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君だったのか!「ウマ娘」に登場した〝遅れてやってきた大物〟ツルマルツヨシを「東スポ」で振り返る

 唐突ですが、謝罪いたします。先日、「ウマ娘 プリティーダービー」でメインストーリー第1部の最終章・前編が公開されたのですが、公開日時が発表された段階で名前が明かされていなかったキャラがいました。ヒントは「黄金世代」「遅れてやってきた秘密兵器」。その時点で私は「東スポ競馬」の記事で「ネット界隈ではエアジハードだという声が最も多いですよ」とノンキに書いておりまして、「流星(額の白い模様)がキャラの髪に反映されています」「ほら、エアジハードにはこんなにカワイイ流星が」なんて写真まで載せているのです。一方で、〝答え〟だったツルマルツヨシには全く触れていません。穴があったら入りたい、お恥ずかしい限りです。すみません、新聞社にいる人間ってプライドが高くて謝らない人も結構多いんですが、私、まったくプライドないので謝ります。で、同時に「なぜ華麗にスルーしたのか」を考えたとき、「あ、そうだ」と。私はこういうフィルターをかけて見ていたんですね。

 黄金世代のGⅠウイナーでまだ「ウマ娘」に出ていない馬

 そう、ツルマルツヨシはGⅠを勝っていないのです。だからスルーしてしまったのですが、こういう馬を取り上げてくれる時点で、改めて「ウマ娘」って素晴らしい。GⅠを勝っていなくても名馬はたくさんいますし、短い期間しか活躍しなかった馬もいます。そういった馬に何十年後にスポットが当たるのは、応援していたファンからすると本当にうれしいこと。何を隠そう、私もツルマルツヨシを応援していましたから余計です。以前から言っているように、私は競馬担当ではありませんので、単なる競馬ファンとしてですが、あの秋、そしてあの有馬記念、私は腰が抜けるほどツルマルツヨシの馬券を買いました。だから今回、公開されたメインストーリーでその名前を聞いたとき、懐かしさと悔しさがグワングワンこみ上げてきて、あの中山の直線の映像がクッキリと甦ったのですが、改めてツルマルツヨシのことも振り返ってみようと過去の紙面を引っ張り出してみると、やっぱりこの馬はすごいんですよ。そう、それはまさに〝遅れてやってきた秘密兵器〟。しかも、最後の大物登場、真打登場的に、のっそり、ゆったり、ステージに上がってきたわけではありません。駆け足で、猛ダッシュで、突然急浮上したあの秋を、「東スポ」で振り返りましょう。(文化部資料室・山崎正義)


どれくらい遅れたのか

 公開された「ウマ娘」のメインストーリーの主役はスペシャルウィーク。周りを固めるのはセイウンスカイ、キングヘイローエルコンドルパサー、グラスワンダーといった黄金世代と呼ばれる同級生たちで、その中に新登場したのが「ツルちゃん」ことツルマルツヨシでした。体が弱いキャラとして描かれており「みんながデビュー戦を終えたというのに私はまだレースを走っていない」と落ち込んでいます。「デビュー戦は皐月賞より後になった」とあるのも史実通りで、現実の皐月賞でセイウンスカイがキングヘイローとスペシャルウィークを退けた2週後、やっとレースに出走しました。既に新馬戦は終わっており、経験馬たちに交じったダートの未勝利戦を5番人気で逃げ切るのですが、その後も順調にはいきません。少し頑張るとどこかが痛くなったり疲れが出たり…管理する二分久男調教師は常々、こう言っていたそうです。

「虚弱体質やから…」

 というわけで、秋になって2勝目を挙げたころには既に同期たちははるか遠くにいっていました。

 スペシャルウィークはダービー馬として世代の主人公に

 セイウンスカイは二冠馬に

 そして、ツヨシが2勝目を挙げた翌日、エルコンドルパサーは3歳にしてジャパンカップを制します。

 結局、3戦のみで3歳を終えたツヨシですが、考えてみれば、3戦2勝なのも素質のなせるわざで、陣営はその才能を買っていました。ですから、古馬になっての初戦は気合が入っていたと思われます。1月半ば、京都の900万特別、今で言う2勝クラスのレースで3勝目を目指すのですが、ツヨシの馬名の下をご覧ください。

