「ウマ娘」ではオタクのデジたん!大谷もビックリの二刀流・アグネスデジタルを「東スポ」で振り返る
芝、ダートともに適性A、マイルと中距離も適性A――ゲーム「ウマ娘」におけるアグネスデジタルのスキルは実像そのまんま。芝でもダートでもGⅠを勝った二刀流のオールラウンダーは、馬場の垣根を越え、中央と地方の壁を越え、海を越え、そして競馬ファンの想像も越えていきました。他のウマ娘のことが好きすぎるオタク。ぶっ飛びキャラで知られるゴールドシップにさえ「ヤベーやつ」と恐れられる個性派を「東スポ」で振り返りましょう。昔からの競馬ファンの皆さんには違和感があるかもしれませんが、「ウマ娘」でのニックネーム「デジたん」が、オッサンである私にもすごくしっくりきたので、原稿でもそう呼ばせていただきます。(文化部資料室・山崎正義)
デジたん夜明け前
アメリカで産まれたデジたんは栗東トレーニングセンターの白井寿昭調教師に気に入られて、日本にやってきました。
タイキシャトルやエルコンドルパサー、グラスワンダーらと同じく「外国産馬」という扱いになり、出走できるレースが限られるのですが、ひとまず順調に育成が進み、血統的に向いていそうなダート(砂)戦でデビューします。2戦目で勝ち上がった後に芝を試して8着に敗れ、その後、ダートに戻して2着→1着。そして、続く「全日本3歳優駿(GⅡ)」というダート戦も勝ちます。実はこのレース、地方競馬場で行われたレースです。
デジたんのこの後の競走生活に何度も出てくるので説明しておきますと、競馬には「中央」と「地方」があります。主催者は中央が国、地方は地方自治体です。中央では、土日に大きな競馬場でレースが行われ、大レースは芝が中心。地方は小さな競馬場で、芝のレースがほとんどなくてダート(砂)が中心で、平日にも行われます。同じ「競馬」なのですが、全く別のものとして行われてきた歴史があり、ほとんど交流はありませんでした。でも、デジたんが活躍する少し前、1990年代半ばに風穴が開けられます。地方の重賞に中央馬が、中央のレースに地方馬が出られるようになったのです。格付けも共通化され、中央馬が出走できる地方の重賞(すべてダート戦)は「地方交流重賞」「ダートグレード競走」などと呼ばれるようになり、現在では、中央のダートの強豪は、その地方交流重賞を転戦するのが当たり前になっています。
というわけで、デジたんが勝った「全日本3歳優駿」も地方競馬場である川崎競馬場で行われました。3歳とあるのはまだ年齢表記が過去のままだからで、今で言う2歳です。2歳の年末にそのレースを勝ったデジたんは、年が明け、2月に中央のダートで1戦(3着)した後、春は中央の芝重賞に出走しつつも結果は3→3→7着。「芝ではちょっと足りないから、やっぱりダートかな」と、その後は2回続けて地方交流重賞を走ります。「名古屋優駿」というGⅢを勝ち、「ジャパンダートダービー」というGⅠにも出走(14着)。秋になり、今度は中央のダート重賞で1→2着と好走します。ここまでの成績を「ダート」を「ダ」、「芝」を「芝」で表し、勝ったレースを太字にすると…
ダダ芝ダダダダ芝芝芝ダダダダ
血統通り、どうやら砂の方が得意そう。
「やっぱりダート馬だね」
ファンも、そして調教師もそう思っていたそうですが、デジたんは次走に芝のGⅠに出てきます。後に本紙の連載で白井調教師が語ったところによると、普段から調教をつけていた助手さんがこう言ったそうなのです。
「走りっぷりが変わってきたで。もう一回だけ芝を使ってみたらどうや?」
う~ん、でも、芝でケガでもしたら…と考えるのが普通でしょうが、白井調教師は違いました。「何かに挑戦するなら若い方がいい」という考えを持っていた上に、スタッフの声に耳を傾けられる上司でもあったので、「じゃ、そうしてみるか」となったのです。春の3戦は勝っていないとはいえ、重賞で2度の3着がありますから、芝が全くダメなわけではありません。白井師自身も、もともと芝でも走れそうだと思っていたからこそ走らせていたわけで、伸び盛りの秋でもあり、「試してみるか」となったのでしょう。
芝では一度も勝ったことがないのですから、ほとんど印がついていないのも仕方ありません。今、見返すと▲と△がついているのは奇跡的。印を回した渡辺薫記者と舘林勲記者の慧眼に恐れ入る次第で、他紙ではほとんど無印でした。人気は単勝55・7倍の13番目。レースでもスピードについていけないのか、後方15番手あたりを走っていました。だから驚きましたよ、ホントに。最後の直線、大外をとんでもない勢いで突っ込んできたんですから。しかも、前にいた全馬をまとめて差し切ってしまったんですから!
