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実装即出し!「ウマ娘」のローカルアイドルは不屈のダート王!ホッコータルマエを「東スポ」で振り返る

 2010年代を代表するダート馬・ホッコータルマエ。馬主さんの会社の所在地や馬名の由来(樽前山)から、北海道・苫小牧の観光大使も務め、「ウマ娘」でもその役を担うローカルアイドルとして描かれているのですが、史実ではローカルどころか世界を目指すほどの実力馬でした。決して派手ではなかったものの、ひたむきに走り続けた名馬の足跡を「東スポ」で追ってみましょう。実は、とんでもない闘志を持った馬でもありました。(文化部資料室・山崎正義)


王者への道

 ホッコータルマエの父は名種牡馬キングカメハメハだったのですが、母方はそれほどの血統ではなく、セリでは決して高額とは言えない1575万円という値段で購入されました。馬体も目立ったものではなかったようで、デビュー前の調教の動きも地味。3歳1月に出走した新馬戦の単勝オッズが100倍を超えていたのもある意味、仕方なかったのかもしれません。で、人気も結果も11着という、後のGⅠ馬とは思えない結果で2戦目を迎えます。

 そりゃ、無印ですよね(苦笑)。人気は9番目。でも、ここで勝っちゃうのがさすが後のGⅠ馬です。ただ、この頃はまだまだ地味でした。5戦目で2勝目を挙げるものの、そのときは5番人気。次走、果敢に3歳限定のダートのオープン競走・端午ステークスにチャレンジするも7番人気。ここで強豪相手に3着に入ったことで、やっとファンの間では「ん? なかなか走りそうだな」となりました。とはいえ、まだ地味です。続く条件戦(現在の2勝クラス)で、古馬相手に勝ち切り、地方馬と一緒に走る3歳のダートGⅠジャパンダートダービー(大井競馬場)に出走したときも6番人気。で、5着に敗れるのですが、実はこのときは敗因がありました。内で包まれて脚を余していたのです。そして、それを踏まえ、主戦の幸英明(みゆき・ひであき)ジョッキーが外目をすんなり進ませた8月の3歳限定のダート重賞・レパードステークスを勝ち、やっと名前が全国区になりました。

 ただ、勝ち方が地味だった(2着とクビ差)こともあり、ファンや関係者の評価は「GⅠ級」とまではいきません。秋になり、古馬相手のGⅢみやこステークスで5番人気で3着に入っても、なんなら次のGⅠ・ジャパンカップダートで9番人気で3着に入って穴を開けても、ファンはスター候補としては見ませんでした。

「力はつけてる」

「強くなってる」

「どんな相手でも頑張ってる」

 でも、勝ち切っているわけではないので、評価が急上昇しないのです。しかもタルマエは、GⅠの後、賞金上積みを狙って出走した12月末のオープン競走を単勝1・8倍の断然人気で2着にとりこぼし、古馬になっての初戦・東海ステークスも1番人気で3着に敗れます。

「強いけど…」

「相手なりのタイプかな」

 はい、漂っていたのは〝ダートの善戦マン〟感。しかし、実はタルマエはしっかりと力をつけてきていました。東海ステークスは4コーナーで下がってきた馬と接触してハミを取らなくなってしまっただけで、サラブレッドが描く成長曲線通り、4歳となり、調教が実になっていたのです。暖かくなるにつれ、その曲線はどんどん上を向いていきます。まず2月、地方との交流重賞・佐賀記念(GⅢ)。

 同じく地方交流重賞の名古屋大賞典(GⅢ)。

 中央に戻って、GⅢアンタレスステークス。

 力が劣るといわれる地方馬との交流重賞では信じ切れなかったファンも、粒ぞろいの中央メンバー相手に勝ち切ったことで、さすがにその力を認めつつありました。〝つつ〟と書いたのは、まだGⅠで結果が出ていなかったからですが、タルマエの成長度はハンパじゃありませんでした。満を持して挑戦した地方交流GⅠ・かしわ記念(船橋競馬場)。

 同じくGⅠの帝王賞。

 このGⅠ連勝が2→3番人気だったところが、まだそこまで信用されていなかった証拠でしょうが、もはや誰もが強さを認めざるを得ませんでした。叩き良化タイプなので秋初戦は1番人気で2着敗れますが、11月のJBCクラシックは1番人気にこたえる堂々の勝利!

