見出し画像

「ウマ娘」の生徒会長!七冠馬シンボリルドルフの帝道を「東スポ」で振り返る

「皇帝」と呼ばれたシンボリルドルフ。無敗の三冠馬になったのも、七冠を達成したのも、日本の競馬史上、この馬が初めてでした。「ウマ娘」のシンボリルドルフが「レースでの実力、政治力、人格はどれも飛び抜けている」というキャラ設定になっているように、実際のルドルフも隙のないレースぶりで、まさに崇高な存在。1980年代半ば、海外への夢も見させてくれた最強馬を「東スポ」で振り返りましょう。(文化部資料室・山崎正義)

ルドルフの強さとは

 古い競馬ファンが口にする「ルドルフこそが史上最強」説。ただ、「どんなふうに強かったんですか?」と聞かれて、即答できる人は多くありません。で、しばらくして出てくるのは「とにかく負けない」「憎らしいほど強い」といった、ぼんやりしたものばかり。ぶっちぎりとか、華麗な逃げ切りとか、豪快な追い込みをする馬じゃなく、勝ち方のインパクトが大きくなかったので、言葉で説明しづらいんですね。で、メディアもファンも、抽象的なのに強さが伝わる便利で素敵なフレーズを使うようになります。

「ルドルフはゴール板を知っていた」

ゴール版

 余計分かんねーよ!という方もいらっしゃるかもしれませんが、これは実に言い得て妙でして、ルドルフは競馬というレースが、「ゴール板のところで一番前に出ていればいいゲーム」だと分かっていたということです。言い換えれば

「それを理解しているほど頭がいい」

 ということになります。競馬というものを理解しているので、レース前に余計な体力を使ったり(パドックでハイテンションになるなど)、全力を出すタイミングも間違えません。最後にしっかり先頭に立てる位置、つまり自分の脚力的に届くであろうポジションで待機して、ちゃーんと伸びてくる。ルドルフの代名詞とも言える戦法が「先行抜け出し」なのはそのためです。極端な戦法を取らない代わりに取りこぼしはなく、逆に言えば、ぶっちぎりも圧勝もないので、正直、面白味がない。前述のように「憎たらしいほどの強さ」になるんですね。相撲で言えば、横綱が取る相撲。誰が相手でも、しっかり受けて、しっかり寄り切る。時に大横綱の取組が退屈なのと同じです。

頭良さそう

 もちろん、勝ち切るだけの絶対的な能力の高さを持っていたからこそできた芸当ですが、高い身体能力を上手に発揮できない馬が非常に多いからこそ、ルドルフのこの頭の良さは目立ちました。「センスの塊」と表現する人もいます。好スタートを切って好位置を確保し、そこで体力を温存(「息を入れる」という表現をよく使います)、最後にスパートをするという〝競馬のお手本〟を難なくこなすからで、やはり聡明さゆえでしょう。そして何より驚くのは、それが、デビュー時に既に備わっていたことでした。

 初めてのレースは新潟の芝1000メートル。以前にも言った通り、この距離の新馬戦は〝逃げるが勝ち〟が常識です。一気にダッシュして息つぎなしで駆け抜けるイメージ。でも、ルドルフの素質を買っていた野平祐二調教師と岡部幸雄ジョッキーは、将来を見据え、競馬のお手本を早くも教えようとします。激しい先行争いの後ろにつけて、軽く息を入れさせるのです。1000メートル戦ですから、まさにほんのわずかでしたが、ルドルフは騎手の意図を理解し、少しだけ走りにメリハリをつけました。しかも、4コーナー手前で上がっていくときもガーッと一目散に行くのではなく、騎手の指示に従ってガマンし、直線を向いてから一気に力を爆発させます。外ではなく、内ラチ沿いに進路を取って、するするっと抜け出すあたりも只者じゃありません。本紙も注目の勝ち馬として、週明けに記事を載せています。

新馬後紙面

 後に野平調教師は、この新馬戦のことを「1000メートルで1600メートルの競馬を覚えさせた」と明かしました。前述のような〝競馬のお手本〟を教えるのには距離が短すぎるはずのレースで、あえてお手本を勉強させ、ルドルフはそれに応えたわけです。で、今度は「1600メートルで2400メートルの競馬をした」と野平師が語る2戦目。東京競馬場で行われた「いちょう特別」。