場内でもウインズでも、「何が起こったんだ!?」とフリーズする人が続出。で、数秒後、電光掲示板を見て「ウソだろ!?」と2度目のフリーズ。そこには「1分32秒6」というタイムとともに「レコード」とあったのです。芝で勝ったことがない馬が芝のGⅠを、しかもそのコースにおける過去最速タイムで勝つなんて、まさにスーパーサプライズ。「何が起こったんだ!?」と誰もが頭の中を混乱させつつ、表彰式に現れた栗色の美しい馬体に見とれるしかありませんでした。
数字(タイム)はウソをつきませんから実力がないとできない芸当だと分かっているのですが、あまりにウソみたいな走りだったので、現実感がなく、「一世一代の激走」のようにも見えました。言い方を変えれば、フロック感とマグレ感。競馬にはいるんです、そういう馬が。信じられないようなすごい勝ち方を、一生に一度だけ炸裂させ、「もう一度あれを…」と思わせて、結局、「もう一度」がない馬が。デジたんも、正直、そんな予感を抱かせました。何せ古馬になった翌年正月の「京都金杯」というGⅢで3着に凡走しますし(そもそもGⅠ馬が積極的に出てくるレースではありません)、その後も芝のGⅡ京王杯スプリングカップで9着、春のマイル王決定戦・安田記念でも11着に敗れます。
「あのマイルチャンピオンシップはなんだったんだ…」
「やっぱりマグレだったのかな」
「一世一代の激走だったんだよ」
ファンは口々にそう言いましたが、違いました。デジたんはちょっぴり調子を落としていただけ。「ウマ娘」に出てくるフレーズで言えば徳を積んでいたのでしょうか、夏休みをもらった後、競馬史に残る大冒険が始まります。
デジたん炎上する
復帰戦に選んだのは9月の「日本テレビ盃」という船橋競馬場で行われる地方交流重賞(GⅢ)でした。元気を取り戻していたデジたんは2着に3馬身差をつけて楽勝し、今度は盛岡に遠征します。これまた地方交流GⅠで、ダートのマイル王決定戦とも言われる「南部杯」。その年の2月に行われた中央のダートマイルGⅠ「フェブラリーステークス」の1、2着馬であるノボトゥルーとウイングアローという先輩を向こうに回し、快勝するのです。
この時点で、グレード制導入以来、芝でもダートでもGⅠを勝った初めての馬となりました。ただ、ファンや関係者の見方は「二刀流」ではありません。
「やっぱりダートなら強い」
「去年のマイルチャンピオンシップはマグレで本質はダート馬」
はい、私もそう感じました。だから、次走は、前の年から中央競馬2つ目のダートGⅠとなっていた11月末の「ジャパンカップダート」に向かうか、芝だとしても前年勝っているマイルチャンピオンシップだと思っていたんですが、陣営は思い切った決断をします。
天皇賞・秋――。
なんと、芝のスターホースが待つ王道GⅠ出走を表明するのです。そして、これが思わぬ波紋を広げます。最初に触れた通り、デジたんは外国産馬。天皇賞・秋はもともと外国産馬は出走できませんでしたが、前の年から「出走したい賞金上位2頭」がOKになっていました。そのうち1頭はメイショウドトウ。前年秋、古馬王道GⅠすべてで2着し、この年の宝塚記念で悲願のGⅠ制覇を成し遂げており、賞金はダントツなので出走はほぼ確定していました。で、問題はもう1頭。実はこの天皇賞・秋には、デジたんの1歳年下、3歳の超大物外国産馬が出走を予定していたのです。それは…。
クロフネ!