 はい、紙面にある通り、脚に外傷を負って化膿してしまうフレグモーネで出走取消になってしまいました。「ウマ娘」のメインストーリーでも年が明けたばかりのツルちゃんが「去年は体調不良で3戦しか走れなかったけど今年の私は違うよ」と話し、そこで気合を入れ過ぎてゴホッ、ゴホッとなるのは、この史実を反映しているのでしょう。しかもその後、ツヨシはなかなか体調が整わず、春はレースに出走できません。ターフに復帰したのは6月。そこで3勝目を挙げると、陣営は翌月、果敢に重賞に挑戦させます。

 まだ1600万下、今で言う3勝クラスの身で、重賞に出走するような「オープン馬」ではないのですが、競馬というのはフルゲートにならなければ自らが属する条件より上の条件のレースにも出走できます。このときがそうで、しかもレース自体がハンデ戦だったので、格下のツヨシは51キロという軽い斤量で出走できました。紙面には二分調教師のコメントが載っています。

「これまでまともな状態で走ったことがないのに4戦3勝だから潜在能力はハンパじゃない。追い切りも申し分なくデキは絶好。オープン馬が相手でも、しまいはしっかりしとるしハンデが軽いからな」

 まともな状態で走ったことがないのに4勝3勝…確かにすごいです。で、トレーナーの目論見通り、やはりツヨシの力は重賞でも通用しました。後方待機から最後までしっかり脚を伸ばし、3着に入るのです。ただ、3着になったからといってクラスが上がるわけではありませんから条件馬という立場はそのまま。つまり、条件戦に出走できるのに、陣営は次も重賞にぶつけてきます。

 ファンからすると「どこまで通用するか…」の5番人気。ただ、二分調教師は「虚弱体質やから…」「格下なのに強気なことを言ったら笑われるわ」と謙遜しつつ、こうも語っていました。

「腹の中はもちろん違うけどな。いいスピードがあるし、素直な馬だから初めての阪神も大丈夫。3コーナーから一気にペースの上がるオープンの流れについて行ければやってくれるんじゃないか」

 はい、やってくれました。中団につけたツヨシは直線外に持ち出されと、あっさりと突き抜けたのです。

 開幕週の先行有利な馬場で見せた差し切りは力がなければできない芸当。翌日の本紙には主戦の藤田伸二ジョッキーのこんなコメントが載りました。

「とんでもない馬になるんじゃないかと予感している馬。そうでなければ、わざわざ北海道から駆け付けたりしないよ」

 そう、この週は札幌でも競馬が開催されており、夏は北海道を主戦場にしていた藤田ジョッキーからすると、わざわざ本州に戻ってこないといけない状況でした。実際、前日土曜も札幌で騎乗しています。でも、乗りにきたかった。ツルマルツヨシはそれぐらいの馬だったんですね。で、私も含めた一部のファンはこの「とんでもない馬になるんじゃ」という言葉にめちゃくちゃワクワクしました。

「久しぶりに…」

「大物が出たかもしれない」

 はい、ツヨシの父は皇帝シンボリルドルフ。産駒としてはトウカイテイオーがあまりにも有名ですが、それ以来、5年以上、大物が出ていませんでした。だから我々は大いに期待したのですが…さすがに続いて出走した重賞はハードルが高いように見えました。

 印を集めているのは同期のダービー馬・スペシャルウィーク。古馬になったこの年、3連勝で天皇賞・春を勝ち、宝塚記念ではグラスワンダーに敗れましたが、まぎれもなく競馬界の中心に立っていました。他にも、天皇賞・春ではそのスペシャルに及ばなかったものの2着で実力を示したメジロブライト、さらには1歳年下の皐月賞馬・テイエムオペラオーも名を連ねていますから、かなりの好メンバーと言っていいでしょう。ツヨシの印や人気がその3頭の後になるのは当然で、二分調教師のコメントもこんな感じ。

「GⅠ馬相手にどこまでやれるか」

 正直、ファンも同じ気持ちでした。しかししかし、ツヨシの成長ぶりは我々の想像をはるかに超えていたのです。完調手前だったスペシャルが伸びあぐねる中、内でじっとしていた藤田ジョッキーが直線でGOサインを出すとスパッと抜け出し、内から迫るブライトや外から伸びてきたオペラオーを抑え込みます。