 ポンと好スタートを切ったルドルフは、すぐに控えたところで、まったくムキにならずに折り合いました。その後は静かに体力を温存。まだまだ若くテンションの高い他馬が必死に前へ前へ行こうとしたので、4番手あたりだった位置取りは気が付けば7~8番手になっていましたが、まったく焦る様子はありません。直線を向いて5番手に上がってきた時も、前とは結構な差があったのですが、急がず、ゆっくり追い出します。そして、飛ばしていた3頭が下がってくるのを見て、冷静に外に出し、グングン伸びていくのです。最後は抑える余裕も見せての完勝。冷静なレースの組み立て方が、まさに競馬の王道距離であり、ダービーの舞台でもある2400メートル戦のようだったため、野平師が前述のように語ったのでしょう。そして、強いだけではなく、並々ならぬセンスを悟った師とオーナーは、粋な計らいをします。普通なら12月に行われる関東地区の2歳ナンバーワン決定戦・朝日杯に照準を定めるはずなのに、11月27日の平凡なオープン戦に出走させるのです。この日行われたジャパンカップの外国人関係者に、日本にはすごい若駒がいるのを見せるためでした。

3戦目馬柱

 午前中、11時にファンファーレが鳴ったそのレースで、好スタートを切り、2番手で折り合い、終始持ったまま、ムチも使わずに楽勝した大人びた馬は、外国の競馬人たちにどう映ったのでしょう。いずれジャパンカップの舞台で蹴散らされることになるとは夢にも思わなかったはずです。

鎧袖一触 万邦無比

 ジャパンカップデーの勝利後、成長を促すため、ゆっくりと休養を取ったルドルフは、3月の弥生賞から始動します。しかし、ここで困った事態が起こりました。同じレースに出走を予定し、1番人気を争う存在になりそうなビゼンニシキの主戦も岡部騎手だったのです。

岡部

 改めて確認しておくと、岡部騎手はこの頃、既に関東のトップジョッキー。リーディングも取っていましたし、経験も積んだ30代半ばで、騎手として全盛期と言っていいでしょう。当然、有力馬の騎乗を依頼されることも多いので、このようなバッティングは起こり得るのですが、クラシック候補2頭というのは悩ましいところです。しかも、ビゼンニシキは4連勝で2月の共同通信杯(GⅢ)を制しており、実績としては上。岡部ジョッキーも素質を認めていました。本紙も含め、メディアもその選択に注目し、連日紙面で報じる中、レースの週の水曜朝、ついに名手が決断します。

弥生賞選ぶ

 選んだのはルドルフの背中でした。今考えると当然ですが、当時は驚きもあったといいます。大レースを使わず、ハデな勝ち方もしていなかったため、ルドルフの強さ、聡明さが知れ渡っていなかったからです。新聞の馬柱に載る過去のレース名と着順を見て予想するファンも半信半疑で、実際、レースではルドルフがプラス18キロの馬体増で出てきたこともあり、ビゼンニシキが1番人気になります。しかし、今の競馬界でもそうですが、トップジョッキーはこのような選択を間違えることはありません。乗っている者にしか分からない何かがあるのでしょう。当時の岡部騎手もこう言っていました。

「どちらが強いか。それはオレがこれはと決めた馬。そう判断してもらって結構だ」

 レースは、まさにその通りの結果となりました。生涯唯一の2番人気に甘んじたルドルフは、あっさりとビゼンニシキを退けます。

「これは本物だ…」

 関係者もメディアもファンも完全に白旗でした。センス十分のレースぶりで、追ってからの伸びも抜群。

「皐月賞も決まり!」

 誰もがそう思ったのですが、またまた困った事態が起こります。なんとレース中、ビゼンニシキと接触した際、足首のあたりに裂傷を負ってしまったのです。

弥生賞・結果

 出血がひどくて3針縫ったこと、抜糸するまで1週間かかることが記事に載っています。1か月半後に迫る皐月賞に向けて暗雲――といった報道は決して大袈裟ではなかったはずです。なのに、その後、順調に傷は塞がり、何とか皐月賞には間に合うのですから、やはりルドルフは〝持っている〟のでしょう。しっかりと出走表に名を連ねました。