今ではアイドル白毛馬ソダシの父としても知られているこの馬は、その名の通り、外国からやってきた黒船でした。デビューから化け物っぷりを存分に発揮。春の「NHKマイルカップ」を制し、秋は菊花賞に向かわず、天皇賞・秋に矛先を向けてきたのです。古馬勢が代わり映えのしないメンバーだったので、この若き舶来がどんなレースを見せるのか、ファンは大いに期待してしました。
「新たなスターが出てきてほしい」
「灰色の馬体も名前もカッコいいし」
しかし、既にたくさんの賞金を稼いでいたデジたんが参戦したことで、クロフネは賞金順が3番目になってしまい、出走できなくなってしまったのです。
「何してくれてんだよ」
「ダート馬のくせにクロフネの邪魔をするな!」
心ない声が飛び交いました。私の周りでも「クロフネが見たかった」という意見が非常に多かったと記憶していますし、SNS全盛の今の時代だったら…と思うとゾッとするほど、デジたんは叩かれたのです。規則にのっとっての出走で、ズルをしているわけでもない。レースに参加すればどの馬にだって勝つ可能性はある。芝の中距離経験はないけど、1600メートルのGⅠウイナーでもあります。なのに、「邪魔をするな」と言われたまま、デジたんは天皇賞・秋の出走メンバーに名を連ねました。
人気は前年全勝のテイエムオペラオーと、宿命のライバル・メイショウドトウ。さらに善戦マンとして有名だったのにこの年の初めに連勝を飾り、7歳にしてピークを迎えつつあったステイゴールドでした。単勝オッズは順に2・1倍、3・4倍、4・5倍。その他に好走できそうな馬がいなかったのでデジたんが4番人気に支持されるのですが、単勝オッズは20・0倍なのですから、いかに3強とその他の評価に差があったのかが分かります。しかも、雨が降って、オペラオーが得意な重馬場になったため、こんな声も聞かれました。
「これじゃ、またオペラオーだろうなあ」
「ちょっと退屈だなあ」
「力のいる馬場が得意そうなクロフネが出てたら面白かったのに…」
残り200メートル、予想通り、重い馬場を苦にしないオペラオーが抜け出します。
「まただ…」
「またこのパターンだ」
前年から続く〝お決まりの展開〟にやや食傷気味のファン。しかし、王者から大きく離れた大外から、なんだかものすごい脚で突っ込んでくる馬がいました。
「ドトウじゃないし…」
「ステイゴールドでもないよな」
「誰だ?」
「アグネス?」
「デジタル!」
なんと、デジたんは〝世紀末覇王〟オペラオーを差し切ってしまったのです。
「あは」
「あはは」
頬を引きつらせていたのは、「何してくれてんだよ」と言っていたファン。
「え…」
「えへ…」
「え~っと…」
泥で真っ黒になったデジたんに頭を下げるしかありません。
「ごめんなさい」
「邪魔するな!なんて言ってごめんなさい!」
テレビではアナウンサーが叫んでいました。
「これならば納得でしょう、クロフネ陣営も!」
そうです。しかも、デジたんは名馬の眠れる才能さえ引き出していました。天皇賞・秋の出走がかなわなくなったクロフネは、この前日、武蔵野ステークスというGⅢで初めてダートに挑戦すると、2着に9馬身差という歴史的ぶっちぎりで、1600メートル1分33秒3という芝並みのレコードタイムを叩きだします。
その後、ジャパンカップダートもJRAレコードで圧勝し、この2戦こそが〝クロフネ伝説〟として今に残っているのですから、運命というのは分からないものです。天皇賞・秋に出走し、中途半端に好走して芝路線を続けたり、万が一ケガでもしていたら、その伝説は生まれなかったのですから。
ちなみに、「ウマ娘」のデジたんは「推しの迷惑行為だけは絶対にしないオタクの鑑」というキャラになっています。この「迷惑行為」が、天皇賞・秋の騒動を想起させる狙いだったとしたらキャラ設定に感服するしかありません。また、ゲーム内で、敬愛するオペラオーとドトウのやり取りを見て悶える場面があるのですが、いやいや、君はその2頭を天皇賞で差し切っとるやないかい!とツッコミたくもなります(笑)。いずれにせよ、ゲームでもリアルでも、デジたんは迷惑をかけることなく、さらに己の道を突き進むことになるのです。
デジたん旅行記
芝もOK、距離もOK。こうなると、次走の選択肢は広がります。ディフェンディングチャンピオンとしてマイルCSでもいいですし、ジャパンカップダートも面白いのですが、トレーナーがチョイスしたのは海外でした。12月の香港カップという芝2000メートルのGⅠに向かうことにしたのです。
正直、競馬ファンとしては「大丈夫?」と心配になりました。同じ日に香港では芝1600メートルのGⅠもあります。血統的に2000メートルは〝ギリギリ〟なタイプなので明らかにマイルの方が良さそうなのに…。また、天皇賞・秋の勝ち方も、フロックとは言いませんが、〝奇襲がハマった〟ようにも映りました。もう一度、写真をご覧ください。
内のオペラオーとめちゃくちゃ離れたところを走っているのは〝わざと〟です。「並んだら抜かせない」で有名なオペラオーに叩き合いを挑まず、あえて遠い位置を走り、先に前に出てしまう、俗に言う〝出し抜け〟を狙いました。白井調教師が、デジたんの鞍上・四位洋文ジョッキーに「直線を向いたら観客席に向かって斜めに走ってこい」と指示を出したのは有名な話で、その作戦が見事にハマった、逆に言うと、実力以上の結果が出たとも言えます。なので、世界を相手に、ごまかしのきかない王道の距離に挑むことについて「大丈夫?」なのです。「真っ向からぶつかって平気なの?」と。で、ハラハラしながら見ていたところ…。
勝っちゃいました。しかも、横綱相撲で!
