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いくつになっても、素直に謝罪できる人間でありたい【野球バカとハサミは使いよう#27】

引退危機の福盛和男が見せたアポなし謝罪

 仕事をしていると、時に大きな失敗をして、上司を怒らせてしまうことがある。プロ野球界では、かつて東北楽天のクローザーを務めた福盛和男がそうだった。彼はあることで当時の野村克也監督の怒りを買い、あわや失職の危機に陥った。

楽天の福盛和男

 そもそも福盛は1995年にドラフト3位で横浜に入団以来、先発投手として活躍したこともあったが、長続きはせず、辛酸をなめた時期の方が長い投手だった。2003年オフには近鉄にトレードされ、翌年には楽天球団創設に伴う分配ドラフトで楽天に移籍。その1年目にクローザーを任されたものの、そこでも特に好成績を残したわけではなかった。

 そんな福盛だったが、06年に先述の野村が楽天監督に就任すると、クローザーとして21セーブ、防御率2・17の大活躍。再生工場の異名を取る野村監督の指導の下、福盛はプロ12年目にして久々の脚光を浴びた。

 ところが、それで気を良くしたのか、福盛は07年オフにFA宣言。楽天の慰留を振り切ってメジャーリーグに移籍した。

東国原英夫知事(右)を表敬訪問したレンジャーズの福盛(08年2月、宮崎県庁) 

 その後、福盛がメジャーで活躍できたら問題ないのだが、現実は厳しかった。福盛はメジャーで結果を残せず、09年途中で解雇。しかも、日本球界からも声がかからなくなり、中でも古巣・楽天の野村監督はメディアを通して「福盛は獲らない」と断言した。当時、福盛は野村監督の怒りを買っていたのだ。

 無理もないだろう。なにしろ福盛は野村監督の下で復活できたのに、その恩を忘れてメジャーに移籍したのだ。それにもかかわらず、メジャーでダメだったから楽天に戻りたいとは虫が良すぎる。自業自得だ。

 こうして、福盛は引退危機に陥った。ひとつの失敗で上司を怒らせてしまったばかりに、職を失いそうになったのだ。

 しかし、ここで福盛が取った行動が素晴らしかった。福盛は野村監督が宿泊するホテルにアポなしで出向き、ひたすら頭を下げて謝罪。怒れる上司から逃げるのではなく、素直に謝ることで見事に怒りを鎮め、再入団の切符をつかんだのだ。

 これは人間のコミュニケーション術における真理である。上司やクライアントの怒りを買ったときは、ジタバタせずに頭を下げて謝るのが一番だ。

 人に何度も謝罪されて、それでも怒りを貫き通せる人間などそういない。それなのに、現実社会には素直に謝ることができなくなった大人が、いかに多いことか。たとえいくつになったとしても、素直に謝罪できる人間になりたいものだ。


大島康徳を発奮させた本多監督のアメとムチ

 かつて中日や日本ハムで活躍した大島康徳は、典型的な「遅咲きのスラッガー」だった。1969年ドラフト3位で中日入団後、24年間の現役生活の中で通算2204安打、382本塁打を放ったが、なにしろ彼が一軍のレギュラーに定着したのはプロ4年目。初めて30本塁打をクリアしたのは11年目、2000本安打を達成したのは22年目のことだった。

 さらに大島がすごいのは、中学まではバレーボール部に所属しており、高校から野球を始めたということだ。それにもかかわらず、わずか3年後の高校卒業時にはプロ入りを果たすという離れ業を演じた。

中日の大島康徳

 しかし、中日入団後の大島は経験不足が否めず、一軍はおろか二軍でもなかなか結果を出せない日々が続いた。そして、3年目の71年には、当時の中日二軍監督・本多逸郎からの屈辱的な仕打ちを受ける。打てない罰として、ユニホームを約2週間も取り上げられたのだ。

 野球選手にとってユニホームとは正装である。ゆえに、それを失った野球選手ほど悲しいものはない。実際、大島は本多監督のひどい仕打ちを忘れないために、毎日パンツ一丁で素振りを繰り返したという。

 そして、そのかいあって、ようやくユニホームを返してもらった大島は、そこでいきなり発奮した。久々の二軍戦で豪華な3打席連続本塁打をかっ飛ばし、本多監督を見返すことに成功。これが、屈辱の日々に対して大島が出した“答え”だった。

 すると、ここで本多監督は憎い行動に出た。試合後、大島を洋服屋に連れて行き、大島のためにオーダースーツを注文。数十万はするであろうプレゼントを自腹で贈ったのだ。

 野球選手の正装であるユニホームを没収することがムチなら、本物の正装をプレゼントすることほど粋なアメはないだろう。本多監督は大島を叱咤する一方で、結果を出したときのフォローも忘れなかった。だからこそ、大島はより練習に打ち込み、のちに球界を代表するスラッガーに成長したのである。

2000本安打達成で米田哲也氏から名球会ジャケットを着せてもらう大島(90年8月、西宮球場)

 これはサラリーマンにおいても、実に参考になるアメとムチの使い分けだ。期待する部下がふがいないときは、上司は遠慮なくムチを振るえばいい。しかし、それによって部下が結果を出したときは、振るったムチに見合うだけの粋なアメを与えることも忘れてはならない。

 一見、簡単そうな話かもしれないが、現実はムチにばかり偏り、アメを忘れている上司がいかに多いことか。上司の器量はアメにかかっているのだ。

山田隆道(やまだ・たかみち) 1976年大阪府生まれ。京都芸術大学文芸表現学科准教授。作家、エッセイストとして活躍するほか大のプロ野球ファンとして多数のプロ野球メディアにも出演・寄稿している。

※この連載は2012年4月から2013年9年まで全67回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全33回でお届けする予定です。

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