皐月賞・馬柱

 順調さを欠いたぐらいで、やることを見失うルドルフではありません。いつものようにスタートを決め、すかさず3番手につけると、直線が短い中山競馬場だということを分かっているかのように、仕掛け遅れにならないように、4コーナー手前で早くも先頭に立つのですからさすがです。直線を向くと、外からビゼンニシキ。岡部騎手にソデにされた悔しさと意地。男らしい真っ向勝負にファンは「おっ」となりましたが、並ばれたルドルフに焦りはありませんでした。岡部騎手に促されてギアを上げると、あっさりビゼンニシキを突き放し、ムチすら使わず、最後は手綱を押さえる余裕しゃくしゃくのゴール。

皐月賞1

 単勝1・5倍の断然人気に応えた岡部騎手は、表彰式で指を1本立てました。

皐月賞2

 まず1冠――ということですが、相当な手ごたえと自信がなければできないパフォーマンスです。しかも、常に冷静沈着のポーカーフェイス、大風呂敷など広げない岡部騎手がやったのですから、競馬サークル内は「これは相当な器だぞ」とザワついたとか。当然、ダービーでも圧倒的な支持を集めます。

ダービー・馬柱

 単勝オッズは1・3倍。焦点は勝つかどうかではなく、どんな勝ち方をするかになっていましたから、3コーナーあたりでカメラに映ったルドルフにムチが入っていたのを見た時は誰もが「え?」と思ったでしょう。普段と違う手ごたえの悪さに、岡部騎手が「そろそろ上がっていかないと」とムチを入れたのです。この時点で8番手の中団やや前。ダービーは先行有利が定説だったので懸命に促したのですが、それでもルドルフは前に進んでいきませんでした。

「どうしたんだ?」

「体調が悪いのか?」

 焦りだすファン。岡部騎手も焦っていました。しかし、ルドルフは動かない。

「おいおい」

「アクシデントか?」

「大丈夫か?」

 ぜんっぜん、大丈夫でした。何とルドルフ、こう思っていたようなのです。

「まだ仕掛けるには早いですよ」

 そう、ここは直線の長い東京競馬場。ゴール板はまだまだ先。

「岡部さん、焦らず行きましょうよ」

 そう伝えるために動かなかったのです。バタバタしているのは人間だけ。ルドルフは全てを分かっていました。やっとのことで動き出したのは4コーナー手前。カーブを曲がりながら5番手に上がると、徐々にエンジンをかけていきます。残り200メートル、必死に追う岡部騎手を背に前にいる馬を射程圏に収めると自らグッとハミを取り、一歩ずつ一歩ずつ、着実にその差を詰め、計ったかのように差し切ったのです。

ダービー1

 場内を騒然とさせたあの手ごたえがウソのような余裕十分の勝利に、岡部騎手はレース後、こうコメントします。

「馬に教えられた」

 焦って早々に上がっていっても勝ったかもしれません。でも、ルドルフは提案したのです。

「東京競馬場の2400メートルを確実に勝利するにはこうじゃないですか?」

「私ならこうしますよ」

 名手すら仕掛けどころを誤るダービーという大舞台で、冷静に新たなお手本を示すとは、どこまで聡明なのでしょう。今風にツッコむならこうです。

「神かよ」

 で、当の岡部騎手はこう断言しました。

「ボクが巡り合った馬の中でも最強」

 もはや3冠は確実。いや、確実だからこそ、あえてそこを取りにいかず、菊花賞翌々週のジャパンカップへ向かうプランをオーナーが明かしたことを、翌日の紙面は伝えています。

ダービー・結果

 既に皆さんにもルドルフの強さと頭の良さは伝わっているでしょうが、陣営の手ごたえも相当だったのでしょう。その後、オーナーはさらなる野望を口にするようになります。

 三冠やジャパンカップよりも海外――

 何と、夏の終わりの米国GⅠや秋の凱旋門賞をターゲットに遠征をするというのです。まだ日本馬が外国で勝つなんて現実味のない時代。事実、60~70年代、何頭もの日本のGⅠ馬が米国に遠征し、まったく歯が立たず大敗していたのですが、ルドルフのオーナーは単なる馬主ではありませんでした。和田共弘さんという、日本を代表する競走馬の生産者でもあったのです。

