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武藤敬司が語るアントニオ猪木&ジャイアント馬場【スーパースター烈伝#1】

はじめに

 九スポ(九州スポーツ)でしか紙面掲載されなかった好評企画がnoteで復活!「武藤敬司のプロレススーパースター烈伝」では、〝プロレスリングマスター〟武藤敬司が歴史に名を刻んだレジェンドレスターたちを思う存分に語ります。(運動二部・前田聡)※アントニオ猪木編は2020年5月5日、ジャイアント馬場編は6月8日に九州スポーツ紙面で掲載されたものをnote用にまとめ直したものです。

猪木と馬場1971年7月1日大阪府立体育館

日本プロレスで活躍したころの猪木と馬場さん(1971年7月1日、大阪府立体育館、後ろは左から星野勘太郎、上田馬之助、芳の里代表、吉村道明、グレート小鹿)

アントニオ猪木は運動神経がそんなに良くない!?

 猪木さんですか…。まあ、皆さんの想像そのままのお人ですよ。それじゃあ終わっちゃうか(笑い)。

猪木(上)と武藤のタッグ

猪木とのコンビネーションもバッチリの若き日の武藤

 猪木さんといえばなによりもまず、抜群の知名度。日本のプロレス界が始まって力道山が国民すべてに知られる存在になって、続いて8割くらいに知られるくらいの知名度だったっていうのは、改めてみてホントにすごいことですよ。

武藤(下)を指導する猪木

武藤を熱血指導する猪木

 そしてその知名度でプロレス界を背負って社会と戦いましたよね。途中からプロレスを飛び出して政治の方に行っちゃったけど(笑い)。でも〝プロレスラー・アントニオ猪木〟として見ると、実はそんなにメチャクチャ運動神経が良かったわけじゃなかったりもする。下手したら俺の方が全然運動神経良かったりするんですよ。

 一見でたらめで一般の人からしたらそこが面白いんだろうけど、実は猪木さんの中では全て調和がとれての行動だったと俺は思ってるんですよね。しっかりと計算した上で、普通じゃないことを求めていた

 例えば異種格闘技戦。あれってだいたい初対面で即試合だったんですよ。今のプロレスみたいに何十回とやって手が合うようになってからメインにいくのと違う。一発勝負で、どこの馬の骨か分からないような人とやるっていう〝疑問符〟をうまく利用してましたよね。そこでこなしきる猪木さんって本当に素晴らしいんですよ。

 そういや、俺にもそういう試合が1990年代に何度もありましたよ。93年9月26日のハルク・ホーガン戦も初対決でいきなり大阪城ホール大会のメインでしたからね。94年5月1日のムタVS猪木さんも初対決。そういう試合を組まれると? 「武藤だったら初対面でもまとめきれるんじゃないか」って思われてるって、どこかしら猪木さんに信用されてる気がしました。

ムタvs猪木

グレート・ムタとしても猪木と対決した

首筋だけで魅了した〝燃える闘魂〟

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