BiSHができるまで/WACK渡辺淳之介社長インタビュー【前編】
「楽器を持たないパンクバンド」として大人気の女性6人組グループ「BiSH」。人気になった背景には“仕掛け人”として知られるプロデューサーの存在がある。所属事務所WACKの渡辺淳之介社長(35)だ。渡辺社長はいかにして独自の“プロデュース術”を手に入れたのか。これまでの人生を語ってもらいながらひもとく!(企画構成・アラフィフ記者F)
仕掛け人の原点はあの名曲だった
――2019年、人気番組「アメトーーク!」で「BiSHドハマり芸人」が放送されました。よくあのような特集が組まれましたね
渡辺氏 あれはたぶん、ノブ(千鳥)さんが頑張ってくれたんだと思います。
――反応も大きかったのでは
渡辺氏 はい、あれ以前と以降で、注目度など全然違ってきました。
大ブレーク中のBiSHを手がけた渡辺淳之介氏がおおいに語った
――「BiS」からデビューしたタレント、ファーストサマーウイカも人気です。BiSは渡辺さんが最初に仕掛けたアイドルグループですね
渡辺氏 彼女、頑張ってますよね。良かった。彼女は第1期BiS(2010~14年)の最後の1年間ぐらいいました。役者とかやりたい子だったので、いろいろできるようになって良かったと思います。それに彼女は前のグループ(BiS)の宣伝もしてくれるのでありがたいです。
歯に衣着せぬ発言で人気急上昇中のファーストサマーウイカはもともとBiSの一員だった
――BiSは1stシングル「My Ixxx」での“全裸PV”がバズって話題になり、一気に知名度を上げました。そのあたりは後々聞かせていただくとして、まずはプロデューサーになるまでの人生を教えてください。今の仕事の原点となる出来事は何ですか?
渡辺氏 中学1年生の時に、ニルヴァーナ(1987~94年)にハマったことですね。カート・コバーン(同バンドのボーカル兼ギター、94年没)が亡くなった後だったんですが、テレビで昔の「サタデー・ナイト・ライヴ」を放送していて、そこで「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」(91年発売のシングル)を見て、「めちゃくちゃかっこいいじゃん!」と衝撃を受けたんです。それからニルヴァーナと、彼らのルーツを聴きまくりました。
ニルヴァーナといえばこの曲。イントロのリフはあまりにも有名だ
――それが洋楽との出会いですか
渡辺氏 出会いとなるとその前に、母親から「これは聴いときなよ」とレッド・ツェッペリン(68~80年)を教えてもらいましたね。「天国への階段」とか。ハードな音が好きで、「もっとハードなのない?」ってディープ・パープル(68~76、84年~)を教えてもらって。「バーン」(邦題・紫の炎。74年)とか。
――デイヴィッド・カヴァデールがボーカルだった時の名盤ですね。表題曲からすさまじくかっこいいです
渡辺氏 そこから「もっとハードなのない?」って母親に聞いたら、「ない」って言われて絶望したんですけど(笑い)、そんな時に「スメルズ――」を見て射抜かれたんです。それからは毎日、音楽のことしか考えない生活でした。
――基本的に洋楽を聴いてたんですか
渡辺氏 今は洋楽ってあまり聴かれなくなりましたが、中学生のころは「洋楽聴いてるのがおしゃれ」みたいなのがまだあったんですね。僕も「洋楽を聴くのがかっこいい」と思ってました。
――ニルヴァーナ以外はどのようなバンドを
渡辺氏 ちょうど、オアシス(91~09年)とブラー(89~03、09年~)がライバルみたいな感じのころで、オアシスはハマらなかったけど、ブラーは好きでした。それからデヴィッド・ボウイ(64年デビュー~16年没)ですね。ニルヴァーナがアンプラグトでボウイの「世界を売った男」(70年)を演奏しているのを見て、さかのぼって聴いて「ジギー・スターダスト」(72年)とか大好きでした。あと、カートが好きだったセックス・ピストルズ(75~78年)とか。
――そこから70年代随一の仕掛け人、マルコム・マクラーレンにつながるんですね
渡辺氏 それは大学に入ってからで、その前に高校を退学しちゃうんです。
ジェットコースターのような人生を楽しそうに語る渡辺氏
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