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鈴木みのると泥酔暴行騒動…船木誠勝「今なら当然、クビですよね」【豪傑列伝#33/最終回】

プロレスラー・船木誠勝は隠れた酒豪伝説の持ち主だ。新日本プロレスに所属していた1985年、15歳11か月で当時の史上最年少デビュー記録を打ち立てた船木は、すでに苦手だったアルコールを克服。早熟過ぎた船木を更生させたのは、3・21両国の金網マッチで激突する宿敵・鈴木みのるとの泥酔暴行騒動だった。

16歳の誕生パーティーでも木村健(右)から普通にワインを注がれる船木。坂口(左)も〝黙認〟(1985年3月、熊本市内)

 言うまでもないが、アルコールは20歳になってからだ。しかし、先輩の命令には絶対服従の体育会系に育った船木が、未成年であっても酒を口にするのは時間の問題だった。もう時効だろう。

【船木の話】中学を卒業してすぐに(新日プロに)入門したので、その時からお酒を飲むことは当たり前だと思っていました。もちろん、法律は知っていましたが…。かつては正月にチューハイに口をつけただけで気持ち悪くなっていましたが、無理やり飲んで強くなりました。お酒を飲むスピードも誰にも負けたくなかった。競争です。どんなに気分が悪くなろうが、記憶がなくなるまで飲み続けました。

 17歳となった船木は、大先輩の前田日明と高田延彦に初めて酒席へ招かれた。指定された店は六本木にあるバーだったが、船木はあろうことか集合時間に遅刻してしまう。そして、地獄のような酒宴が幕を開けた。

【船木の話】呼ばれたのは3人で、その場でウイスキーを1人1本ずつ、ストレートでイッキ飲みすることになりました。修行だと思って、その時は1リットルぐらいを何とか飲み干しました。時間を守れなかった自分たちが悪いんですから。

今では犬猿の仲だが鈴木と船木は、苦楽を共にした(1988年2月5日、ベイダーにKOされた星野勘太郎を運ぶ左から鈴木、船木、後藤達俊)

 そんな破天荒な日々は長続きするはずもなかった。船木はある“事件”を契機に酒量を制限せざるを得なくなった。くしくも、現在はお互いに憎悪ばかりを募らせる性悪王・鈴木と奇跡的なタッグを組んだストリートファイトだ。

【船木の話】鈴木は高卒で入門したばかりの練習生でした。酔っ払った鈴木が(路上で)喧嘩を始めたんですよ。ボクも酔った勢いで一緒になってやってしまった。パトカーで麻布警察署に連れていかれ、気がついた時には独房にいました。指紋も取られました。今なら当然、クビですよね…。

 喧嘩の相手は1人だった。泥酔暴行問題を引き起こした元横綱朝青龍に勝るとも劣らない不祥事だ。連絡を受けた新日プロでは団体を揺るがす大問題となった。そんななか、取り調べに当たった警察官の言葉が船木を変えた。「成人していたら新聞ざただよ!」。酔いも吹き飛び、船木は事の重大さを痛感した。

【船木の話】改心しました。坂口(征二・新日プロ相談役)さんに殴られ、会社からも「クビにする」という話を聞きました。でも、ボクは鈴木を助けたんです。2人で丸坊主にして「同じことをしたんだから、自分もクビにしてください」と会社にお願いして。結果的にクビにならなかったですが、その鈴木は今となっては…。

 その後、船木は鈴木とともにパンクラスを旗揚げし「ハイブリッド・ボディー」と呼ばれるボディービルダーのような肉体を作り上げた。鈴木との乱闘事件もなく、アルコール漬けの日々から脱却できなければ、船木はアンコ形戦士になっていたかもしれない。

※この連載は2009年4月~2010年3月まで全33回で紙面掲載されました。東スポnoteでは当時よりも写真を増やしてお届けしました。

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