 タルマエは一気にダート界の中心に躍り出ます。トランセンドやスマートファルコン(ファル子!)といった大物が引退し、エスポワールシチーも衰えを隠せなくなっていたころで、メンバー的にはスター不在。そこに、この年8戦6勝の4歳馬が現れたのですから、続く中央のGⅠ・ジャパンカップダートでこれだけ人気を集めるのも当然です。

 単勝は1・9倍。2番人気が6・3倍でしたから断然の存在で、幸ジョッキーも、その人気にこたえるように2番手をガッチリとキープし、いつでも抜け出せる横綱相撲を見せました。直線を向き、堂々と先頭。しかし、ここでタルマエ唯一の弱点が露呈します。

 そう、早めに先頭に立つと集中力を欠いてしまうのです。競馬用語で「ソラを使う」というやつで、力は残っているのにキョロキョロしたりして力を抜いてしまう。そうこうしているうちに後ろから差されてしまうことがあるから困りもので、幸ジョッキーもこの癖が分かっているからなるべく早く抜け出さないようにしていたのですが、このときは逃げ馬が予想以上に早くバテてしまい、早々に先頭に立たざるを得ませんでした。ゴール前ギリギリでかわすパターンなら、ソラを使う時間が短くなり、差されるリスクも低くなるのですが、正反対の状況に陥ったことで、後ろの馬2頭にドドドッとこられてしまったんですね。

 力負けではない3着――

 これほど悔しいものはありません。だから、幸ジョッキーは続く年末のダートナンバーワン決定戦・東京大賞典で細心の注意を払います。早めに抜け出さないよう、直線半ばまで、強い中央馬たちと競り合いを続けるように走らせ、なるべくゴールが近くなってから先頭へ。

 1・6倍の1番人気だったので、幸ジョッキーもホッとしたことでしょう。前走で先着されていたワンダーアキュート(3・7倍)よりも人気を集めていたところに、関係者もファンも「実力通りなら(ソラさえ使わなければ)タルマエの方が強い」と見ていたことが分かります。そして、改めて現ダート界では一番強いことを証明したタルマエは、年が明け、1月の川崎記念(GⅠ)も快勝し、中央のダートGⅠ・フェブラリーステークスに堂々、駒を進めました。

 ダート界のトップホースとは思えないほど印が薄いのがお分かりいただけるでしょうか。これは、中央馬がメンバーの大半を占め、スピードが問われがちな1600メートル戦への適性が疑問視されていたからです。本格化したこの1年、タルマエはそこまでスピードを求められない地方競馬場の2000メートル前後で強さを発揮してきました。逆に、スピードが求められた前年の秋初戦・南部杯(1600メートル)やジャパンカップダート(1800メートル=中央でのGⅠはスピード能力の高い中央馬が集まるのでスピード勝負になりやすい)を落としています。

「東京競馬場の長い直線にマッチしたキレ味もないし…」

「取りこぼしそう…」

 そんな声が多かったんですね。だから単勝も2番人気。1番人気となったジャパンカップダートの覇者・ベルシャザールが、前年秋に東京の1600メートルで行われた武蔵野ステークス(GⅢ)を快勝していたことからも、ファンが距離適性で馬を選んだことが分かります。だからこそ、ファンはタルマエがスッと前にいき、5番手で流れに乗っているのを見て、「おっ」となりました。

「対応してる…」

「スピード負けしないぐらい本格化してるんだ!」

 そう思う行きっぷりで直線を向いたタルマエ。残り200メートルで2番手に上がりました。あとは逃げ馬をかわすだけ。都合のいいことに全く人気のないその逃げ馬がバテずに頑張ってくれていたので、ソラを使うような状況にはなっていません。なるべくゴールの近くで差せば、後続の追い上げもしのげそう…

