「風呂キャンセル界隈」を〝道徳的〟に考える
「新語・流行語大賞」の候補が出ると、今年も終わりだな~って思います。12月2日に年間大賞やトップ10が発表される予定ですが、私が個人的に気になった候補は「界隈」。春ごろにX(旧ツイッター)で「風呂キャンセル界隈」という聞き慣れぬ単語がトレンド入りしたときには「なんじゃそりゃ」と目を丸くしたのを鮮明に覚えています。東スポWEBでも何本か「風呂キャンセル界隈」に関連した記事が出ていました。
お風呂に入るのが面倒くさい、入る気力が湧かない人(またはコミュニティー)を指すスラングですが、一方ではここ数年にわたって空前のサウナブームが起こっているわけで、お風呂の好き嫌いをめぐる明暗はどこか陰と陽である気もして実に面白いなと感じます。そもそも「風呂キャンセル界隈」という言葉には自虐的な要素が含まれていて、「毎日お風呂に入るのが当たり前だ!」という大前提があるからこそ「キャンセル」が成立するわけです。
日本人はキレイ好きで昔から入浴を好むと言われていますが、いつから毎日お風呂に入るようになったのか? 素朴な疑問に答えをくれそうな本を見つけました。
『風呂と愛国 「清潔な国民」はいかに生まれたか』の著者、川端美季氏によれば日本に「風呂」が伝わったのは6世紀半ばごろ。お湯で満たされた浴槽があるタイプではなく、蒸し風呂(蒸気浴)だったそうです。銭湯が繁盛したのは江戸時代になってからで、ここでようやく蒸し風呂と湯につかる温浴が混合した「戸棚風呂」というものが現れました。そこから「柘榴口」、明治時代には「温泉風呂」と移り変わってゆきます。
湯船より〝サウナ〟が先だったのはちょっと意外でした(今のように水道がなければお湯を張るのは大変だったでしょうね…)。さて、江戸時代には江戸や大阪といった都市部だけでなく、地方にも混浴が存在しており、幕末期に黒船でやってきた西洋人を驚かせました。日米修好通商条約を締結した初代駐日総領事だったハリスは「私は、何事にも間違いのない国民が、どうしてこのように品の悪いことをするのか、判断に苦しんでいる」と記述を残しているそうです。
男女混浴はふしだらなのでしょうか…。筆者は「セクシュアルなイメージというものは歴史の中で比較的短期間に大きく変化してきたことに注意する必要がある」と付言しています。現代に生きる私たちは混浴にあらぬ想像と期待をしてしまうかもしれませんが、混浴が当たり前の世界線ではそれこそが日常。むしろ私たちが明治以降、西洋的な視点を内在化させたと言えそうですね。
本書では「日本人は風呂好き」のイメージもまた、西洋との交わりを経て、醸成されたものだと解き明かされます。明治21年に書かれた『衛生新論』という本を示したあとに、筆者はこう述べます。
さらに面白いのはその先です。時代が進むと、入浴という行為に、病気の感染を防ぐような身体的な清潔さだけでなく、精神的な清潔さが含まれるようになります。欧米で公衆浴場運動が起こると、日本でも大正期にそれが伝わってきました。
その後も家庭と学校で啓蒙が進んだことで、「風呂に入ると清潔だよね」がいつしか「『よい日本人』なら入浴は欠かせないよね」になっていったという流れです。戦前の国定修身教科書には「不潔なるときは人にも嫌はれ、病気のもとともなる」と書かれていましたから、かなり道徳的要素が強まっていたことがわかります。戦争中の日本なら「風呂キャンセルなんて非国民だ」と怒られたかもしれません…(苦笑)。
筆者はあとがきの中で「清潔さは単に衛生的な意味だけでなく、社会的排除の概念と結びついている」とリスクにも触れています。終戦から74年が過ぎた2024年に「風呂キャンセル界隈」というワードが流行語大賞の候補になったことはいろいろな解釈ができそうですね。めちゃくちゃ臭いとか他人に悪影響を及ぼさない範囲であれば「風呂に入らない自由」があっていいと考える人もいるのでしょう。
ちなみに私は温泉大好き。お風呂もサウナにも好んで入ります。なんて言ったってデジタルデトックスにはサ室が一番。早く整いたい…。(東スポnote編集長・森中航)