オジサンだって明日うまくなるかもしれない【野球バカとハサミは使いよう#2】
〝鉄人〟衣笠祥雄の世界記録を支えた「少年力」
長年仕事をしていると、時として自分の限界を悟ってしまうことがある。僕もそうだ。著書の売り上げ不振で、気がめいった記憶は一度や二度ではなく、そのたびにカウンセリングの必要性を痛感したものだ。
それにもかかわらず、これまで一度も筆を折るまでには至らなかった。その最大の理由は、あの衣笠祥雄が残した言葉に支えられてきたからだ。
衣笠といえば、1970~80年代の広島カープ黄金時代をミスター赤ヘル・山本浩二とともにけん引した元祖・鉄人。その豪快かつ野性的なプレーは多くのプロ野球ファンを魅了した。
衣笠を語る上で欠かせないのは、やはり連続試合出場の世界記録(当時)だろう。87年6月13日の中日戦で2131試合連続出場を果たした衣笠は、それまでルー・ゲーリッグが保持していた世界記録を更新。最終的に2215試合まで記録を伸ばし、同年限りで引退した。
これが偉業であることは間違いないのだが、当時の一部マスコミやファンからは、数こそ少ないものの、意外に批判的な雑音も聞こえていた。実は衣笠は40歳の足音が近づいてきた86年ごろから、極端に成績が落ち込んでおり、それでも試合に出続けた結果、「記録継続のために試合に出ている」といったバッシングにさらされていたのだ。
そして今から数年前、このバッシングについて、衣笠本人に当時の心境を聞いてみたことがある。すると、衣笠は穏やかな笑みを浮かべながら、「つらかったけど、練習するしかないと思っていたよ」と淡々と答え、最後にこう付け足してくれた。
「だって、明日野球がうまくなるかもしれないでしょ」
衝撃だった。2000本安打も達成している大選手が、普通なら衰えて当然の年齢になってもなお、こんな少年のようなせりふを無垢に言ってのけるとは。まさに原点回帰の名言である。衣笠のすごさとは、こういった「少年力」の継続なのだろう。
これは世のサラリーマンにとっても、おおいに励みになる言葉だと思う。どの世界にも、いくら努力しても超えられない才能や年齢の壁があるのかもしれないが、それを見極めるのも自分自身だ。衣笠のように「明日うまくなるかもしれない」の精神で日々を過ごせば、あらゆる困難にも希望の光がともるに違いない。少年力とは、努力継続のためのエネルギーなのだ。
周囲の恵みに感謝しながら働こう
いよいよゴールデンウイークである。今季のプロ野球も開幕から早1か月が経過し、スタートダッシュに成功した選手と失敗した選手がはっきり分かれる時期だ。もっとも成功したからといって、その後も安泰というわけではない。序盤は好調だった選手が、その後みるみる調子を落としていったケースは過去にいくらでもある。
なかでも強く印象に残っているのは、1999年に阪神に在籍した外国人長距離砲、マーク・ジョンソンである。開幕前は同年入団の元大物メジャーリーガー、マイケル・ブロワーズ(写真(右))にばかり注目が集まり、ジョンソンは格下扱いされていたものの、いざ開幕するとブロワーズ以上の大活躍を見せた。
特に宿敵・巨人には相性が良く、4月3日の巨人戦を皮切りに巨人戦4試合連続本塁打を記録。さらに5月には月間7本塁打を放つなど、7月のオールスター戦までで早くも19本塁打をかっ飛ばした。
ところが、である。このジョンソン、どういうわけか後半戦は一気に打てなくなった。前半戦19本塁打に対して、後半はたったの1本塁打。結局、最終成績は打率2割5分3厘、本塁打20本に終わり、その年限りで解雇された。あまりに極端すぎる。
これについて、当時のマスコミは「スタミナ不足説」や「弱点を解明された説」など様々な原因を指摘したのだが、僕が最も興味をひかれたのは、前述のブロワーズ退団によるメンタルダメージ説である。
実はジョンソンはかねてブロワーズのことを兄貴分として慕っており、そのブロワーズが成績不振を理由に8月上旬で解雇された途端、ジョンソンの不振がスタート。すなわち、ジョンソンは心の師を失った精神的ショックによって調子を落としたというわけだ。
この説が正しいかどうかは別として、精神的支柱の重要性という意味では、サラリーマンにも通じる話だろう。仕事が不調のときに心の師にすがる人は多いが、絶好調になると、人間はたちまち傲慢になり、あたかも自分だけの力で成功していると勘違いしてしまいがちだ。
しかし、実際はどんな成功者でも多かれ少なかれ、誰かを慕い、誰かの影響を受け、誰かに支えられているのだ。好調なときほど、その事実を強くかみ締め、周囲の恵みに感謝しながら仕事に励むべきなのだ。
※この連載は2012年4月から2013年9年まで全67回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全33回でお届けする予定です。