和田共弘

 常に海の向こうに目を向け、積極的に海外の血も取り入れていました。ルドルフの父・パーソロンを輸入した張本人でもある和田さんにとって、日本の三冠より憧れの海外GⅠ…。

「勝つにはこの馬しかいない!」

 そう感じさせる最高傑作こそルドルフだったのです。結局、この計画は、検疫の問題で万全の状態で遠征できないことが明らかになり、幻に終わるのですが、ダービー後、日本のメディアも大いに盛り上がりました。レースぶりは大人びていたものの、まだ人間で言えばハタチ前。3歳春を終えた時点で、ルドルフは日本競馬の期待を一身に背負う存在になっていたのでした。

秋 三冠かJCか

 ひとまず海外遠征を断念したルドルフは秋初戦のセントライト記念(GⅢ)をレコードタイムで楽勝します。

セントライト・結果

 この紙面でも話題にしていますが、ファンやメディアの注目は次走に移っていました。菊花賞かジャパンカップか。今と違い、当時は菊花賞とジャパンカップは2週間しか間隔がなく(競馬ではこれを中1週と呼びます)、「万全の状態で両方を使うのは厳しい」というのが常識でしたから、陣営も頭を悩ませました。同世代に敵はいませんから三冠はほぼ〝タダもらい〟ですし、何より無敗の三冠馬は史上初です。一方で、まだ日本馬が勝利していないジャパンカップで世界の強豪を蹴散らす〝第1号〟になる夢も捨てきれません。どっちを取るか。ルドルフが選んだのは…。

 両方――

 こうなったらファンもメディアも応援するしかありません。まずは菊花賞。

菊花賞・馬柱

 単勝1・3倍の大本命馬が、最後の直線、内から抜けてくると京都競馬場に大歓声が巻き起こりました。テレビでは杉本清アナウンサーが祝福の名実況。

「赤い大輪が薄曇りの京都競馬場に大きく咲いた。三冠馬。8戦8勝。我が国競馬史上不滅の大記録が達成されました」

 ダンゴ状態になった馬群のど真ん中にいたルドルフは、3~4コーナーで一瞬、行き場を失うような場面もありましたが、レース後の岡部騎手はこう話しました。

「焦り? そんなものはなかった。乗ってる馬がルドルフだよ。どうやったって負けっこない

 メディアもいきり立ちます。翌日の紙面は無敗のクラシック三冠もかすむ、ジャパンカップへの期待一色。

菊花賞・結果

 問題は体調だけでした。和田オーナーは「中1週でヘバるようなヤワな馬に仕立てた覚えはない」と豪語していましたが、何せ3000メートルの長丁場を走った後。競馬サークル内には様々な情報が駆け巡ったといいます。

「やっぱり相当疲れている」

「回避するらしいぞ」

「下痢をしたそうだ」

 このジャパンカップには前年の三冠馬ミスターシービーという名馬も出走を予定しており、史上初の新旧三冠馬対決になったのですが、改めて当時の紙面などを調べても、それすらかすむほど、ルドルフの体調に関する報道が目に付きます。本紙はそうでもありませんでしたが、ネガティブなものも多かったようで、最終的にGOサインが出たものの、記者の印には半信半疑感が漂っていました。

84年ジャパンカップ・馬柱

 ファンも「さすがに厳しいだろう」と感じていたのでしょう。ルドルフは単勝6・5倍の4番人気にとどまります。1番人気は前記のミスターシービー。外国馬が2、3番人気となる中で、ゲートが開きました。

「大丈夫なのか…」

 ファンが心配する中、ルドルフはいつものようにスタートを決め、いつものように先行集団に取りつきます。

「大丈夫そうだな」

 手ごたえも良さそうです。舞台はダービーと同じ東京2400メートル。勝ち方を知る聡明な三冠馬にとって高い壁ではありません。問題は体調と先輩三冠馬、未知なる強豪。4コーナーを回り、4番手の外に上がっていくその脚色を見てファンは確信します。

「大丈夫だ!」

 残り200メートル、いつものように前を行く馬を射程圏に収めます。3番手。日本馬によるジャパンカップ初制覇に向けてかわすべきは2頭だけ。

「いけ!」

「ルドルフ!」

 ファンは夢を見ました。ついに日本馬が世界の強豪を破るときがくる…。でも、ルドルフは2頭に追いつくことはできませんでした。レース自体が超スローペースで進んだため、体力を温存できた先行馬が止まらなかったのです。

