【ダイアモンド✡ユカイ×高橋まこと 対談・後編】紙面掲載時より写真点数UP!
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【ダイアモンド✡ユカイ×高橋まこと 対談・後編】紙面掲載時より写真点数UP!

 音楽ファンならずとも気になる話が次々と飛び出す対談企画。昭和の終わりごろ、日本のロックに大きなムーブメントを巻き起こしたバンド「レッド・ウォーリアーズ」のボーカル、ダイアモンド✡ユカイが、「BOØWY」のドラマー、高橋まことと当時を振り返る。BOØWYが生んだ「転換点」、布袋寅泰の進化、そしてロック史に刻まれるべき年とは?
(企画構成=BOØWY・レッズどんぴしゃ世代記者F)

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BOØWYの転換点、ロック史に刻まれる年とは…

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ユカイ 前回はBOØWYの3枚目のアルバム「BOØWY」(1985年)で、ドラムの録音方法がガラッと変わったって話だったけど、ギターやベースのとり方も、あのころから変わったよね。

高橋 あの前はボーカルばかり大きくて、楽器の音が小さかったんだよな。俺がデビューしたバンド「HERO」もそう。ドラムの音なんて小さい小さい。そういうのが当時のスタジオの狭いドラムブースや録音方法に表れていたのかもな。

ユカイ 歌が中心、次ギター、ドラムとベースはチョロ、って感じだった。これって「フォーク」の録音方法を引きずっていたからだよ。そんな時代にロックをやりたい人が裏方に回り、音の作り方を変えた。「四人囃子」(74年メジャーデビュー)にいた佐久間正英さんは、まさにそんな一人。佐久間さんは「BOØWY」でロックの音を確立し、このアルバムがひとつの区切りになった。

高橋 当時、定着していた「フォーク」的レコーディングが、あそこから「ロック」のレコーディングに切り替わったってことだな。

ユカイ BOØWYがここまで伝説になったのは、この“転換点”を生んだからというのもあると思う。そして4枚目「JUST A HERO」(86年3月)でまた変化したね。

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高橋 3枚目の時に佐久間さんからいろいろ学んだ布袋寅泰がプロデュース。佐久間さんはアドバイザー、前作に続きマイケル・ツィマリングがエンジニアだな。

ユカイ 布袋くんの進化だよね、BOØWYを変えたのは。このころ、他のバンドにも影響を与える存在になってたよ。彼は何に影響を受けてたの?

高橋 あの少し前から、英国系の音楽を死ぬほど聴いてたよ。そのころの日本で洋楽といえば、LAメタルとか米国系のハードなのがはやってた時期だったけど、アメリカよりイギリスだったな。

ユカイ 布袋くんは演奏が個性的でタッパ(身長)があったから、存在感があった。それにデビュー後に何度かイベントで会ったけど、若い時から先を見据えているような、達観しているような感じがあったんだよね。それまでもCharさんというギターヒーローがいたけど、布袋くんは新たなギターヒーロー。日本のバンドのギタリスト像って、このころの布袋くんを境に変わったと思う。

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2013年に横浜スタジアムで横浜応援歌を演奏した布袋寅泰

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