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ベッドサイドに英国女優のピンナップ写真を張り付け、つぶやいた【プロレス語録#21/最終回】

 まるで映画のワンシーンのごときキザなセリフ。だが、声の主が黒い覆面をかぶった大男であれば少々、イメージは変わってくる。

 これは1963(昭和38)年に「第5回ワールドリーグ戦」に英国代表として参加。たった1回の来日を果たした黒覆面・キラー・Xのひと言だ。

馬場に羽交い締めにされ、力道山の空手チョップを食らうキラー・X

 同じくリーグ戦に参加したキラー・コワルスキー、パット・オコーナー、ヘイスタック・カルホーン、フレッド・アトキンス、サンダー・サボー、ボブ・エリス、ジノ・マレラ(後のゴリラ・モンスーン)らとともに、日本の土を踏んだキラー・Xは「出身地と名前? それは言えないね」と正体に関しては、固く口を閉ざしたままだった。

 だが都内の第一ホテル、2708号室(何と、当時の新聞は宿泊先の部屋番号まで掲載していた)に入ったキラー・Xは、ベッドサイドに英国女優ベリンダ・リーのピンナップ写真を張り付け、ポツリと見出しのセリフをつぶやき、そっと片目をつぶったという。

 ベリンダ・リーは、2年前の61年3月に米国・カリフォルニア州で自動車事故により、わずか25歳で死去。そのショックを引きずるキラー・Xは命日も近いとあって、わざわざピンナップを張り付けていた模様だ。

 早世したリーも、まさか遠い日本の地で、黒覆面の男が「好きだったんだよ、あの娘…」と悲しみに暮れているとは思わなかったことだろう。

力道山に破れ素顔をさらしたキラー・Xことフランク・タウンゼント(63年5月、青森)

 この年のWリーグ戦は力道山(シード参加)、豊登、馬場、猪木と日本マット界の歴代エースが勢揃いして参加した唯一無二の大会。キラー・Xは、まだ若手だった猪木には勝利したものの、豊登と馬場には完敗…。さらに力道山に覆面をはがされて帰国。

 数年後にはピストル自殺で、この世を去ったと伝えられている。



 1970(昭和45)年3月31日、東京・羽田空港は揺れていた。その日の午前7時33分、羽田を出発し福岡空港(板付)へと向かった日本航空351便が、赤軍一派により乗っ取られる。俗に言う「よど号ハイジャック事件」だった。

 同日の午後3時13分。開幕を控えた「第12回ワールドリーグ戦」に向けて、ハワイで特練(現在でいう特訓)を行っていたエース・ジャイアント馬場が帰国。ハイジャック事件で騒然とする空港内のムードに戸惑いつつも、出迎えた坂口征二とともにWリーグ戦優勝を誓った。

 ハイジャック事件解決後も、羽田空港内の騒々しさは止まらない。翌4月1日には、Wリーグ参加外国人選手が続々と来日。ドン・レオ・ジョナサン、前年準優勝のクリス・マルコフ、ネルソン・ロイヤル、ポール・ジョーンズ、ターザン・タイラー、パンピロ・フィルポ、ダッチ・サベージ、そして極め付きの214センチ、180キロの巨体を囚人服で覆い隠した“怪囚人”ザ・コンビクトらが大挙して来日し、空港内で派手なデモンストレーションを敢行した。

カメラマンを威嚇する〝怪囚人〟コンビクト。フィルポは(左)は懸命に取り押さえる(70年4月、羽田空港)

 この頃、日本国内は3月14日に開幕した「日本万国博覧会」(大阪万博)の話題一色。流行に敏感な外国人軍団は、さっそく万博ネタをも織り交ぜて、エースの馬場を挑発。特にサベージは「馬場をカ●ワにして、エキスポランドにさらしてやるつもりで来た」と禁止用語まで交ぜて鼻息も荒い。

 仮に馬場さんが、外国人軍団に叩き潰されたとしても「人類の進歩と調和」をテーマとした万博で、アポロ11号が持ち帰った月の石などと並んで「さらしもの」にされる理由はない。日本プロレスの大スポンサーでもあった三菱電機の関係で「三菱未来館」あたりに展示されてしまう馬場さんの姿も見たかったような気もするが…。

 1970年という年を象徴する、日本勢と外国勢のやりとりだった。

Wリーグ戦のレセプションに出席した(左から)コンビクト、フィルポ、サベージ、ジョナサン

※この連載は2008年4月から09年まで全44回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全22回でお届けしました。

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