84年ジャパンカップ

 競馬では〝展開のアヤ〟と表現されることもあるのですが、実はこのレース、10番人気の馬が逃げ切っています。人気馬(1番人気のミスターシービー)が後方に待機すると、各馬の意識が後ろに向きがちで、ノーマークでスイスイと逃げた馬がスローペースの中を逃げ切ってしまう…という〝競馬あるある〟が大舞台で炸裂したのでした。しかも、勝ったのは日本馬のカツラギエース。日本の三冠馬2頭が日本馬初制覇を狙ったレースで、日本の伏兵が勝利を収めるあたりが競馬の面白いところですが、ゴールの瞬間、競馬場はシーンとなりました。同時に、ルドルフに初めて土がついたことを理解します。土がつくなら今回だとは思っていました。でも、「ちょっと違うんだよなあ」といったところ。3着という結果も微妙でした。カツラギエースが逃げ切ったのですから展開のアヤなのは何となく想像もつきましたが、古馬の壁、力負けのようにも映ったのです。「だとしたらちょっと残念だなあ」。モヤモヤした気持ちのまま、ファンは翌日の新聞を確認します。そこには、非常に前向きな記事が載っていました。

84年ジャパンカップ・結果

 厳しい展開ながら外国馬と互角に渡り合ったことに、和田オーナーは手ごたえを感じている様子。「あれが競馬というもんだ」。人気薄の逃げ切りだったことが救いで、力負けではないことがうかがえます。何より、野平調教師のコメントがファンを安堵させました。

「追い切ったあと神経性の下痢を起こしたんです。全く軽度のものだったが、その後の調整に微妙な狂いが出た。その分伸びきれなかったのかも…」

 やはり体調がイマイチだったのです。それでも不向きな展開で世界の強豪相手に3着に入ったということは…。

「やっぱりルドルフは強い!」

 すぐにそれは証明されます。1か月の調整期間にしっかりと体調を整えた続く有馬記念、ルドルフはカツラギエースやミスターシービーを一蹴するのです。

84年有馬記念1

 2着に2馬身差の完勝でレコードタイムのおまけつき。2番手から危なげなく抜け出す今までで最も分かりやすい横綱相撲で、懸命に追いすがる年上の実力馬を尻目に余裕すらありました。

「こんなに簡単に有馬記念を勝つ馬がいるのか…」

 ため息すら出るほどで、ファンはホッと一息。そして、「体調が良かったらジャパンカップも勝っていたのかもな」なんてつぶやきながら、翌年に思いをはせるのです。まだ3歳ですが、既に国内に敵はいません。

「目指すは海外GⅠ!」

「ルドルフよ、海を渡れ!」

 陣営にとって問題が1つありました。

 ルドルフは強い。

 でも、強すぎるのです。

遠征すべきか

 史上最強だという確信があるからこそ、和田オーナーには、迷いが生じていました。ファンの期待は分かっているのですが、海外遠征には大きなリスクが伴います。万が一大ケガをしたらどうするのか。今までこのnoteでも触れてきた通り、サラブレッドが重度のケガを負うと、安楽死の処置を取らざるを得ないケースが出てきます。和田オーナーは馬主であり、生産者。競馬はブラッドスポーツです。強き馬の血を受け継いでいくことがいかに大切かを熟知しているからこそ、ルドルフの血、すなわち史上最強馬の血はどうしても残さないといけない…という思いに駆られていたのでしょう。もはやルドルフは、勝利をもぎ取ることよりも無事に引退させなければいけない競馬界の宝になっていたのです。だからこそ、有馬記念翌日の本紙はこんなセンセーショナルなものになりました。

84年・有馬記念結果

 この時点で引退して種牡馬になる――上記の理屈を踏まえれば、納得できる帰結でもあります。実際、和田オーナーはもともと「年内引退もあり得る」と口にしていました。結局、年が明け、ひとまず上半期は春の天皇賞を目指すことになるのですが、とにかくルドルフの存在は大きすぎるものになっていたのです。こうして、海外挑戦と引退という選択肢に常に悩まされる1年が始まりました。