「は?」

「へ?」

「あれ?」

 交わせず2着--

 何と、逃げた馬が止まりませんでした。

 実績不足の最低人気

 単勝272・1倍

 コパノリッキー

 彗星のごとく現れたニュースターの激走に涙をのんだタルマエ。中央のダートGⅠを何とかモノにしたかった陣営としては相当悔しかったでしょう。ただ、人気馬が、人気薄の逃げ馬の足元をすくわれるのは〝競馬あるある〟であり、そもそも最低人気だったコパノリッキーにフロック感もあったため、タルマエに傷はつきません。むしろ

「スピード戦に対応した」

「1600メートルでも崩れなかった」

「やっぱり本格化している」

と再評価されたぐらいで、その実力は疑いようのないものになっていました。

 大牧場出身でもなく

 高値で取引されたわけでもなく

 大馬主さんの所有馬でもなく

 トップジョッキーが乗っているわけでもない(幸ジョッキーは前2年とも関西で6位。リーディング争いをするまでのスター騎手ではありませんでした)

 そんな、どちらかというとキャラ的には地味な馬がダート界のトップホースになるのだから夢がありますが、夢はさらに膨らんでいきます。ダートで力を持つに至った馬が次に目指すのは…

 世界――

 タルマエがすごいのはここからです。


ドバイでの事件

 毎年3月末に行われるドバイワールドカップは、秋のブリーダーズカップ(米国)と並ぶ、ダートの世界一決定戦。2014年当時、日本トップクラスの実力を持った馬がチャレンジするのは既に珍しいことではなくなっていました。もちろん、海外遠征にはリスクも伴います。特に、肉体的、精神的に不安のある馬には厳しい戦いになるのですが、その点、タルマエはタフでした。何せ、2年前の8月からおよそ1年半、ケガなくコンスタントに15回も走り、8勝、2着3回、3着4回という成績を残しているのです。このあたりがまたエリートとは真逆の雑草魂的な魅力にもなるのですが、とにもかくにも肉体的な不安はありません。さらにオンオフがしっかりした馬で、レース以外で余計な力を使わないのも遠征向きでした。管理する西浦勝一調教師も、現地で調教を終えた後、こんなコメント。

「いい動きを披露してくれました。期待できそうですね」

 ただ、下馬評は高くありませんでした。理由は馬場です。

 オールウェザー

 これ、砂ではなく、全天候型の人工馬場。天気の影響を最小限にするために開発されたもので、いろいろな種類があるのですが、ドバイで使われていたのはタペタという、砂とゴム片と人口繊維を組み合わせて作られたものでした。

 砂よりは走りやすく

 芝よりはクッションが効いていてダート寄り…

 もはや、何がなんだか分かりません(苦笑)。で、2010年からこのオールウェザーを採用したことにより、ドバイワールドカップは生粋のダート馬ではなくても通用するようになりました。それこそ芝のトップホースも参戦するようになっており、2011年には日本の芝GⅠ馬ヴィクトワールピサが勝ち、2着に日本のダートGⅠ馬トランセンドが入りました。芝とダート、どちらの馬でも能力を発揮できるような馬場に変貌したわけです。ただ、それはレースがスピード寄りになったことも意味します。力のいる地方競馬場でより強さを発揮し、どちらかというとスピードタイプではなかったタルマエにとって、決して歓迎できる馬場ではなかったんですね。だから、スタート後、果敢に2番手を先行していったときには、フェブラリーステークスの時と同様、「おっ」となりました。私たちの想像よりはるかに強くなっているのでは…と期待も抱いたのですが、3コーナーで幸ジョッキーの手が動き始めます。

