外道「ブルもアジャもブスのくせして、完全なヒールじゃないんだよ」【思い出したくない恥バウト】
デビュー以来、山あり谷あり、紆余曲折しすぎて…今や日本屈指のテクニシャンと呼ばれる外道にも決して触れられたくない過去がある。それは選手として戦った試合ではなく、何とレフェリーとして裁いた一戦だ。
レフェリーがなぜかオレなんだよ…
オレと兄弟(邪道)が本格的に活動開始したユニバーサルって団体は当時、目黒にあった全日本女子プロレスの道場を借りて練習していた。そんなワケでユニバと全女の関係は深かった。
あれは忘れもしない1990年9月1日だ。今はなき大宮スケートセンターで、ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチで対戦することになった。その試合が決定した8月のある日、全女の道場でブラブラしていたら、松永国松社長から、レフェリーをやってくれないか?と頼まれたんだ。
その時、オレのほかにも兄弟(邪道)、素顔の(スペル)デルフィン、ディック東郷がいたんだけど、なぜかオレなんだよ。レフェリーだったら、国松さん自体が「ジミー加山」の名前で活躍する名レフェリー。ほかにも、全女所属のレフェリーがたくさんいたのにな…。
1週間ほど全女の巡業に帯同させられてレフェリー特訓を施された。で、当日、オレは徹底的にアジャの味方をして、ブル中野ファンからヒートを買うことになる。
ブルもアジャもブスのくせして、完全なヒールじゃないんだよ。それぞれに熱狂的なファンを抱えてやがる。女子プロファンの熱狂ぶりは、男子プロレスの比じゃねえ。今考えてもゾッとするほどの絶叫、悲鳴、ブーイングがオレの背中に突き刺さった。
リングサイドのいかにも暴力団風の客が、オレの「えこひいき」ぶりに怒り狂い、大声でヤジを飛ばしたところ、セコンドのメドゥーサ(アランドラ・ブレイズ)が殴り飛ばしてしまい、リング外も大荒れだよ。
ブル中野vsアジャ・コングを裁いたらとんだ汚れ役に
その日の金網戦は、先に場外に脱出したほうが勝ちってルール。で、アジャはオレの肩を利用して場外へエスケープしてさっさと勝利。勝利に貢献したオレは、アジャに感謝されてもいいハズなのに、なぜか一斗缶で殴られちまう。まさに踏んだり蹴ったりだ。
客の憎悪を一身に浴びたオレは、全女のセコンド陣にガードされて逃げるように会場を去った。
とんだ汚れ役だったが、会場の火が付いたような熱狂ぶりに大満足の国松社長は、ギュッとオレを抱き締めて「ぜひ、レフェリーとしてウチ(全女)に入団してくれ」と言う。
「いや、ボクはプロレスラーになりたいんで」と丁重にお断りさせていただいたよ。その試合を最後に、レフェリーは引退だ。ちょうど20年前の夏だったが、思い出したくもない貴重な体験だったよ。オレの前で二度と、この話をすんじゃねえぞ!