 まずは脚ならしの日経賞。GⅠではないのでメンバーも弱く、単勝オッズは100円(お金を賭けても増えません!)。4馬身差で楽勝します。

85年日経賞・結果

 見出しにあるように、既に「皇帝」というニックネームが浸透しているのが分かります。「ルドルフ」とう馬名が神聖ローマ帝国の皇帝ルドルフ1世にちなんだものだからです。そしてルドルフは、この年、まさに日本競馬界の「皇帝」として君臨し続けます

 天皇賞は三たび、ミスターシービーとの対決。3~4コーナーの下り坂で、意地を見せたい先輩三冠馬が早めスパートで先頭に立ちますが、まったく動じることなく、直線に向くと並ぶ間もなくかわし、2着に2馬身半差をつけて楽勝しました。

85年天皇賞春

 やはり日本に敵はいない…再び湧き起こる遠征への期待感の中、和田オーナーの背中を押す馬が現れます。天皇賞の1か月後、ルドルフの1歳年下になる持ち馬シリウスシンボリがダービーを制するのです。

「2頭で遠征するのはどうだろう」

 これは名案でした。馬も寂しくないですし、調教パートナーも確保できるのですから、利点しかありません。というわけで、ルドルフは6月2日の宝塚記念をステップに、シリウスシンボリとともに7月末のイギリスの「キングジョージ6世&クイーンエリザベス・ダイヤモンドステークス」を目指すことになるのですが、好事魔多し。宝塚記念の枠順も決まっていたレース前日の朝、「出走取消」が発表されます。追い切り後、筋肉痛で歩様が乱れたのです。

85年宝塚・取り消し

 その後、トレーニングを再開しましたが、回復に手間取り、海外遠征は白紙に戻ります。動きが本来のものではなく、和田オーナーが「外国の強敵を相手にするのはとても無理」と判断したのです。前述のようなリスクも考慮しての決断でもあったでしょう。

85年7月・海外遠征白紙

 最終的には秋になって国内の王道路線に復帰するのですが、引退発言が飛び出したと記事にあるように、ルドルフの種牡馬入りはかなり現実味を帯びた話になっており、そのため、馬の扱いには慎重になったといいます。また、体調もかつてないほど悪かったとか。ですから、現役続行が決まり、ファンとしては嬉しかったものの、調整自体は遅れました。前哨戦を使うことはできず、天皇賞・秋への出走はぶっつけ本番。それでも岡部騎手が最終追い切り後、「半年ぶりだが、おっかなビックリ稽古をやってきたわけじゃない。久々は関係ないでしょう」と語り、さらに「(ルドルフという最強馬がいるのに)なんで16頭も出るんだろう」と自信を見せたことで、印はこうなります。

85年天皇賞秋・馬柱

 単勝オッズは1・4倍。馬体重の増減もなく、きっちり仕上がっているように見えました。ただ、この日のルドルフはいつもと少し違ったんですね。珍しく出遅れた上に、レース途中で一気に先団まで上がっていく〝暴走〟。それでも楽な手ごたえで直線を向き、持ったままで先頭に立ち、並んできた2番人気のウインザーノットを振り切ったまでは良かったんですが、最後の最後、超伏兵のギャロップダイナに外から差されてしまいます。

85年天皇賞秋

 今まで後ろからきた馬に差されたことがないわけですから、宝塚記念後の体調不良が予想以上に尾を引いていたのでしょう。それに加え、私はルドルフが聡明だからこその敗戦だったようにも思えます。頭がいいから、周囲の引退ムードを察知し、体を作るのを緩めてしまったのではないでしょうか。そして、それを自覚していたからこそ、仕掛けが遅れないよう、岡部騎手の速すぎるGOサインをOKしてしまったのでは…そう信じたくなります。なぜなら、続くジャパンカップ、いつもの調整過程を取り戻したルドルフは、世界を相手に楽勝するのです。

85年ジャパンカップ1

「この前の負けはなんだったんだよ」というぐらいの勝ち方だったので、天皇賞・秋はやはりイレギュラーで、悪いことが重なっただけなのでしょう。通常モードで挑めば、やはりルドルフに敗北の2文字はありません。いつもの好スタート、いつもの先行抜け出し、重馬場も苦にせず、いつも通りゴール前は余裕十分。表彰式の馬上では、岡部騎手がこんなポーズを取りました。