 ついていけない

 ズルズル下がって

 下がって

 下がって…

 最下位――

 正直、厳しいとは思っていましたが、ここまで大敗するとは…幸ジョッキーはレース後、こう絞り出しました。

「調教とは全く違った」

 タルマエは現地入りした後、オールウェザーで調教をしていたんです。そのときの動きは良かったのですが、レースで走ったタペタは別物でした。調教をする早朝は乾燥して走りやすかったのに、気温が上がったレース時には、人工馬場に入っているオイルが溶けて粘着性が出ていたといいます。経験したことのない馬場に、さすがのタルマエもなすすべもなかった…にしても、最下位という結果はファンにも陣営にもショックでした。そして、追い打ちをかけるように、レース後、もっとショッキングなことが起こります。

 タルマエに異変

 腸炎発症

 緊急入院――

 発見が早く、ドバイの病院で手当てが受けられたから良かったものの、もし発見が遅れていたら一大事だった…という危険な状況に陥ってしまったのです。その原因は

 ストレス――

 あんなにタフなタルマエが…

 ショックでした。いや、それ以上に涙が出ました。見知らぬ砂漠の地で、様々なストレスがかかっていたはずなのに、それを人間に見せることなく頑張っていたなんて…。

 同じくドバイに遠征していた他馬より1週間も遅れて帰国したタルマエ。命に別条がなくて何よりでしたが、誰もがそのダメージを心配しました。もちろん休養です。秋までしっかり休みました。でも、復帰戦となったJBCクラシック(盛岡競馬場・2000メートル)で、3番手から前を追いかけたものの4着に敗れたのを見て、ファンはやはり心配になりました。

「そりゃそうだよ」

「ダメージがないわけがない」

 海外遠征をきっかけに体調を崩した馬、精神的に参ってしまった馬は数え切れません。記者もよく分かっていますから、続く中央のGⅠ、この年からジャパンカップダートから「チャンピオンズカップ」と名前を変えたレースにエントリーしたタルマエの印はこんな具合でした。

 陣営からは「ひと叩きで体調は上がっている」「何とか中央GⅠのタイトルを獲らせたい」という前向きなコメントが出ていたものの、新聞的には無印もある半信半疑感たっぷりの状況。それは数字にも現れます。前走のJBCクラシックをぶっちぎり、フェブラリーステークスがフロックではないことを完全に証明していたコパノリッキーに1番人気を譲った2番人気で、単勝オッズは5・9倍。名称は違えど、レースの立ち位置的には同じだった昨年のジャパンカップダートが1・9倍ですから、いかにファンが不安に感じていたか…だから驚きました。涙が出ました。

 海外であれだけダメージを負った馬が、2番手を堂々と進み、追いすがる馬たちを力強く振り切ったのです。

 大敗のショック

 腸炎のショックさえ吹き飛ばす

 悲願の中央GⅠ!

 ガッツポーズの幸ジョッキーも感無量だったでしょう。ちょうど1年前、圧倒的な1番人気で迎えたジャパンカップダートの直前、タルマエのオーナーが亡くなっていました。相当な決意を持って臨んだそのレースで3着に敗れたときの悔しさを考えると、幸ジョッキーも、この勝利でショックを振り払ったと言えます。また、オーナーを引き継いだご子息や陣営が、幸ジョッキーを乗せ続けたのも偉かった。この頃は既に外国人ジョッキーへの乗り替わりが当たり前の時代になっていたので、下手をすれば前年のジャパンカップダートで人気を裏切ったところで乗り替わりになってもおかしくなかったのに、それをしなかったことが勝利につながったのですから競馬というのはやはり馬と人との信頼があってこそのスポーツです。このチャンピオンズカップ、タルマエの癖を知らない外国人ジョッキーだったら、絶好の手ごたえだった4コーナーで早めにスパートしてしまったかもしれません。しかし、ソラを使う癖を知り抜き、海外であれだけのことがあったのに馬を信頼していた幸ジョッキーは追い出しをガマンしました。だからこそ、1番先にゴールテープを切れたのです。

