「飽きないもん」100歳記念大会でマダムが語った麻雀の楽しさ
各地の教室や大会に積極的に参加している「雀聖アワー」の福山純生氏が、ジジババとの出会いをつづった名コラムを復刻してきた。笑いあり、涙ありの〝対局〟も今回でひとまず終了。登場してくだった皆さん、そして麻雀に感謝!
ラス前
人は誰しも心理的なストレスがかかると、自分の顔や手などを頻繁に触って心を落ち着かせようと表情や仕草に微妙な変化が現れるという。心理学的には「なだめ行動」といい、麻雀中にはよく見受けられる光景だ。
御年81のヒロシ。「日本にカジノができたら、ワシの主戦場が増えるな」とバカラと麻雀が大好きな御仁。対局相手は、小生の他に推定年齢60代、ホンイツとドラが大好きなヤスヨ。そして御年77のカズコ。喜寿のお祝いに新型の補聴器を買ってもらったと喜んでいたマダムだ。
迎えたオーラス、ラス目だったヒロシは一発逆転とばかりに明らかなマンズ一色手に向かっていた。
ヒロシはドラの1索か北を切ればイーシャンテンというところで、おしぼりを噛みながら逡巡。そして英断するので時間をくださいとばかりに、乱れていた河を整え出したり、手前の山牌を移動させたりし始めた。
「あれ? 私の番だっけ?」とヒロシの儀式の時間を切り裂いたのはヤスヨ。「ちょっと待っておくれ」とさらに強くおしぼりを噛み締めながら、なぜか体勢を低くして1索を強打。すぐさまヤスヨが「それ、ドラですよ!」と怪訝な顔で指摘。「おっ、そうだったか!」と、三文芝居のヒロシ。
そこに江戸っ子カズコが「あんたテンパイ間近だね」とぴしゃり。「いやいや、ドラは出世の妨げだから」と現役時代の出世争いを思い出しかのように、腹に一物を抱えながらも平静を装い続けている。
次巡、待望のチンイツテンパイを入れたヒロシは、胸を張って北を切り、リーチを宣言した。
即座にヤスヨが「ロ~ン! ホンイツと一気通貫!」と言った矢先、親番・カズコのハスキーボイスが卓上に降臨。「その北、ロン。七対子ドラドラ。あんたバレバレよ」と頭ハネ。「メンチンでも張ったんだろうけど、そのおしぼり。うちのワンちゃんも嬉しいことがあると、なんだって噛むのよ」とぐしょぐしょのおしぼりを指差した。
なだめ行動をなだめられた大根役者。無念なり。敬礼。
オーラス
4年前のこと。麻雀の師として尊敬してやまないマスさんが100歳となり「百寿記念麻雀大会」を開催した。
1919年(大正8年)、第一次世界大戦後の講和条約「ヴェルサイユ条約」が締結された年、マスさんは福島県いわき市小名浜で生を受けた。マージャン歴80年。96歳の時に役満・四喜和(スーシーホー)を門前(メンゼン)でアガった後「冥土のみやげだぁ」と周囲を笑わせた逸話を持つマダムだ。
19歳の時、福島県から石炭の燃えカスに顔を黒くしながら汽車に揺られて上京し、見習い奉公を始めたころ、奉公先の家族がやっていた麻雀を後ろで見て覚えた。
マスさんにとって麻雀とは「よく作られたとゲームだと思うよ。飽きないもん。今度は負けないで勝ってみようと思うもん」と闘志を燃やす存在。「下手の横好きだけど、そりゃ1位を取った時がいちばんうれしいさぁ」と自宅では毎日麻雀ゲームに興じ、近所のお友達とも卓を囲む。
気になるのは長寿の秘訣。「みんなよく聞いてくるけど、なんにもない」と一笑するが、睡眠時間は21時から9時まできっちり12時間。朝昼晩の三度、食事もしっかり摂る。「小名浜生まれで、魚売りがイワシやアンコウをぶら下げてよく売りに来てたから、肉より魚が好きなんだ」とマグロのお寿司が大好物。「死ぬ時は寝たまま死にたい。どこも痛くなく」と笑わせる。
好奇心旺盛で「相撲、野球、競馬が好きだぁ」とテレビでスポーツ観戦を楽しみ、敬老会館では「日本舞踊とカラオケ。行けばお茶も出るしタダだから」とのこと。ちなみに好きな歌手は伍代夏子だそうだ。
大会に駆けつけた卒寿・90歳のフクコさん、傘寿・80歳のミツコさんも「マスさんのように、朗らかに麻雀を続けられるのが目標。私たちもそうありたい」と口をそろえる。
大正、昭和、平成、令和。4つの元号をまたぎ「また一緒に打ちたいな」と思わせてくれるマスさん。
我々は百寿記念品として、東京オリンピックより一足早く金メダルを贈った。次回は120歳を祝う大還暦大会となる予定だ。敬礼。