〝誤解〟が生んだ二軍監督解任の真相【石毛宏典連載#14】
なぜジャンケンで二軍の打順を決めたのか
ジャンケン、あみだくじ、年齢順…。ダイエー(現ソフトバンク)の二軍監督時代、私はこれらの方法で打順を決めたことがある。球団内外から「不真面目だ」などと、批判が殺到した。では、なぜ私はジャンケンやくじ引きで打順を決めたのか――。選手が一軍に昇格した時にきちんと結果を出すためにはどうすればいいか。このことをじっくりと考えた上で出した結論だ。
例えば二軍で4番を打っている選手が昇格した時に、そのまま一軍でも4番、主軸というポジションを与えられるか、というとそうではないケースの方が多い。代打要員か、先発出場したとしても打順は下位になることが多いだろう。ただ打つだけではなく、いろいろなことが要求される。バントや走者を進めるため右方向へ打球を転がすということを試合の中でしっかりとできなければいけない。全員が平等にいろいろな打順を経験しておくことが選手のためになると考えた。
特に王貞治監督は勝負に対する執着心がすさまじかった。この世界では必要なことだが、これからアピールしようという立場の選手にとっては非常に厳しい状況が待っていた。一度、失敗して悪いイメージがついてしまうと二度と使ってもらえなくなってしまうのだ。
一軍から「二軍で調子のいい選手はいないか」と聞かれて「この選手が良くなってます」と推薦しても「その選手は前に見て、わかっているからもういい。他の選手はいないのか」となる。一度の失敗が挽回する機会さえ奪ってしまう。一軍に残るためには選手はどの打順でも対応できる技術や力を身につけておく必要があった。もちろん選手には、その意図を説明して納得してもらっていた。
私は担当コーチ制も廃止した。打撃コーチだけがバッティングを教えるのではなく投手コーチが投手の目線からアドバイスを送ることもプラスになる。私も現役時代、よく東尾修さんから投手心理を教えてもらって参考にしたことがある。逆に東尾さんは私たち野手からいろいろなことを聞いていた。投手が打者心理を知ることも必要だし、打者出身だからこそ気がつく点もあるからだ。
1人の選手を担当コーチだけでなくコーチ全員がそれぞれの視点で見つめて、どうすれば良くなるかを考えて話し合う。選手が成長する可能性は格段に広がるはずだ。コーチ同士の意思疎通を密にしておかなければ選手を混乱させてしまう。練習前後のコーチミーティングは個々の選手ごとに各コーチの意見をすり合わせるため長時間となった。コーチ陣は一人でも多くの若者をこの世界で成功させようと、朝から晩まで働いてくれた。
選手にとって何がベストなのか。1年間、私はこのことを最優先に考えてチームを運営した。しかし、1998年10月7日に解任された。記者会見では理由に関して「今は話せない」と席を立った。解任の経緯については誤解されている部分もあるので事実を打ち明ける必要があるだろう。
短パン練習も心証を悪くした
1998年10月初旬、若手選手が出場する秋季教育リーグを前に3日間ほど休みがあったので熊本・阿蘇で家族旅行を楽しんでいた。
旅行中に根本陸夫さんから電話がかかってきた。「すぐに福岡に戻って来い」。理由を聞くと「球団に何を話したんだ」と言う。私には心当たりがあった。ある日、球団幹部の一人に「チームを強くするためにどうすればいいか。忌憚のない意見を聞かせてほしい」と言われた。この年もダイエー(現ソフトバンク)はオリックスとの同率3位と優勝には手が届かなかった。私は喜んで考えていることを話した。
西武の常勝時代を経験していることもあって、私の提案は西武がモデルになる。「西武では編成がいい人材を集めて、しっかりと現場が育てるシステムが確立されていた」という趣旨のことを伝えた。この幹部は私の話をリポートにまとめて、本社や球団上層部に提出したようだ。
ところが、これがどこでどうなったのか――。「ダイエーには球団運営をできる人材がいない」などの上層部批判となってしまった。私にはそんな意図はみじんもなく“誤解”によって球団を追われることになった。突然の解任の内情はこういうことだったのだ。
ささいなことだが“短パン”も私の心証を悪くしていたのかもしれない。炎天の真夏には短パンで打撃練習をさせた方が効率が上がると思った。選手も「短パンの方がいい」と喜んだ。球団には認めてもらえなかったものの、私は試合日はともかく観客がいない練習日ならいいだろう、と練習日限定で短パンを許可した。しかし、すぐに球団からストップがかかった。「石毛は球団を無視して勝手なことをする」という印象を与えてしまった。現在では“短パン練習”を採用している球団もあるのだが…。
私は若い選手を指導する時に対話を大事にした。調子が悪い選手は焦燥感に満ちている。コーチが話しかけても素直に受け入れられないことが多い。私はその選手の動向をじっくり観察してから話をした。
例えば、後に3冠王となる松中信彦が二軍にいた。入団2年目で打球が思うように飛ばずイライラしていた。私は松中の打撃フォームのトップの姿勢に問題があると考え、身ぶり手ぶりで伝えた。最初は、そんなことより早く練習させてほしいという態度だったが、じっくりと「お前はこういうやり方で何とかしようと思っているけど、うまくいかないから焦っているんだろ」と説明した。ここで選手が考えていることをしっかりと指摘できれば、耳を傾けてくれる。「こうしたら、良くなるかもしれないぞ」とアドバイスすると、松中は素直に受け入れた。この年、二軍の本塁打王となり、翌年の3年目からレギュラーに定着した。
あいつにはこんなアドバイスをしたらいいだろう。こいつにはこんな練習をやらせてみよう。翌年に向けて頭の中で様々なことを思い描いていたが、思わぬ形で二軍監督は終わってしまった。
※この連載は2012年5月8日から7月13日まで全40回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全20回でお届けする予定です。