「ここまで…」

「ここまで強いのか!」

 驚きました。スペシャルが凡走したからの勝利ではなく、ブライトやオペラオーも封じているわけですからフロックではありません。サラブレッドには、一気に成長する時期というのがありますし、馬肥ゆる秋という言葉もある通り、それが夏から秋になるのも一つのパターンなのですが、ここまで一気にくるとは思いませんでした。

「本物だ」

「大器だ」

 加えて、コレです。

「まだいたのか」

「この世代にはまだこんなに強い馬が!」

 さらに、遅れてやってきたことで増したのがコレ。

 秘密兵器感――

 しかも、それが皇帝の息子なのです。なんでもかんでもサンデーサイレンスという時代だったからこそ、ファンのボルテージは一気に上がりました。ツヨシのファンではないファンや競馬記者からの評価も急上昇。勢いのままに挑んだ天皇賞・秋ではこんなに印がつきます。

 単勝は何と2番人気! 順調に夏を越した同期のセイウンスカイには及ばないものの、スペシャルウィークさえも上回る支持を得たのです。はるか前をいっていた同期のダービー馬との立場(あくまで人気上ですが)を、こんなに早く逆転するとは誰が想像したでしょう。そして「こんなに早く」という感情は陣営も同じでした。レース前日に載った二分調教師のコメントを抜粋してみます。

「この馬は来年にはGⅠに、と考えていたんだが、その時期がこんなに早まるとは」

 はい、周囲の想像を上回る、まさに遅れを一気に挽回するかのような急浮上。「ウマ娘」メインストーリーでツルちゃんがこう意気込んでいたのをご覧になった方もいるはずです。

「この脚が治ったら一気に追いつくから!」

 が! 結果的にはさすがに〝急〟すぎました。天皇賞・秋が行われる東京競馬場2000メートルで不利とされる大外枠、初めて挑戦するGⅠの急流、何よりまだまだ完成していない体にこの連戦はキツかったのかもしれません。中団からレースを進めたものの、伸びそうで伸びず、惨敗から劇的な巻き返しを見せたスペシャルウィークやセイウンスカイ、キングヘイロー、エアジハードといった同期に及ばぬ8着に終わります。レース後、藤田ジョッキーはこう話しました。

「中2週の影響かなあ。時計的な裏付けもなかったけど、ペースが上がったところで置かれてしまった。いずれはGⅠを勝てるとは思うが

「〝いずれ〟は来年か…」

「ちょっと厳しかったか…」

 誰もがそう思いました。しかし、またもや「こんなに早く」がやってきます。まだまだ同期の一線級とは差があるように見えたツヨシが、天皇賞・秋の後、ぐんぐん調子を上げていくのです。戦いの場は年末の中山競馬場。

 グランプリ

 有馬記念

 ターフを去る同期のダービー馬と、これまた同期の栗毛の怪物に、ツヨシは挑戦状を叩きつけます。


1999年 有馬記念

 天皇賞・秋までがやや強行軍だったこともあり、ジャパンカップの出走を見送ったツヨシは、12月になり、美浦トレセンに入ります。関西馬ですが、有馬記念が行われる中山競馬場に近い茨城・美浦で、じっくり調整しようという狙いです。すると、これがハマります。水が合ったのか、体調の上昇と成長のカーブがマッチしたのか、予想以上の動きを見せるようになるのです。もともと目一杯の調教すらできなかった〝虚弱〟なツヨシは、秋以降、かなり強い負荷をかけられるようになっていましたが、この有馬の1週前はかつてないほどハードに攻めることができました。そして、藤田ジョッキーが駆け付けた有馬当週の最終追い切りもバッチリ。

