「猪木vsロビンソン」のレフェリーをやりたい者同士がエキサイト【プロレス語録#15】
現在はIGF総帥(正式な役職名は社長)とスーパーバイザーという関係で、プロレス復権を目指すアントニオ猪木とビル・ロビンソン。33年前のこの時期は、両者の一騎打ち(12月11日、東京・蔵前国技館)を控え、ピリピリムードが漂っていた。
これは来日前、ニューヨークに立ち寄り、ブルーノ・サンマルチノと「人間発電所VS人間風車対談」を行ったロビンソンが、ともにこの一戦のレフェリーに出馬表明していたルー・テーズとカール・ゴッチの両御大に対して放った言葉だ。
「猪木VSロビンソン」の正式決定後、戦う当事者たちよりもエキサイトしていたのが、テーズとゴッチの2人。ともに「この一戦を裁けるのは私しかいない」と一歩も引き下がらない。世紀の一戦を前に「テーズVSゴッチ」のレフェリー決定戦が噂されたほどのエキサイトぶりだ。
ロビンソンがサンマルチノに「言うなれば私にとってもイノキにとっても、ゴッチは先生。ゴッチのレフェリングじゃ思い切ってできないよ」とグチれば、サンマルチノも「テーズやゴッチは偉すぎるよ(笑い)。思い切ったファイトをするには、レフェリーの専門家がいい」と正論を吐く。
ロビンソンは「同じリングに上がって彼らに裁かれるのは嫌だ。圧迫されて息苦しくなるよ。ゴッチは苦手だ(笑い)」と続け、改めて、両御大のレフェリー案を拒否するのだった。
結局、レフェリーはレッドシューズ・ズーガン氏が務めることに決定。新日本プロレスの30周年記念イベント(2002年)でも歴代のベストマッチに選出された「猪木VSロビンソン」だが、60分フルタイム戦が歴史に残る名勝負となった裏には、両雄の力量だけでなく、ズーガン氏の力量も大きく加味されていたはずだ。
この語録はジャイアント馬場、ジャンボ鶴田組との対戦を約1か月後の12月9日に控えたインタータッグ王者・大木金太郎(パートナーはキム・ドク)が報道陣に発したひと言だ。
10月に馬場組から王座を奪取した大木は試合後「インタータッグのリターンマッチは絶対にソウル以外ではやらない」と王者の特権で母国・韓国でのV1戦を主張。ところが、全日&PWFサイドは馬場側の要求を認めて12月9日、日大講堂での防衛戦を組んでしまう。
この当時、大木はオフになると韓国に帰国。シリーズのたびに来日するパターンを取っていた。しかし11月13日に緊急来日。突然、東京・渋谷のボクシングジムに出現して頭突き特訓を敢行し、王座問題について語っている。リング上では血の気の多い大木だけに怒ると思いきや…。
「まあ、タイトルを取るまでさんざんじらされて…こっちにも意地があるから頑として突っ張った。しかし、それでは話は平行線をたどるばかり。タイトルを取った日は俺たちも相当興奮していたからね。まあ、結局はPWFの指示もあったし…」
なぜか、発言がトーンダウン。妙に礼儀正しくなっているのが不思議だ。大木はボクシングのへッドギアを装着して鉄柱に頭突き特訓。「相手が認めてくれるなら、へッドギアのようなものを着けてファイトしようかなと思っている」とまで話しているのだが、来日の目的を聞かれると「そんなに、せんさくしないでほしい」。
ここまでやっておいてそれはないだろうという気もするのだが、この律義さが災いしてか? 無念にも12・9決戦は敗退。翌年11月にはソウルでリマッチが実現し、この時は見事王座奪還を果たした。
※この連載は2008年4月から09年まで全44回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全22回でお届けする予定です。