 年が明け、単勝オッズ1・0倍(当たってもお金は増えません)というとんでもない支持を得た川崎記念もしっかり勝ちます。

「完全復活だ!」

「よくぞここまで戻した」

 はい、私も同感でした。肉体面も、精神面も、よくぞ〝戻した〟と思っていました。100%だった1年前の状態がドバイで限りなく0%になり、そこから徐々に戻って100%に復活したと思っていたのですが、どうやら私はホッコータルマエという馬の本質を見抜けていなかったようです。2月のフェブラリーステークスを使わず、万全を期して再びドバイに向かうタルマエに関する西浦調教師のこんなインタビュー記事を読んで、腰を抜かしました。

 ――昨年のレース後は腸炎を患うほどのストレスでした

「あれだけタフな馬が、立ち直るのに時間がかかるほどのダメージがあった。タルマエ自身は相当、悔しかったんだろう。昨秋に使い出したころからオレにもう1回ドバイを走らせてほしい、といった感じで闘志を見せるようになってきたんだ」

 なんと、ストレス性腸炎で生死の境をさまよったのに、それにヘコむことなく、さらに闘争心を燃え上がらせていたというのです。

 肉体的には100%

 精神的には120%!

〝戻した〟どころか今まで以上にファイターになっていたのです!

 だからこそ、陣営もドバイへの再挑戦を決めたのでしょう。昨年のこともありますし、既に種牡馬になるぐらいの成績を収めているのですから、無理をしなくても良さそうなのに、馬の目は死んでいなかった…。本紙に載ったこの記事を読んで、私は完全にタルマエ応援団になっていました。しかも、記事内で、西浦調教師はこうも言っていたのです。

 ――外国人騎手とのコンビが多い中で幸騎手が手綱を取ります

「競馬を教えるには最初からずっと同じ人間が乗ってほしい、と考えている。馬もそうだけど、人間も同様に成長してほしいからね。彼はあれだけの成績を残しながらも低姿勢で人間性も素晴らしい。世界に認められるジョッキーに育ってほしいから」

 私は心の中で雄たけびを上げました。

 これこそ競馬

 人と馬

 信頼関係で成り立つスポーツ!

「いけ、タルマエ!」

「いけ、幸!」

「頑張れ!」

 前の年、最下位になった馬が、砂漠の地で果敢にハナを奪いました。

 前の年、腸炎になった馬が、世界の強豪を引き連れて逃げていきます。

 前の年、3コーナーから下がりはじめた馬が、4コーナーを先頭で回ってきます。

 前の年、直線でズルズル下がっていった馬が、粘っています。

 かわされても

 前を向き

 食らいつき

 最後まで走り切った5着――

 気が付けば、目から涙がこぼれていました。


新記録

 2度目の挑戦を終えた幸ジョッキーはこう話しました。

「カメラを積んだ車や馬場の内側に設置されているスピーカーから流れる実況に気を使い、終始外にモタれ気味になってしまった」

 もっと集中させてくれればよかったのに!なんて私は思いましたが、西浦調教師はやり切った表情だったと記事にありました。

「勝てなかったのは残念だが、それでも日本馬がダートでも世界に通用することは十分に証明できた」

 そう、実はドバイワールドカップはこの年からオールウェザー(タペタ)ではなく、ダートに戻っていました。とはいえ、オールウェザーになる以前から、日本馬は歯が立たないことが多く(のべ17頭が挑戦して5着以内はわずか3回)、ダートで世界を獲るのは難しいと言われるようになっていましたから、見せ場のあった5着というのは、日本の競馬界に光を与えるものでした。そして何より、タルマエは本当に頑張りました。

「お疲れ様」

「ゆっくり休んでくれよ」

 そんな声をかけた私たち。でも、タルマエはそんな甘っちょろい選択をする馬ではありませんでした。

 秋まで休み?

 NO!