 本紙の調教速報では、抜群の動きを見せた馬に黒く塗りつぶした◎がつくのですが、ツヨシの名前の横にもしっかりそれがつきました。

 さらに二分調教師のこんなコメントが載ります。

「早めに美浦に入れて大正解やった。この状態でみっともないレースはせんやろ。夢は捨てへんでえ

「虚弱体質やから…」という〝泣き〟がお決まりだったのにこの強気…現場にいた記者たちも手ごたえを感じたのでしょう、ツヨシには◎すら並びました。

 単勝人気が12・1倍の6番人気だったことを考えれば本紙の印は〝つきすぎ〟にも見えますが、私の周りの競馬ファン、特に長年競馬をやってきたファンの中には、ツヨシの馬券を買っている人がかなり目に付きました。なぜなら、他馬につけ入るスキがあるように見えたのです。単勝を人気順におさらいしてみます。

 2・8倍  グラスワンダー

 3・0倍  スペシャルウィーク

 6・5倍  メジロブライト

 6・8倍  ナリタトップロード

 12・0倍 テイエムオペラオー

 構図としては2頭が抜けています。前述のように天皇賞・秋を制したスペシャルは、続くジャパンカップも勝利。〝日本の総大将〟として、凱旋門賞でエルコンドルパサーの夢を打ち砕いたモンジューを返り討ちにしたのですが、その時点で秋3戦目。このころの有馬記念は「余力を残している馬を買え」というのが鉄則でしたから、やや不安を感じさせました。種牡馬になるのが決まっている引退レースで目一杯を仕上げてくるのか…という考え方もできますし、秋から追い込み脚質になっていたのも直線の短い中山競馬場に向いているとは思えません。一方のグラスワンダーは、宝塚記念の〝頂上決戦〟でスペシャルに3馬身差をつけて完勝したものの、秋初戦の毎日王冠を走った後、なかなか体調が整わず、レースを使えていませんでした。調整過程に不安アリだったんですね。これは数字にも表れていて、2強とはいえ、2頭の単勝オッズは3倍近くついています。この年の宝塚ではスペシャル1・5倍、グラス2・8倍でしたから、当時より明らかに信頼度は下がっていたのです。

 3番人気のメジロブライトは、まさに今言った「余力」を考え、ジャパンカップをパスしていました。前年も同じパターンで2着に入っているので狙い通りのローテーションに見えます。ただ、1歳年を取ったことでこの年は前年ほどの勢いがなく、京都大賞典ではツヨシに敗れていますし、天皇賞・秋も11着に惨敗しています。ナリタトップロードとテイエムオペラオーの3歳2頭は、まだ世代レベルが証明されておらず、古馬に通用するかは未知数。加えて両馬ともに鞍上が若く、トリッキーな中山競馬場の2500メートルを乗りこなせるかにも不安がありました。しかも、オペラオーに関しては菊花賞の後、ステイヤーズステークスを使ったことでローテーション的にはキツくなっており、その上、1番人気で2着に取りこぼしています。

「人気馬で固いわけじゃない」

「どの馬も頼りにならないぞ」

 競馬初心者の方からすれば、「よくもまあここまで粗を探せるな」と感じるかもしれませんが、競馬というのは知れば知るほど、こういう思考になりがちです(苦笑)。で、特に穴党は、平穏に収まらない気配を察知した時、いきり立ちます。

「この有馬は荒れるかもしれない」

「穴狙いも無理筋じゃない」

 で、「波乱の使者は…」と探したところ、真っ先に目がいくのがツヨシでした

「ずいぶん体調がいいらしい」

「天皇賞・秋は大外枠だったからノーカウント」

「ジャパンカップを使ってないから余力もある」

「GⅠの流れにも慣れただろうし」

「ルドルフの子なんだから距離も持つ」

 はい、巻き返す条件が整いすぎていました。そして、さらにもうひとつ、ツヨシを後押しする要素…。

「男・藤田伸二」

 そうです。鞍上の藤田ジョッキーは大舞台に強く、時に、強い相手をギャフンと言わせる勝負師として知られていました。天才・武豊ジョッキーが初のダービー制覇に向けて、1番人気のダンスインザダークで府中の直線を抜け出した後ろからフサイチコンコルドで差し切ったのが3年前。2年前の有馬記念では4番人気のシルクジャスティスで一発言わしているのですが、そのときは1番人気マーベラスサンデーと2番人気エアグルーヴの叩き合いを外からまとめて差し切ってします。