「本当に強かったんだ!」
「本当にすごいじゃないか!」
やっとです。競馬ファンの思考はやっと追い付きつつありました。今思えば「遅すぎるでしょ」なんですが、仕方なかったんです。だって、こうですよ。
盛岡→東京→香港
地方交流GⅠ→中央GⅠ→海外GⅠ
地方のダート→中央の芝→外国の芝
今までの競馬の常識から、あまりにかけ離れたローテーションに、み~んな、頭が混乱していたんだと思います。強いんだけど、なんだかよく分からない。よく分からないけど強い。えーっと、私も書いていてよく分からなくなってきましたが、とにかく、我々の脳みそではついていけない名馬ロードでした。で、デジたんの旅はまだ終わらず、今度は年が明けてすぐ、中央のダートGⅠ・フェブラリーステークスに出てくるのです。
またまたまた条件がまったく違うのですが、もうみんな、混乱を通り越して変なテンションになりながら、見たことのないローテーションで勝ち続けるデジたんを応援するようになっていました。
「またやってくれ」
「いつでも、どこでも、誰とでも」
「いっけーー!」
盛岡 地方交流GⅠ ダート1600メートル
東京 中央GⅠ 芝2000メートル
香港 海外GⅠ 芝2000メートル
東京 中央GⅠ ダート1600メートル
これが今後も成し得る馬が出てこないであろう、伝説の異種格闘GⅠ4連勝。で、面白いのは、これだけの偉業を成し遂げたのに、なぜか史上最強馬論争にデジたんが入ってこないこと。当時、ネット界隈で「変態的」とまで言われたほど異質すぎる戦績のせいで、結局のところ、今の今まで誰の脳みそも完全には追いつけておらず、競馬ファンの頭は混乱したままなのです。
「なんて馬なんだ」
「なんなんだろう」
「正体不明」
「結局、どこに適性があったんだ!?」
「どこなんだよ!」
はい、適性とか言っている時点で、そういった常識論を振りかざしている時点で、我々はいつまでたってもデジたんには追い付けないのでしょう。
「あなたの適性はどの条件なのですか?」
そうデジたんに聞いたら、こんな答えが返ってくるかもしれません。
「適性ってナンですか!?」
そう、デジたんは、与えられた場所で必死で走っていただけ。ゲーム「ウマ娘」でもそうですよね、「憧れのウマ娘たちと一緒に走っていたい」という一心で、どんな条件でも頑張るのがデジたんです。そして、これはやはり本紙の連載で語っていたのですが、白井調教師はこの名馬に「どこに行っても答えを出したる!という雑草魂を感じていた」といいます。普段はボーッとしているのに(かわいいですよね)、ここぞ!のハートと意地がすごい、と。同じ厩舎の先輩を引き合いに出し、こうも表現されました。
「ある意味でスペシャルウィークを超えた馬」
それぐらい、とてつもない精神力で人知を超えてくる馬だったのです。だから、偉業の後も、同じように、いつでも、どこでも、デジたんはがんばりました。フェブラリーステークスの後に向かったのは…
ドバイ 海外GⅠ ダート2000メートル
中東です。しかも、ねばっこい独特のダート。輸送トラブルで9時間の足止めを食らうなどして体調を崩してしまったのに、出走を回避することなく、最後まで走りぬき、6着と健闘するのですから頭が下がります。
お次は日本には戻らず、香港へ。1か月後の「クイーンエリザベス2世カップ」というGⅠにチャレンジです。盛岡→東京→香港→東京→ドバイ…
香港 海外GⅠ 芝2000メートル