 6月、帝王賞に出てきたときの西浦調教師のコメントを聞いて、改めて私は「休んでくれ」と願った自分を恥じました。

「ドバイの経験を踏まえてどんな競馬をしてくれるのか、楽しみにしているんだ」

 ドバイはゴールではなかった

 タルマエはまだまだ前を向いていた

 前を向けるぐらい、タフでした。

「強いなあ」

 そして

「偉いなあ」

 ファンも感心するばかり。むしろ、あまりに強すぎて、「次の目標が見つかるのだろうか」という余計な心配もしたのですが、この勝利で、ある数字が現実味を帯びてきました。それは不屈のタフホースが次の目標に掲げるにふさわしい前人未到の記録でした。

 ダートGⅠ

 最多勝利記録

 10勝目まであと1つ

 いけ!

 タルマエ!

 既に「とまこまい観光大使」になっていたので、北海道からの声援も増える中、秋になり、タルマエはJBCクラシックに出てきます。単勝オッズは新記録への期待も込められた1・4倍。結果は…

 立ちはだかったのはコパノリッキー。この年、タルマエ不在のフェブラリーステークスを連覇した名馬は、天才・武豊ジョッキーに操られ、逃げの手でスピード勝負に持ち込みました。よくよく考えるとリッキーはタルマエにとって「ここぞ」という場面で先着してくる存在で、前年のフェブラリーステークスも、JBCクラシックも、直接対決で逃げ切られています。

「この馬をすんなりいかせるとまずい…」

 幸ジョッキーがそう思うのも当然です。次走・チャンピオンズカップでは、ターゲットとして狙いを完全に絞っていました。逃げたリッキーに外国人ジョッキーが乗る日本馬が競りかけるその後ろで虎視眈々。リッキーが4コーナーでその馬たちを振り切ったところで襲い掛かり、早々に交わしにかかります。

 今度は逃がさん!

 捕まえる

 捕まえて…

 新記録だ!

 捕まえたんです。ライバルを競り落としたんですが、あまりにペースが上がり過ぎたため、後ろの馬に差されてしまいました。仕掛けが早すぎたんじゃ?という声も出ましたが、西浦調教師は幸ジョッキーをかばいます。

「マークすべき馬が前にいるんだからね。勝つために動いたのだから今日は仕方ない」

 はい、仕方ないんです。すんなり逃がしてしまったらコパノリッキーはすさまじい力を発揮するのですから、マークせざるを得ない。それは次の東京大賞典も同じでした。単勝2・7倍のライバルの直後で、単勝2・3倍のタルマエはやはり完全マークの手に出ます。余力も残しておかなければいけないので、リッキーの武豊ジョッキーが超ハイペースにするわけがありませんから展開のアヤは考えられません。力が劣るとされる地方馬が多く出てくるので、チャンピオンズカップのような、無謀な競りかけをしてくる馬もいませんでしたから、まさに一騎打ちでした。

 絶対に逃がさん!

 捕まえる!

 捕まえて…

 新記録だ!

 捕まえたんです。前走同様、しっかりライバルを競り落としたのですが、あまりにミエミエだった一騎打ちというのは、時に漁夫の利を生みます。気楽な立場で追いかけてきたサウンドトゥルーという3番人気馬が、前の2頭だけを目標に突っ込んできました。タルマエは直線でいったん完全に抜け出したものの、力をつけてきた1歳年下の新星に差し切られてしまったのです。

「新記録まで…」

「あと少しだったのに…」

 タルマエにとって、サウンドトゥルーの本格化は厄介でした。差し馬なので、今後もマークされる恐れがありますし、何より成長著しい雰囲気、勢いを感じさせました。一方のタルマエは年が明けたら、もう7歳です。記録に向けて、秋のGⅠ3戦をビッチリ戦い抜いたことによる疲れも懸念されます。だから、およそ1か月後の川崎記念、リッキー不在の中、トゥルーの単勝オッズがタルマエと並びます。