「あのときも2強だった」

「あれを差し切った藤田なら…」

「またやってくれる!」

 あのときは私もこの心境になっていました。予想が好き、馬券が好き、騎手のキャラ読みも好きで、「配当妙味」という言葉はもっと好き…そんな私にとって、ツヨシはどう考えても〝買い〟だったんですが、一方で、違う思いを乗せていた人もいました。例えば、あのころ通っていたスナックの常連だったミネさん。

「同期はみんな出世しちまった」

「ヒラは俺だけだよ」

 いつもそう言ってため息とともにウイスキーのお湯割りをチビチビすすっていた白髪のおじさん。たぶん50代後半だったと思うんですが、その人に私はあの有馬の週に馬券を頼まれたんです。ミネさんは競馬をやらなかったはずなのに、競馬好きのママさんからツヨシのことを聞いたとか。

「才能はあるのに体が弱くて…」

「強い同級生の中で出世が遅れてた馬なんだって?」

「頑張ってほしいなあ」

 自分と重ねているのは明らかでした。ミネさんは入社早々、肺の病気を患って長く会社を休んだこともあり、その後、体調は戻ったものの、出世コースから外れてしまったのです。

「スタートでつけられた差は縮まらない」

「だから山ちゃん、体には気を付けるんだぞ」

 そう私に言いながら、がんがん酒を飲み、ぱかぱかタバコを吸っていたミネさん。そのタバコの銘柄が「峰」(ふるっ!)だったからミネさんなんですが、その人が私に1万円を渡してきたとき、「こういう競馬もあるんだな」と思ったものです。そして今、書きながら、まざまざと思い出しました。

「馬の名前って面白いな」

 止まり木で、そうつぶやいたミネさん。

「体が強くないのにツヨシなんだもんな」

 ちょっと面白いことを言っちゃったかなオレ的なミネさんの顔と、豪快に聞き流したママさんの姿が、今、私の脳内で再生されています。家族のことも仕事のこともすぐに忘れるのに、競馬に関する記憶だけは、こういうタイミングでハッキリと思いだせるのだから不思議ですが、ミネさんだけではなく、「同期」(特に昭和世代は企業での同期入社に強い思い入れがあります)や「虚弱」というキーワードでツヨシを応援していた人はいたはずです。今回、初めてツヨシのことを知った人も、せっかくですから、「ウマ娘」メインストーリーのツルちゃんと史実のツヨシを重ねながら、あの有馬記念を見てみてください。歴史に残るスリリングな展開となったあの有馬を。

 ゴールドでもオレンジでもない、師走の午後4時前らしい黄銅色の光が馬の影を長く伸ばしていたあの日、ツヨシと藤田ジョッキーは中団で虎視眈々と一発を狙っていました。その後ろにグラス、さらに後ろにスペシャル。宝塚記念のリベンジを果たす最後のチャンスに燃える武豊ジョッキーは最後方に下げてまでグラスの的場均ジョッキーをマークしていました。的場ジョッキーもそれは分かっていましたから先に動きたくないのですが、さすがに3コーナーを過ぎ、グラスをうながします。GOサインを出したその場所は、奇しくもツヨシの外でした。力量が明らかに上なら、先に行かせてあとから差す形を取ったでしょう。しかし、相手は昨年の有馬記念を制した栗毛の怪物です。直接対峙したことはありませんが、ツヨシの急成長とグラスの体調不安を相殺しても、よくて互角。先に行かれたら追いつける保証はありません。

「踏み遅れるわけにはいかない」

 勝負師は知っていました。ひよったら勝機を逸することを。

「そっちが動くならこっちも動く!」

 藤田ジョッキーに促されたツヨシ。グラスの内で一緒に上がっていくツヨシ。的場騎手は少し後ろを気にしていました。スペシャルがついてきているのを知っていたので、できる限り追い出すのをガマンしていたのですが、勝負師はそこを見逃しませんでした。

「だったら先に!」

「いっけーーー!」

 グラスより、スペシャルより、ほんの少しだけ早く仕掛けたツヨシ。動かざるを得ない苦しい展開の中で、かすかな勝機を見出した藤田ジョッキーのスパートに、ツヨシはこたえました。直線を向き、アッと言う間に先頭。急坂を登りながらグンともうひと伸びしたあのツヨシに、ぜひツルちゃんの姿を重ねてください。

