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王貞治対策として試合で背面投げした男を覚えているか?【野球バカとハサミは使いよう#8】

球速120キロ台でも「生命線は直球」

 蚊が止まるような遅いボールしか投げられないのに、なぜか打者を次々と抑えてしまう不思議な投手がいる。中でも印象に残っているのは1980~2000年代にかけて、主に阪急、オリックスなどで活躍した長身痩躯そうくの左腕エース・星野伸之だ。

 星野はストレートの球速が120キロ台ながら、80キロ台のスローカーブやフォークボールなどを駆使して、打者を幻惑する希代の“遅球王”だった。抑えられた打者のコメントも「今日の星野は一段と遅かった」「あれは高校生にしか打てない」といった野球の奥深さを感じるものばかり。それで通算176勝を挙げたのだから圧巻である。

 特に星野の最大の武器にして代名詞でもあった縦に大きく曲がり落ちるスローカーブは、当時の捕手・中嶋聡が思わず素手でキャッチしてしまったほどの超遅球。ちなみにその捕球後に中嶋が星野に返球したボールのほうがはるかに速かった。やつもなかなか嫌みな男だ。

オリックス・星野伸之のピッチング

 かくして当時の球界では、星野といえば変化球投手の代表的存在であった。だから当然、星野自身も伝家の宝刀・スローカーブには強いこだわりを持っていたはずだと思いきや、意外や意外、本人は「自分の生命線はストレート」だと信じて疑わなかったという。星野は変化球よりもストレートのキレ(球速ではない)を磨くことを追い求めており、そういった投手の基本を重要視していたからこそ、スローカーブが生きたわけだ。

 実際、対戦した打者たちはこぞって「星野のストレートは打ちにくい」と証言している。元ロッテの初芝清に至っては「伊良部(秀輝)より星野のストレートのほうが速い」と発言。80キロのスローカーブの残像があるなか、それより40キロも速いストレートを投げ込まれたら、たとえ120キロでも速く感じるのだろう。

ヤンキースの伊良部秀輝

 こういった星野の考え方はサラリーマンにとっても非常に参考になる極意だ。どんな仕事にも王道の進め方があれば、変化球の進め方もある。そして往々にして人間は奇抜なものに憧れるあまり、「他人がやっていないことをやろう」と変化球の道を進みたがるものだ。

 しかし、そのために必要なのはやはり王道のストレートを磨くこと、すなわち仕事の基本を徹底的に身に着けることだ。先人から教わったことを改めて思い起こし、すべての原点である基本に立ち戻る。そうすることで、自分流の方法論を応用することが敏腕ビジネスマンへの第一歩である。


型破りのアンダースローこそ〝本物〟

「僕、変わってるってよく人に言われるんです」。たまに自分からそう切り出してくるやからと出会う。「変人=才気あふれる」とでも思っているのか、自己アピールの材料に使っているわけだ。

 しかしそういうやからほど、実際は平凡だったりする。おそらく彼らは変人の基準が低いのだろう。一度、プロ野球界を見渡してみるといい。全国から集う猛者たちの中では、よほどじゃないと変人扱いされない。近年では新庄剛志ぐらいだろう。

かぶりもので練習に登場した新庄剛志(05年5月、札幌ドーム)

 もっとも、そんな新庄も中日などで活躍したアンダースローの投手・小川健太郎には及ばない。小川は日本球界における個性派選手の“最高基準”である。

 この小川、まず経歴がすさまじい。1954年に東映に入団し、2年目に初登板のチャンスが回ってきたのだが、前夜に同僚と殴り合いの喧嘩をしてしまう。結果、先発が取り消しになり、おまけに戦力外通告。以降はプロを離れ、アマチュア球界に身を投じるはめになった。

 そして、ここからが本気で型破りだ。小川はアマチュア球界を転々としていた64年、なんと中日と契約し、約10年ぶりにプロ球界に復帰。この時点ですでに3児の父だった。

 しかも、小川はそこから先発として活躍し、67年には33歳にして29勝を挙げ、最多勝と沢村賞を獲得。そのまま中日のエースとなり、時の巨人が誇るONに対しても、型破りなピッチングで対峙した。

 中でも有名なのは、王貞治対策として試合で披露した背面投げである。普通に投げても打たれるだけだから、なんとか王をかく乱できないものかと考えた小川は普通のフォームで投げると見せかけ、途中で背中の後ろから腕を出して推定90キロの遅球を投げたのだ。これはあえなくボールとなったが、それによって王の調子を狂わせ、次に投げた平凡なストレートで外野フライに打ち取っている。

 しかも、小川はこの背面投げをキャンプの時点からひそかに練習していたというから余計にすごい。かつて敬遠打ちを練習していた新庄と一緒だ。小4男子のメンタリティーである。

 本当の意味での型破りとはこういうことを指すのだろう。小川に比べたら、大半の人間は凡人もいいところだ。だったら無理に変人ぶらず、粛々と謙虚に真面目に生きたほうが美しい。

 平凡で何が悪い。特にサラリーマンはそうだ。平凡を認めたうえで、地道に仕事をまっとうすることが美徳ではないか。

中日の小川健太郎(69年7月、後楽園球場)

山田隆道(やまだ・たかみち) 1976年大阪府生まれ。京都芸術大学文芸表現学科准教授。作家、エッセイストとして活躍するほか大のプロ野球ファンとして多数のプロ野球メディアにも出演・寄稿している。

※この連載は2012年4月から2013年9年まで全67回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全33回でお届けする予定です。

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