 世代交代――

 ささやかれ始めていたその言葉通り、抜け出したタルマエをマークするかのように外からトゥルーが差してきたあの直線、誰もが覚悟したはずです。勢いは完全に外でした。

「新記録…」

「今回もダメなのか…」

 誰もがそう思ったでしょう。しかし、幸ジョッキーはさすがでした。ラチ沿いではなく、馬場の真ん中を走らせることにより、ライバルから離れないようにしていたのです。実は東京大賞典では、タルマエは最後の最後でいつもの癖、ソラを使っているうちに、離れた大外をサウンドトゥルーに差し切られています。あのときのトゥルーの脚色を考えれば、ソラを使わなかったとしても負けていたかもしれませんが、「馬体さえ併せていれば」ともとれる内容…だからこそ、なるべく馬体を離さずソラを使わせないよう、それどころか、幸ジョッキーはゴールが近づくにつれ、タルマエをトゥルーに近づけていきました。

 賭けたのです。

 タフなタルマエに

 タフな精神力に

 この馬はやり返す

 ドバイにも

 リッキーにも

 一度負けてももう一度

 何くそと向かっていく

 不屈のタルマエ!

「いけ!」

「踏ん張れ!」

 ゴール直前、追いかけてきた後輩の勢いに、もう一度闘志に火をともしたタルマエが「負けるか!」とばかりに、グイッともうひと伸びしたところがゴールでした。

「やった…」

「ついに…」

「GⅠ10勝」

「新記録だ!」

 強くてタフな馬

 馬を知り尽くしたジョッキー

 同じ騎手を乗せ続けた陣営

 みんなの勝利

 みんなで勝ち取った偉業

 おめでとう!


薄れぬ闘志

 新記録で引退――

 な~んてことを、伝説のタフホースと陣営が選択するわけがありません。

 3年連続、ドバイへ――

 先行できず9着に敗れたのを見て、私たちはまた心配しました。

「いい年だし…」

「大丈夫かな…」

 しかし翌日、私たちは新聞でとんでもないものを目にします。レース後、幸ジョッキーはこう話したのです。

「1歩目は出たんだけど周りが速かったし、外の馬に噛みつきにいってスピードが鈍ってしまった」

 噛みつきにいった!?

 苦笑いしつつ、タルマエの闘志に頭が下がる思いでした。そして、そのタフな肉体と精神は、日本に帰ってきてからも変わりません。秋まで休まずにこの年も6月の帝王賞を走り、10月の南部杯、11月のJBCクラシックにも参戦します。着順は順に4、3、2。年内での引退は決めていたものの、その先行力に衰えはありませんでした。続くチャンピオンズカップを前に、なんなら西浦調教師はこんなことさえ言っていました。

「7歳の秋を迎えたけど、ここにきてもう一段階、馬が良くなってきた感じすらある」

 どんだけ元気なのでしょうか(苦笑)。しかも、JBCで敗れたダート界の新エース・アウォーディーと再戦となることに、こんな期待もしていたのです。

「この馬はレースで負けた後、次は絶対やり返してやろうという気持ちがすごい。これまでもそういうレースをしてきたし、前走でアウォーディーに敗れたことで〝次こそは〟と思っているんじゃないかな」

 そろそろ衰えてきているから無理しないでほしい…なんて思っていた私。穏やかな目で見守ろうとしていた私は、喝を入れられた気分でした。

「そうだよな」

「まだまだ戦わなきゃ!」

 拳を握りしめると体にみなぎってくるパワーを感じながら気付きました。不屈のタルマエに私たちが大きな力をもらっていたことを。

「タルマエ…」

「ありがとう!」

 残念ながら調教後、脚部不安を発症したタルマエは、レースに参加することなく引退となってしまいましたが、私たちはあの数年、タルマエにもらった元気を忘れることはないでしょう。西浦調教師もこう言っていました。

「ずっとGⅠばかりを走り続けてきたんだからホントすごいよね。もうこんな馬には出会えないんじゃないかと思うし、自分が管理していて言うのもなんだけど、名馬中の名馬だよ」

 ダートGⅠ最多勝利数は翌年、コパノリッキーに更新されますが、総出走数と総勝利数はタルマエの方が上。

 39戦17勝

 3年連続ドバイワールドカップ出走

 走り切った5年間

 あなたは本当にタフでした。

 そして、本当にお疲れ様でした。


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