結果は2着! 勝ったエイシンプレストンも日本馬だったので、ワンツーフィニッシュとなりましたが、さすがのデジたんも疲れが出たのでしょう。帰国後に体調を崩し、1年ほど、戦列を離れます。復帰戦は「かきつばた記念」という名古屋で行われた交流重賞。GⅠではなくGⅢだったのに4着に敗れたことで、「さすがにがんばりすぎたのかも」「燃え尽きたかな」「そろそろ無理せず引退か…」という声が上がりました。年齢も6歳になっていましたから当然かもしれません。なので続く安田記念、さすがにもう地方ダート→中央芝というローテーションにツッコミを入れる人はいなくなっていましたが、記者の評価もだいぶ下がっていました。
「絶好調なら負けようがないんだろうけど、さすがに…」という4番人気(単勝9・4倍)。陣営も出来に関して100点中75~85点ぐらいと言っていましたので、直線を向き、追っても追っても前との差が詰まらず、なかなか馬群の中から出てこられないデジたんを見て、ファンも「やっぱり厳しいか」と思ったはずです。残り200メートルになっても、まだ前に5頭ほど。四位ジョッキーは必死で追い続けていました。
追って、追って、追って。
調子が万全じゃないからか、本当に少しずつ、ジワジワとしか伸びません。でも、ジワジワですが伸びていました。体は動かなかったのでしょうが、心が前を向いていたから、進むことができた。人知を超えた精神力が肉体を引っ張っていたのです。
追って、追って、追って。
一歩ずつ、一歩ずつ、一歩ずつ。
東京 中央GⅠ 芝1600メートル
強いハートだけで脚を前に出したデジたんが、先頭に立ったところがゴールでした。
「なんて馬だ」
「どうしてそこまでできるんだ…」
騎手も、調教師も、ファンをも驚かせた復活走の理由をデジたんに聞いたら何と言うかは分かりませんが、一つだけ確実なことがあります。
あなたは尊い!
名伯楽が語る
今回のアグネスデジタルやスペシャルウィークを育てた白井寿昭元調教師が血統について分かりやすく教えてくれる連載「温故知新」が本紙の新サイト「東スポ競馬」でスタートしています。
「血統を学びたいけど、敷居が高すぎる」というファンのためにひと肌脱いでくれたもので、めちゃくちゃ面白いです。血統講座というと、それこそ「サクラバクシンオー産駒は短距離向き」とか「ステイゴールド産駒は重馬場が得意」とか、そういう「産駒別のデータを覚えましょう」的なものが多く、味気ないものばかりなのですが、白井先生はもっと広い視点で話を始めてくれました。血統は何代にもわたる馬の積み重ね。タイトルが「温故知新」であるように、近代競馬の祖・ノーザンダンサーが世界に広がった理由から、それがサンデーサイレンスにつながって…。親交の深い松浪大樹記者との掛け合いになっているので読みやすいのもオススメポイントです。
お知らせ
このシリーズ、「長すぎて読むのが疲れる」というお叱りも受けます。今回は短めにしたんですが、すみません、ついつい語りたくなってしまい…。というわけで、スタートして1か月が経過した本紙の新サイト「東スポ競馬」で、「ウマ娘」のキャラクターがいかに史実を反映しているかを、過去の紙面や写真を使って〝短く〟お伝えする「ウマ娘 史実発掘隊」なるコラムをスタートさせることになりました。今までの当noteを読んでくださっている方にとっては既に見た内容かもしれませんが、そこでは紹介しきれなかった写真も入れていく予定ですので、お時間あればぜひ。今週は明日以降、天皇賞・秋にちなんだものを3つアップする予定です。あのライバル牝馬同士の名勝負やまさかの降着…サクッと振り返りつつ、週末の大一番を待ちましょう!
ちなみに、またまたまたキャンペーンやってます。私たち社員には全く恩恵はないのですが(泣)、今回も大盤振る舞いみたいです。