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学習まんがでもめちゃくちゃ悪い顔で描かれていて、道鏡ちょっとかわいそう

教科書に〝悪口〟を書かれるとそりゃもう大変です。

以前、私が書いた糞コラムで、徳川家康が三方ヶ原の戦いで武田信玄に敗れたときに脱糞した話を取り上げましたが、このエピソードはテストに出るほどのものではありません。教科書の中でもヤバい奴として記述されている歴史上の人物といえば、奈良時代の僧である道鏡です。


高校教科書に書いてある道鏡

 恵美押勝は後ろ盾であった光明皇太后が死去すると孤立を深め、孝謙太上天皇が自分の看病にあたった僧道鏡を寵愛して淳仁天皇と対立すると、危機感をつのらせて764(天平宝字8)年に挙兵したが、太上天皇側に先制され滅ぼされた(恵美押勝の乱)、淳仁天皇は廃されて淡路に流され、孝謙太上天皇が重祚して称徳天皇となった。
 道鏡は称徳天皇の支持を得て太政大臣禅師、さらに法王となって権力を握り、仏教政治をおこなった。769(神護景雲3)年には、称徳天皇が宇佐神宮の神託によって道鏡に皇位を譲ろうとする事件がおこったが、この動きは和気清麻呂らの行動で挫折した。

『詳説日本史B』山川出版社、51p

権力を狙う野心家のにおいがプンプンしていますね。称徳天皇は女性天皇で子供がいません。称徳天皇が道鏡を愛した〝理由〟として、江戸時代にこんな川柳も作られています。

「道鏡が正座をすればひざ三つ」

嘘かまことかわかりませんが、道鏡が巨根すぎて…♡というワケです。ちなみに巨根伝説としては「東の道鏡、西のラスプーチン」なんて逸話もあります。

道鏡の新解釈を可能にした本

さて、教科書にも悪く書かれたおかげで非常にイメージの良くない道鏡ですが、『道鏡――悪僧と呼ばれた男の真実』という本を読んだら、「案外、そんなに悪い人じゃなかったのかもしれないねぇ…」と思うに至りました。著者は元和歌山市立博物館館長の寺西貞弘氏。第1章の「うわさの道鏡」ではこれまでの伝承について検討が加えられ、先の巨根説は真っ先に否定されます(苦笑)。

あまりに道鏡が巨根なので、正座をすれば、あたかも膝頭が三つあるように見えてしまうというのである。だが日本人が一般的に正座をするようになったのは、茶道が普及してからだといわれている。したがって、奈良時代の道鏡が正座をするはずもないので、これが事実でないことはすぐにわかる。

寺西貞弘『道鏡――悪僧と呼ばれた男の真実』(2024年、ちくま新書、14p)

道鏡と称徳天皇のアブない関係が記されたのは平安時代初期の仏教説話集『霊異記りょういき』、平安時代後期の『日本紀略』など、2人が生きた時代から離れたものしかなく、正確な動向を記したとは言い難いものばかりだそうです。

では、なぜ巨根だの淫猥だのうわさがひとり歩きするようになったのでしょうか? 寺西氏は以下のように見解を示しています。

このような伝説を語り始めた人々は、その寵愛の背景にあったものを、自分たちなりに理解しようとしたのではないか。すなわち、称徳天皇が道鏡を寵愛したという歴史的事実を説明するため、後件肯定の付加条件として創作されたものであると考えらえる。二人の動向に関する歴史事実に頓着せず、かつ二人に対して何らの関係をも有さないからこそ、いわゆる「下種の勘繰り」としてこのような伝説が創られたのであろう。

寺西貞弘『道鏡――悪僧と呼ばれた男の真実』(2024年、ちくま新書、36p)

道鏡よりも称徳天皇のやばみが深い

本書ではできるだけ確かな資料(正倉院文書・『続日本紀しょくにほんぎ』)をもとに新たな道鏡と称徳天皇の人物像が提示されていきます。私なりに要点をまとめるとこんな感じ。

・道鏡は呪術仏教も教学仏教も独学で習得していた優秀な僧

・称徳天皇は21歳で女性皇太子となり、伴侶を持つことも許されず、父母(聖武天皇と光明子)と死に別れた。信頼した人物が反逆する事件を経験し、猜疑心の強い性格にならざるをえなかった

寺西貞弘『道鏡――悪僧と呼ばれた男の真実』(2024年、ちくま新書)

・道鏡は称徳天皇に出会う前に、聖武天皇の看病禅師をしており、称徳天皇に父の最後の思い出を語れる稀有な存在。しかも謀反を企てるほどの豪族出身でもなかった

・太政大臣禅師に任じられた道鏡は、称徳天皇の仏道修行の指導者という意味で、大臣などに準じた待遇は受けていたが太政官の政治にはかかわっていなかった(道鏡の弟の弓削連浄人は政治の世界で出世している)

・称徳天皇が宇佐八幡神託事件の首謀者。道鏡を天皇にすべきでないという和気清麻呂わけのきよまろの報告に怒ったのち、清麻呂を大隅国へ配流して「別部穢麻呂わけべのきたなまろ」と改名させた。清麻呂の姉である和気広虫(法均)も備後国へ流し、「別部広虫売わけべのひろむしめ」と改名させた

道鏡よりも称徳天皇のほうやばみが深い気がしますね…。特に激怒して和気清麻呂をとんでもなく罰ゲーム的な名前にしてしまうところにとんでもない心の闇を感じざるをえません。とはいえ称徳天皇に汚名を着せてしまうと国家の威信に傷をつけてしまうから、責任が道鏡に仮託されたのだろうというわけです。道鏡からしたらめちゃくちゃ一方的に愛されて持ち上げられた結果、政治家から敵視されて、それはそれで大変な人生だったのかもしれません…。

学習まんがの中で悪い顔してる道鏡

私は小学生のときに、『小学館版学習まんが日本の歴史』を読んで初めて道鏡を知りました。そういえば、まんがの中でも悪い顔で描かれていたよなぁ…とふと思い出し、図書館に行ってきました。あいにく小学館版の奈良時代『②律令国家への道』は貸し出し中でしたが、学習まんがの日本の歴史は他の出版社からも出ています。道鏡の顔を見比べてみると、やっぱり悪人顔でした(※引用するため図書館の規則に基づきコピーしてきました)。

『漫画版 日本の歴史(2)大和政権と天皇の世紀―古墳時代2・飛鳥時代・奈良時代―』(集英社文庫、262-263p)
『学習まんが NEW日本の歴史02 飛鳥の朝廷から平城京へ』(学研、111p)
石ノ森章太郎『マンガ 日本の歴史7 大仏開眼から平安遷都へ』(中央公論新社、92p)

皇国史観によって戦前、道鏡・平将門・足利尊氏の3人は「天下の三大悪人」と呼ばれてきました。皇位をうかがったり、親皇を名乗ったり、天皇にそむいたりと朝廷に弓を引いた側面があったからです。

戦後になって歴史的事実が見直され、将門と尊氏の名誉が回復されましたが、最後までダーティー枠に残っていた道鏡のイメージがちょっと変わって非常にエキサイティングな読書となりました。角度を変えると歴史も変わるものなんですね。夏休みの自由研究で、学習まんがの中に出てくる歴史上の人物で「悪い顔選手権」したら面白いかもわかりません。(東スポnote編集長・森中航)


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