アンクル・ロックを決めて大観衆に“大見得”を切っているときのアングルは水戸黄門【WWE21世紀の必殺技#3】
1996年アトランタ五輪で金メダルを獲得(アマレス・フリースタイル100キロ級)してプロレス入りしたカート・アングルは、98年10月にWWEと契約。約1年間の特訓を経て99年11月、晴れてテレビマッチに登場した。
当時は髪の毛フサフサのハンサムヒーローだっただけに、フィニッシュホールドもスープレックス一辺倒で、試合の9割はアングル・スラム(当時はオリンピック・スラム)で決めていた。
2002年、エッジにヘアマッチで敗れ坊主頭となり、本格的に悪党転向を果たしてから、使い始めたのがアンクル・ロックだった。派手な大技で決めるのが常識とされていたWWEの中で、関節技のフィニッシュホールドは、非常に新鮮だった。
「アングルのアンクル・ロック」という“掛け”も功を奏してファンへの浸透は早く、相手の足首を極めながらスタンドの体勢で締め上げる鬼のような形相が、悪党としてのアングルを一気に確立したといってよい。
ちなみに昨年大みそかの吉田秀彦VS小川直也で、小川の足首を叩き折った吉田の技もこれだったが、大勢の観客を意識し、立ち技としてのフィニッシュにこだわったところが、アングルのプロ魂である。
足首固めに酷似した地味な関節拷問技アキレス腱固めを、立った状態の「見せる必殺技」に昇華させたのは藤原喜明(89年11・29東京ドームのドン・フライ戦)が最初だったが、アングルがこれを手本としたことは間違いなかろう。日本のビデオ、DVDを参考にするアメリカのレスラーは多いが、これは典型例といえる。
浜口京子、吉田沙保里らの女子アマレス勢が脚光を浴びつつある中、アマレスの試合がテレビ中継されることも多くなったが、フリースタイルの試合ではアンクル・ホールドが頻繁に繰り出されている。
マットにうつ伏せで張り付いた相手を“裏返し”にするため、相手の両足首をクロスさせ、かつ自分の右腕をその間に差し込んで一回転させる技だが、アマレスではこれが決まると2点が与えられる。
布団の上で誰かにやってもらえば分かるが、人間の足首というのは不思議なもので、クロスされるとわずかな力で簡単にコントロールされてしまう。「高度なレスリング技術の大半はレヴァレッジ(テコの応用)だ」と多くの強豪レスラーが異口同音に唱えるが、このアンクル・ロックもその一つ。
「アマレスのトップは関節技の知識がいまひとつ」という定説に反発し、ビンス・マクマホーンに「いつ何時、誰とでもシュート・ファイティングができるようにしておけ」と指示された時期(00~01年)に完成させた拷問技は、カート・アングルというプロレスラーの“印籠”になっている。
そう、アンクル・ロックを決めて大観衆に“大見え”を切っているときのアングルに、私は「水戸黄門のオーラ」を見る。
※この連載は2006年2月~5月まで全10回で紙面掲載されました。東スポnoteでは当時よりも写真を増やしてお届けしました。