡辺が薄毛と中年太りの餌食になり、かつての甘いマスクを失ったことも大きいのではないか。渡辺はいろいろな意味で上流と下流を経験したからこそ、視野が広がったのだと、僕は勝手に妄想している。
これはサラリーマンの世界でも、部下の指導において参考になる極意だ。人の上に立つ人物とは往々にして若いころから有能だったためか、時に凡庸な部下の扱いに悩むことがある。彼らを理解しようと、目線を下げることができないのだろう。
それを打開するためには、渡辺のようにあえて下流を経験してみるといい。たとえ出世した後でも、プライドを捨てて若手と一緒に泥にまみれてみるといい。そうすることで、確実に視野が広がるはずだ。
※この連載は2012年4月から2013年9年まで全67回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全33回でお届けする予定です。