85年ジャパンカップ2

 皐月賞、ダービー、菊花賞、有馬記念、天皇賞・春…ジャパンカップで6冠目ですから、既に片手では足りません。そして、前人未到のGⅠ7勝目も、もう手中に収めているようなものでした。

85年有馬記念・馬柱

 いよいよ翌年は海外へ…という雰囲気の中で行われた年末の有馬記念もまさに皇帝のレースでした。この年の皐月賞と菊花賞を勝ったミホシンザンがライバルとみなされていましたが、相手になりません。ルドルフは教科書通り先行すると、3コーナーでたまらず先頭に立ちます。他馬と力が違いすぎるだけ。ムキになったのではなく、自分のペースで走っているだけで先頭に立ってしまったのでしょう、直線を向くとグングン後ろを突き放していきました。

85年有馬記念

 ルドルフのGⅠ勝ちの中でも最も大きな4馬身差。海外に行くにせよ行かないにせよ、国内ラストランなのは決まっていましたから、岡部騎手からファンへのプレゼント、こんなメッセージだったのかもしれません。

「皆さんが応援してくれたルドルフはこんなに強いんだ」

「皇帝の姿を目に焼き付けてくれ」

 テレビではアナウンサーが大きな声で叫んでいました。

「ニッポンでもうやる競馬はありません!」

 さあ、ついに、ついに、ルドルフが海を渡ります。ウマ娘のルドルフが言うところのアレです。

「いよいよ時は満ちた」

1986年 アメリカへ

 和田オーナーが選んだのはアメリカ西海岸。ロサンゼルスの北東、サンタアニタ競馬場で行われる芝2400メートルのGⅠ「サンルイレイステークス」でした。レースの週、本紙は毎日、ルドルフの様子を伝えています。現地まで記者とカメラマンを派遣するほどの力の入れ具合。読者からのニーズがあったからでしょうし、当時から「競馬の東スポ」なのがよく分かります。

海外月曜日

 月曜に載ったこの記事によると、アメリカに到着したルドルフは検疫のため、3日間、空港で待機。その後も、他馬との接触(同時調教)が許されないなど、過酷な条件の中で調整を進めていました。ただ、頭のいいルドルフは徐々に環境に適応し、体調を上げていきます。レースを1週間後に控えた調教では上々の動き。手綱をとった世界的名手・ピンカイ騎手はこうコメントしたそうです。

「できることなら自分が乗りたい」

 リップサービスもあるでしょうが、期待が高まります。そしてこちらは、最終追い切りの記事。

海外追い切り

 どうやら体調に問題はなさそうです。調教に乗った岡部騎手もこう話しました。

「野平先生、和田オーナーはじめ、周りは神経質になっているけど、ルドルフ自身はとてもリラックスしている」

 日本馬初の海外GⅠ制覇に向けて準備万端。日本時間3月30日(日)の午前中、日本ファンの夢を乗せて、ルドルフはゲートから飛び出しました。
さすが皇帝、日本にいた時と同じような好スタートで、外目の3番手を進みます。左回りの馬場を1周半回るコース。馬群は向こう正面から3コーナーを回り、4コーナーへ。芝コースなのですが、ダートを横切る変則設計部分を通過し、馬群は正面の直線に入ってきました。ルドルフは徐々にポジションを下げていきます。7頭中の5番手。体力を温存しているのか、付いていけないのか、判断がつきません。2周目の向こう正面で少しポジションを上げようとしますが、行きっぷりはいまひとつ。

「どうしたんだろう」

 徐々に膨らむファンの不安。ただ、走っているのはルドルフです。競馬がどんなものかを知る聡明な皇帝です。体調に問題があって敗れたことが2回ありましたが、その時でさえ上位争いをしていた馬ですから、直線にかけて徐々に上がってくるはず。そうに決まってる。上がってくるはずなのに…。結局、ルドルフは後方のまま、直線でも伸びることなくレースを終えました。

「まさか…」

「そんなわけがない」

 信じられない光景を前に戸惑うファン。そうです、ルドルフが何の理由もなしに惨敗するわけがありません。

「原因があるはずだ」

「そうじゃなきゃ負けるわけがないじゃないか!」

 日本に伝えられた敗戦の理由は「故障」でした。ダート部分を通過したとき、岡部騎手いわく「ガクッときた」そうで、左前脚を痛めてしまったのです。ポジションを下げていったのも納得できますし、最後に伸びなかったのも仕方ありません。これは明けて月曜日の本紙です。

