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マリオと宮本茂さんに教わった「ピンチはチャンス」

 アニメ映画『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』の快進撃が止まらない。全世界での興行収入は約1799億円にのぼり、アニメ作品の全世界歴代興行成績において歴代3位の大ヒット。映画が好きな私も4月28日に公開されるやいなや映画館に向かった。幅広い客層でにぎわい、マリオが老若男女から愛されているキャラクターであることを改めて実感した。(デジタルメディア室・佐藤悠樹)

パンフレット買っちゃいました

エンドロールで見つけた日本人の名前

 3歳くらいのとき、初めてテレビゲームで遊んだ。1990年発売のスーパーファミコン用ソフト「スーパーマリオワールド」で遊び、小学生のときには「スーパーマリオサンシャイン」(2002年発売)をプレーした。ポンプで水をうまく使いながらステージを攻略するのは難しく、世界観も少し不気味で怖かったのでよく覚えている。

 今回の映画にもゲームの小ネタがふんだんにちりばめられており、見終わったあとは「楽しかったー!!!」と心の底から思えた。ネタバレを防ぐため詳細は省くが、ファンが見たら「これはあのゲームの○○だ」「ここの元ネタはあの音ね」とにやけてしまうだろう。

 制作は「怪盗グルー」シリーズで知られるアメリカのイルミネーション社。エンドロールに外国人の名前が流れる中、「SHIGERU MIYAMOTO」と日本人の名前が大きく表示され、なんだか誇らしく思えた。この人は〝マリオの生みの親〟で任天堂代表取締役フェローの宮本茂氏。宮本氏とマリオの関係についてもっと知りたくなった私は、帰宅後にインタビュー記事や解説動画を読み漁り、この本にたどり着いた。

ポパイがマリオ…マジか

 本書にはのちにゲームプロデューサーとなる宮本氏のルーツが記されていた。1952年、京都市船井郡園部町(現:南丹市)に生まれた宮本氏は山や川、洞窟で遊ぶ幼少時代を過ごした。小学1年生のとき、担任の先生に絵を褒められたことをきっかけに描くことが好きになり、中学生のときは同級生と「漫画研究会」を発足させのめり込む。金沢市美術工芸大学(現:金沢美術工芸大学)で工業デザインを学び、1977年から地元・京都の玩具メーカーである任天堂に就職したという。

 マリオというキャラクターが世に出る1981年まで、宮本氏はどのように働いていたのだろうか? 

 1980 年には米国法人のNintendo of America(NOA)を設立し、海外展開を図る。ところが、米国に輸出した《レーダースコープ》という業務用ゲーム機で大量の在庫が生じてしまった。
「新しいゲームを載せた基盤だけを送ってくれないか」。そう、米国法人から依頼を受けた本社が考えたのは、ゲーム&ウオッチ向けに開発していたゲームを、業務用に転用することだった。

井上理『任天堂〝驚き〟を生む方程式』(日本経済新聞社出版、2009年、98p)

 このとき候補に上がったのが、ゲーム&ウオッチの新作として開発中だった「ポパイ」だったという。ところが、版権の問題でポパイ、その恋人のオリーブ、敵のブルートのキャラクターが使用できなくなってしまった。とはいえ、ゲームの舞台やルールなど骨格は流用できるので、代わりのキャラクターを考えればいい。上司に誘われてプロジェクトに参加していた宮本氏に〝運命の仕事〟が回ってくる。

 宮本はポパイの代わりに「マリオ」を、オリーブの代わりに「ピーチ姫」を、ブルートの代わりに「ドンキーコング」の絵を描き、「ドンキーコングが樽を投げる」「マリオがジャンプをして避ける」というアイディアを提案、それが採用された。宮本の記念すべきゲームクリエイターとしてのデビュー作である。
 ちなみに宮本は、もともと決まっていた工事現場という舞台設定から作業服のキャラクターを想起し、粗いドット絵でもわかりやすいという理由でヒゲをつけたキャラクターを描いて、単に「おっさん」と呼んでいた。米国法人の社員に見せたところ、マリオという同僚に似ていると話題になり、そう命名された経緯がある。

井上理『任天堂〝驚き〟を生む方程式』(日本経済新聞社出版、2009年、99p)

 もしアメリカで「レーダースコープ」の在庫がさばけていたら…、ポパイの権利問題がなかったら…、宮本氏がプロジェクトにかかわっていなかったら…。いろんな偶然が重なり合って、マリオというキャラクターが誕生していたことに心が震えた。しかも当時の宮本氏は入社3年目で27歳。今の私と年齢もそこまで変わらない。そんな若さでゲーム史に残るキャラクターを生み出していたなんて尊敬しかない。

マリオが初登場するゲームは「ドンキーコング」、ちょっとややこしい

 生きていればさまざまなピンチに陥ることがあるだろう。プレッシャーに押しつぶされ逃げ出しくなるかもしれない。そのときはこの話を思い出して、私も挑んでいきたい。「ピンチはチャンス」と宮本氏とマリオに教わったような気がする。

20年ぶりに名作をプレー

 現在、Nintendo Switch Onlineという任天堂のサブスクリプションサービスではファミコン、SFCなど昔のゲームで遊ぶことができる。私にとってマリオの原体験である「スーパーマリオワールド」を20数年ぶりに遊んでみた。幼少期の私でも楽しめたわけだし簡単だろうとなめていたら、意外と難しく「あともう一回だけ!」を繰り返している(苦笑)。


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