 なかなかデビューできなかったツルちゃん

 すぐに目を回す虚弱なツルちゃん

 無理は禁物だったツルちゃん

 そんなツルちゃんが心臓破りとも言われる中山の急坂を力強く上っていくだけでも感動的なのに、その外から追いかけてくるのがあの2頭なのです。

 同期の怪物

 同期のダービー馬

 いつも先だった

 いつも先にいた2頭

 あの2頭より前をツヨシがゴールに向かっているのを目にしたら、きっとあなたも叫ぶはずです。

「ツヨシ!」

「ツヨシ!」

「ツヨシ!」

 残り100でまだ先頭

 残り50でも先頭でした。

「勝った!」

 誰もがそう思った後にやってきた坂の上の大逆転劇は、何度見ても語り草です。最後の最後、ゴールに飛び込もうとするツヨシを残り10メートルでかわしたのは、翌年全勝する世紀末覇王。そのテイエムオペラオーを残り5メートルでグラスが交わし、ゴールの瞬間、スペシャルが外からグラスをとらえきった伝説の一戦。とらえきったはずなのに4センチ差だけグラスが残したあの奇跡のハナ差を演出したのは、間違いなくツヨシでした。ツヨシがいなければあのスリリングなゴール前はなかったのです。

 黄金世代のエースと怪物のラストバトル

 次世代へのバトンタッチ

 二転三転のゴール前

 それを導くためにやってきた

 遅れてやってきた――

 ツヨシは、競馬の醍醐味を伝えるための秘密兵器だったのかもしれません。

 そしてツルちゃん

「この脚が治ったら一気に追いつくから!」と言っていたツルちゃん

 君はあの直線で追いついていた。

 あの2頭に

 黄金世代の同期に間違いなく追いついていました。

 その晩、馬券をミネさんに渡した時、聞かれました。

「馬券ってこんなにシワくちゃで売ってるのか?」

 いやいや、すみません、握ってたらそうなっちゃって…。

「で、ツヨシはどうだったんだよ」

「同期に勝ったのか?」

 勝てはしませんでした。でも…。

「でも?」

 強かったです!

「そうか」

「じゃ、あれだな…」

「ツヨシはツヨシ!」

 いつになく元気だったミネさん。その言葉を華麗にスルーしたママさんの姿ともども、昨日のことのように思い出せるのは競馬と「ウマ娘」と、そしてツヨシのおかげです。ありがとうございました。


エピローグ

 頑張り過ぎたのでしょう。脚元に不安が出たツヨシは長いお休みに入ります。復帰は秋の京都大賞典。まずは無事に…という6着を経て、年末の有馬記念に向かいました。

 主役はこの年全勝のテイエムオペラオーで単勝1・7倍の断然人気。続いたのが同学年のメイショウドトウとナリタトップロード。対する1つ上の黄金世代は、1年前にスペシャルが去り、この日、グラスワンダーも引退式を行っていました。エルコンドルも、セイウンスカイも、いません。キングヘイローもこのレースで引退です。

 時は確実に流れていました。

 世代交代は済んでいるようにも見えました。

 ツヨシ陣営からも強気な言葉は出ていませんでした。

 そりゃそうでしょう。年も年で、もともと体も強くない中、ターフに戻ってきただけでもすごいことで、昨年ほどの出来にないのは明らかです。

 なのに…

 なのに…

 ファンはツヨシの馬券を買いました。

 4番人気――

 いくらメンバーが違うといっても昨年だって6番人気。病み上がりをひと叩きできたとはいえ、売れすぎでした。でも、これぐらい期待した人がいたんです。

 世紀末覇王率いる世代を

 黄金世代の生き残りが…

 遅れてやってきた秘密兵器がうっちゃる

 そんな夢を見たあの有馬記念、直線を前に脚を痛めて競走を中止したツヨシが無事で本当に良かったです。しっかり止めてくれた藤田ジョッキーに感謝しつつ、メインストーリー第1部最終章の後編を待ちましょう。

ツヨシにもちゃんと額に流星がありました。ツルちゃんの髪にしっかり反映されています


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