海外レース翌日

 当時は詳しい症状まで伝わってきていなかったので、まずは最悪の事態を免れたことにファンは安堵したといいます。全治6か月。和田オーナーから発せられた「引退」という2文字もすんなり受け止めた人が多かったそうです。残念は残念でした。でも、理由があったことにファンはホッとしたのです。日本の2度の敗戦もそうだったように、ルドルフが理由もなく負けるわけがない。ゴール板を知っている馬が、この時点で誰もが史上最強馬だと認めていた皇帝が、ワケもなく敗れるわけがないのです。だから、託した夢が散ったのに、レースで負けたのに、それでもファンは納得し、ルドルフに「お疲れ様」と言葉をかけたそうです。

 16戦13勝――

 全勝ではないのに、皇帝の経歴に「傷」はありません。国内2敗は体調不良と展開のアヤ、海外での引退レースは故障。この「敗戦時に明確な理由があった」という事実は、非常に重いです。ディープインパクトにもアーモンドアイにも、「あれ?」という負けがありました。陣営が明確な敗因をつかめなかった負けがあったということなのですが、ルドルフにはそれがない。これは「結果に納得しなかったファンは1人もいない」という意味です。史上最強馬に名前が挙がる名馬の中で、レース後にファンを一度もモヤッとさせなかったのはルドルフだけ。理由なき敗戦がゼロの馬はルドルフ以外に一頭もいないのです。だからファンにとって、ルドルフを史上最強馬と呼ばない理由もないのです。最後は、野平調教師が口にした伝説のセリフで締めましょう。

「競馬に絶対はないが、ルドルフには絶対がある」

おまけ1 外厩

 一昔前まで、競走馬は美浦(関東)か栗東(関西)のトレーニングセンターにある厩舎で仕上げられ、レースに出走しました。極端に言えば、厩舎から出るときは放牧。牧場でお休みしたら、肉体がゆるんだ状態で厩舎に戻ってきて、時間をかけて体を作っていったわけですが、ルドルフは違いました。レースとレースの合間は千葉にあるシンボリ牧場で休みつつ、そこでもしっかり調教を重ね、ほぼ仕上がった状態で美浦トレセンに入厩したのです。

おまけ用シンボリ牧場

 これは当時は超珍しいパターンで、シンボリ牧場の施設が充実していたこともありますが、近年のトレンドを大きく先取りしたとも言えます。今は、トレセンに負けないぐらい充実した調教施設を持った牧場が増えたことで、ルドルフのようなパターンで入退厩を繰り返す馬が激増し、それが当たり前になっているのです。

おまけ2 アナウンサー泣かせ

 口にしてみると分かりますが、「シンボリルドルフ」という馬名の特に「ルドルフ」の部分はとっても言いづらいです。普通に話しているぶんには何とかなりますが、競馬の実況で連呼するのはかなり難しく、アナウンサーの皆さんは苦労しました。今、改めて動画をチェックしても、噛んでいる人、思わず「ん?」とツッコミたくなる実況もあるのですが、正確さと高い技術で知られるラジオたんぱのアナウンサーでも大変そうなのですから、これは仕方なかったのでしょう。

お知らせ

 どうやらうちの会社が本気を出すようです。来週24日から〝東スポがつくる新しい競馬サイト〟がスタートします。その名も…

「東スポ競馬」

 そのまんまじゃん!というツッコミも甘んじて受けますし、どんなサイトになるかの詳しい情報についてもまだ明かされていないのですが、オープンを前に事前登録キャンペーンを絶賛実施中です。期間は9月20日(月)までで、アマゾンギフト券1000円分が抽選で250名様に当たります。詳しくはキャンペーンページへ。

 私もどんなサイトになるか楽しみですので、正体が分かり次第、このnoteでも随時、ご報告させていただきます。このところ隔週でお届けしておりましたが、秋の競馬シーズンも到来しましたし、来週もアップする予定です。今後もご愛読のほど、何卒よろしくお願いします。

カッパと記念写真を撮りませんか?1面風フォトフレームもあるよ