棚橋弘至「あとで映像で見たら、無声映画のようでした…」【思い出したくない恥バウト】
レスラー人生の汚点を振り返ってもらう非情な連載に新日本プロレスの棚橋弘至が登場だ。棚橋が挙げたのは、2004年3月28日両国国技館大会での村上和成との「ノーピープル金網デスマッチ(U―30無差別級選手権)」。都内某スタジオで行われ会場に二元中継された一戦だった…。
致命的だった観客不在
実はあの試合は細かいことまでは覚えていないんです。何で当時、村上選手とやり合っていたのかさえ今となっては…。
まず致命的だったのは、別会場で観客不在だったということ。後で映像で見たら、無声映画のようでした…。テレビ朝日の人がシャウト系の実況をしてくれてたんですけど(リング上との)ズレもあって。プロレスというのはリング、プロレスラー、そしてお客さんがいて初めて成り立つもの。それに気付かなかったオレが愚かでしたね。(注・試合はエンセン井上が金網内に乱入してきて一時中断。再開後に棚橋がKO勝利した)
そういえば誰も入れないはずだったのに誰が開けたんだっけ? 魔界2号だったかな?(注・棚橋の出血をチェックしに来た立会人・山本小鉄氏が開けた)。結局金網の意味はなくなって…。
後藤達俊さんに励まされた
試合が終わって両国に向かっている時からは「ダメだったなあ~」ってずっと思ってて。両国ではベルトを披露するはずだったんですけど、オレは控室でしょんぼりしてたんですよね。で、そこに後藤達俊さんが来て「棚橋、精一杯やったんだろ? なら胸張って行ってこい」って言ってくれたんです。
確かにとんでもない恥ずかしい試合だったけど、そのひと言で「そうだよ、オレは精一杯やったんだ。胸を張ろう」って思ったんです。レスラーとしての階段を一つ上った瞬間でしたね。それからはいつ何時、悔しいときでも、ブーイングを浴びても胸を張る。オレは一生懸命やったんだって。
まあ、何よりもあの試合で分かったのはお客さんがいることのありがたさ。これが心底分かっているのは、今の新日本ではオレだけでしょう。あとは巌流島の戦いに関係した人たちですか。
今思えば、オレの「過剰」とも言われるアピールの源流となっているのは、あの試合なのかもしれませんね。…何か、最後ちょっといい話になってません? 恥ずかしい試合の話だったのにここまでカッコよく語れるなんて、さすがオレ。フフフッ。