日本一有名なトラック!?マジックミラー号が25周年を迎えたってよ!
気がつけば四半世紀――。AV業界にとってエポックメーキングな作品となった「マジックミラー号」シリーズが誕生し、今年で25周年の節目を迎えました。これまでにリリースされた作品は何と400作超! 姿、形を変えながら、現在も続く今シリーズの歩みと「これから」を、制作の中心にいた人物に聞いてみました。(文化部・モミアゲ猿顔記者)
歴史に残るシリーズもの
マジックミラー号(以下ミラー号)の記念すべき第1作「爆走マジックミラー号がイク!」が発売されたのは1996年9月。当時はまだ新興メーカーだった「ソフト・オン・デマンド(SOD)」がそれまでのナンパAVに対して一種のアンチテーゼとして世に送り出したのです。
「ナンパしてホテルまで連れ込む」という難題を移動式のスタジオ(=車内)で補い、そこに「外から車内は見えないが、車内からは外の様子が丸見え」という、当時一般化されていなかったマジックミラーを張り巡らせ、これが大当たりを呼びました。
路上ナンパと素人女性の〝リアル〟を映し出すことに成功し、以降大ヒットシリーズになっただけでなく「ナンパAV」というジャンルにも変革をもたらしました。ここまで400作以上をリリース、累計350万本近くも売り上げており、間違いなくAV史に残る作品の一つです。
ミラー号がここまで続いた人気の土台は、いわゆる〝ガチナンパ〟にありました。近年は法的に厳しくなりましたが、以前は様々な人間ドラマと、むき出しのエロスが生まれていたのです。
「僕が入社した2004年、当時『ミラー号』はウチの主力商品だったので、ロケに参加できるのはエリートだけ。『(街中で女性を捕まえる)ナンパ隊』から始まり、AD→監督→制作部長→社長という流れがあって、言ってみれば、SODの〝出世コース〟みたいなものでした」
こう振り返るのは、SODの制作部門「SODクリエイト」代表取締役社長の野本ダイトリ氏。まさに、そのコースをたどった一人です。
「僕が入社したころは同期が25人くらいいたんですけど、制作の現場は厳しく最初の1か月のサバイバルで生き残れたのは6人だけ。僕は落ちこぼれで、その中でビリから2番目。2人ともトイレ掃除しかさせてもらえなかったですね。でも、ナンパ隊の募集でアピールして、人生で初めてナンパしたときに誰よりも結果を出すことができたんです」
ナンパ隊の仕事は過酷です。月曜から水曜までは他のロケをこなし、木曜から日曜はずっと渋谷でナンパ。そして夏には「湘南合宿」と称した浜辺ナンパで日焼け地獄を味わったそうです。
野本社長がナンパで学んだこと
何千人もの女性を口説いてきた経験から見つけたことが、「性欲は見た目と反する」ということ。いったいどういうことなのでしょうか?
「ギャルとかチャラそうなコって、実はミラー号の中でも外でも口説ききれない。気が強いのもあるし、ヤンキーほど『彼氏が大事』みたいな。意外と(ガードが)固いんです。逆に真面目で清楚な女性のほうが、ミラー号に入った後、感じちゃってワケが分からなくなって、後で『どうだった?』って聞くと『実は興味あったんです』って。それが一番衝撃的でしたね」
そもそもどうやって声を掛けるのだろうか?
「伝統というか、声のかけ方は変わっていないんです。チャラいナンパではなく、『すいません、撮影で来ておりまして』とバラエティー番組に近いノリでしょうか。とにかく社内ルールでしっかり説明をしなきゃいけない、撮影同意書も読んで書いていただくと決まっているので、だまして連れてくるようなことはありません」
それでも予想外のトラブルに見舞われることはある。ある作品で女優さんのゆかりのある場所まで迎えに行って、その正面で撮影しようと思ったところなぜかミラー号の存在がSNSで拡散され、車両が200人くらいの若者に取り囲まれるなんてハプニングもあったそうです。
現在のマジックミラー号は〝2代目〟
1996年に誕生したミラー号ですが、2001年からは〝2代目〟が稼働中。一時期は1年間に1度しか稼働できない時期があったとはいえ、すでに20年目で老朽化が顕著なことから、今秋に改修することが決定しているといいます。
「シャワー室の床が抜けちゃったりしてるので今秋に〝入院〟させるんです」(野本氏)
「もしかしたら引退もありえる!?」と心配になった方もいるだろう。SODでは現在、ミラー号25周年を記念する作品の企画会議の真っただ中という情報をキャッチしました。
「1コの企画が四半世紀続いている。社名以上に有名なSODの財産ですから思い入れがありますね」
浮き沈み激しいAV界でリリースを続ける長寿シリーズが、これからも〝爆走〟することは間違いない。