未来人のツイートに影響されて「ニュースの未来」を考えてみました。
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未来人のツイートに影響されて「ニュースの未来」を考えてみました。

Twitterで話題の未来人は語る

Twitterで話題の未来人をご存じでしょうか? 國分玲さんという方で2058年から2019年にタイムトラベルしてきたそうです(※今のところ未来に帰れてない)。

なぜ現代にやってきたのかは本人のツイートを見ていただくとして、面白いのが「未来はどうなっているの?」という私たちの質問に國分さんがちょいちょい答えてくれるところです。

たとえば、8月28日にはこんなツイート。「Q.これから起こる社会問題を教えてほしい」という問いに、「ネットニュースでしか記録されなかった記事のリンク切れにより、紙媒体で記録されていない2020年代の出来事の記録が喪失してしまう現象が社会問題となります。 この問題は『人類の記憶喪失』とも呼ばれ、後に紙媒体が再評価されるきっかけにもなりました。」と答えています。

なるほど、紙の新聞や雑誌がなくなった未来では、ニュースはネット上にデータとしてしか存在しないから、何らかの要因でメディアの過去記事データベースが破壊されてしまうと、あの日あの時どんな事件があったのか確認する術がなくなってしまうということなのでしょう。今のところ、新聞社やテレビ局は各自でデータベースを持っているので、それらが同時多発的に消失したとなると、何かとんでもない自然災害やテロのような事件が未来であったのかもしれません。怖いっすね。

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でも私にとって、より現実的に恐ろしいのは、2058年に新聞社やテレビ局がどれくらい残っているのかまるで見当がつかないことです。新聞社ゼロってことはないよな~と思いつつ、それでも37年後にはスポーツ紙が存在しないかもわからない…。もちろん未来だってニュースに対するニーズはあるはず。あふれるほどに情報が増えた社会だからこそ、フェイクニュースとは一線を画したニュースが求められると思います。しかし、そんなビジネスモデルを既存のマスメディアが作れるかどうかは謎です(苦笑)。

『ニュースの未来』はどうなっているのか

人生に困ったときには本屋に行け。誰が言ったか知らないが、言われてみれば確かにその通りで、例のごとく、私が書店をフラフラしていると『ニュースの未来』(石戸諭著、光文社新書)という一冊に出会いました。

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帯には著者の石戸諭さんの写真とともに「それでも、希望はある!」という文字が躍っています。絶望している人向けに書かれているのでしょうね。さっそく読んでみます。

今、「ニュース」に携わる人たちは大いに自信を失っています。

はい、その通りです。

テレビは視聴者離れを憂い、綺羅星のようなライターを生み出してきたいくつもの雑誌が歴史的な使命を終えて、休刊という道を選びました。ニュースは金がかかる、という理由で潤沢な取材費を出せる媒体も減ってきていることは間違いありません。ニュースをめぐる環境は悪くなっていくばかり・・・と誰もが思っています。

そうですよね。出張のハードルが高くなりましたもん。

本当に希望はないのでしょうか。
問題は常に混同されています。マスメディア企業あるいは産業の問題と、個人の問題は重なるところがあったとしても、本質的には別のものです。マスメディアが今の規模で残れるかどうかと、自分のキャリアをどう描くかは別の問題であるにもかかわらず、経営者ではない若手まで会社の経営問題ばかり語って悲観している。これでは、未来は切り開けません。

ムムム、これは鋭いご指摘! さきほど私が嘆いてみせた「そんなビジネスモデルを既存のマスメディアが作れるかどうかは謎です」というくだりはまさに、個人の問題ではなく、マスメディア企業あるいは産業の問題に該当します。私のような一兵卒がそこを嘆いてもしょうがないのだとすれば、何をするべきなのでしょうか?

「速報」を量産するだけでは疲弊する

石戸氏は同書の中で、「速報」「分析」「物語」というニュースの3つの基本型を示しています。その中でも従来のマスメディアは速報を重視し、誰よりも速く報じる特ダネか、ディープな情報源を作り、社会を揺るがすスクープの2つを重視してきたが、これからは3つのスタイルを等価値とし、なおかつ時代に良い意味で適応した形に進化させる定義を探さなければならないといいます。

実際のところ、新聞社では「速報」を取れる記者がエースという風潮が強いです。エース記者と呼ばれる人は何らかの武勇伝を持っていることがほとんどです。しかし、なぜ石戸氏は「速報」重視一辺倒からの脱却を提言するのでしょうか。インターネット時代の「新しさ」について、フローとストックという言葉を補助線に引きながらこう説明します。

フローは新聞的な速報の価値観をより体現したものだと言えます。速報に次ぐ速報を出して、より速く、より新しいニュースを追求する。フロー的な価値観の行き着く先には、出した瞬間から古くなっていくようなニュースを量産する世界があります。しかし、「ストック」という価値観を導入するとどうでしょうか。(中略)。日付よりも中身で読んでもらえるニュースがあるということ。SNSを介して、偶然、読んでしまった体験をすること。インターネット空間に中身で読ませるニュースがあること。時間を超えて、社会への批評として機能するニュースという考えが成立するのではないか。僕はストックに着目することで起きた「新しい」の価値転換に大きな可能性を感じていました。(66~67ページ)

これまで新聞社にはほぼほぼフローしかありませんでした。新聞を発行することが我々のゴールで、たとえ売れ残って戻ってきても次の日にはまた新たなニュースを載せて新聞を発行することが使命だと信じてきました。インターネットでもニュースを報じるようになると、さらに情報更新のサイクルが加速しました。紙面と違って行数の制限もありませんから、ニュースを書いたそばからどんどんネットに流しているのです。東スポWebは現在、1日100本超のニュースをyahoo配信しています。記者は毎日しゃかりきです。疲弊しないか心配です。

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私が反省したとて一文にもなりませんが、ニュースをストックするという意識が希薄だったと認めざるを得ないと思います。石戸氏が言うように、「インターネットにニュースを『ストック』することによって、過去記事であっても接した瞬間が『今』であり『新しい』ものが生まれる」という価値転換には大きな魅力を感じます。〝東スポ流〟と言ったら大げさに聞こえるかもしれませんが、「他紙と違うことを書け!」と日々ハッパをかけられている東スポ記者はときにとんでもない方向から事件を取材していることもあります。その視点を掘り起こすだけでも今までと違う何かが見えてくる気がします。それこそ東スポnoteで「故きを温ねて新しきを知る」企画をやっていこうと思います。

ちなみに「良いニュースとは何なのか?」という話は超絶長くなるので、石戸さんの見解を詳しく知りたい方はぜひ本書をご覧になってください。(デジタル・事業室 森中航)

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