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キャリアアップの前に思い出したい大きなリスク【野球バカとハサミは使いよう#16】

人材育成は忍耐力と覚悟


 プロ野球における4番打者とは、打者における野球ヒエラルキーのトップと言って差し支えないだろう。アマチュア球界で4番を打っていた猛者ばかりがプロの門を叩き、その中でさらに競争を勝ち抜いた者だけがプロでも4番を打てるわけだ。

 そんな栄えあるプロ野球の4番打者という称号を18歳という若さで勝ち取った選手は数少ない。その代表的な例が1986年の西武・清原和博と、62年の近鉄・土井正博である。

 清原の場合は、ご存じの通り高校球界のスーパースターだったが、土井の高校時代は無名の選手だった。しかも、野球部の内紛により選手が大量退部するという憂き目に遭い、高校を2年で中退。そこを近鉄に拾われる形で、17歳でプロ入りするという波乱の幕開けだった。

 したがって、入団時の土井は期待も薄く、1年目は二軍暮らし。ところが、2年目の62年に別当薫新監督が就任すると風向きが激変した。当時低迷していた近鉄を改革すべく、別当監督は土井の才能に注目し、いきなり4番打者に抜てきしたのだ。

近鉄の土井正博

 もちろん、これは他に有力打者がいない中での苦肉の策であった。だから当然、最初から4番に見合った働きができるわけもなく、62年の土井は、ほぼフル出場ながら打率2割3分1厘、5本塁打という散々な成績。かくして土井のことを、話題先行の「虚飾の4番」として批判的に報じるマスコミも多かった。

 しかし、別当監督はそれでも4番起用を続けた。すると、土井は4番になって3年目でシーズン20本塁打をクリアし、6年目で打率3割超えを達成。さらに10年目で初めて30本塁打を超える40発を放つなど、時間はかかったものの、立派な4番打者に成長。現役20年で通算2452安打、465本塁打を記録した大打者の成長曲線は、まさに晩成型のそれであったのだ。

 これぞ、俗に言う「地位が人を育てる」の成功例だ。サラリーマンの世界でも、参考にすべき人材育成の極意である。傑出した才能に出会ったとき、指導者はその才能の最大値をきっちり見極め、時には現時点での実力不足を覚悟したうえで、重要な仕事や高い地位を与えてみるといい。その才能が本物であるなら、きっと高いハードルを乗り越えようと必死になり、驚くべき成長を遂げることだろう。

西武で清原(右)を指導する土井コーチ(96年8月、西武球場)

 そこで指導者にとって大切なのは、才能が開花するまで我慢する忍耐力であり、もし失敗しても責任を取る覚悟だ。人材の育成には、指導者の人間的な器の大きさも不可欠なのだ。


悲しき〝台湾のイチロー〟

 仕事でキャリアアップを目指すことは、サラリーマンにとって当然の欲求である。日本球界で成功した選手が、メジャーリーグを夢見るのと同じ理屈だ。

 過去には、そんな野球選手としてのキャリアアップを日本球界に求めたケースもある。1997年に巨人に入団したルイス・サントスがそうだった。

 ルイスは84年のMLBドラフトでロイヤルズに入団。その後、マイナーでは安定して3割前後の打率を残すものの、メジャーに昇格すると活躍できないという状態が続いていた。そこで94年、メジャーはおろか、日本よりもレベルが下がる台湾球界に移籍。すると、台湾では3年連続で打率3割5分以上と大活躍し、それが評価されて前述の巨人入団、つまり野球選手としてのワンランクアップと相成ったのだ。

巨人入団時、大いに期待されたサントス(96年11月、球団事務所)

 来日時のルイスは「台湾のイチロー」と呼ばれ、大いに注目された。当時の巨人監督・長嶋茂雄もその活躍に太鼓判を押しており、開幕から「5番・サード」でスタメン起用。

 ところが、日本ではさっぱり打てなかった。開幕から2か月近くが経過しても、打率2割台前半、本塁打0という超低空飛行。おまけに三塁守備でもエラーを連発し、かつてのメジャー昇格時と同様、日本でも活躍できないまま解雇されたのだ。

 しかし、ここからが面白い。その後ルイスは台湾に戻ると、またも2年連続で打率3割以上を記録し、2000年にメキシカンリーグに移籍。そこでも打ちまくり、01年は韓国球界に移籍すると、韓国でも好成績を残した。つまり、ルイスはレベルが低いリーグでは安定して活躍する選手だったのだ。

 ただし、そこで活躍できたからといって、必ずしもキャリアアップできるというわけではない。晩年、ルイスは台湾やメキシカンリーグでの実績を引っ提げ、再びメジャーを目指したものの、結局その壁に阻まれたまま現役を終えた。下手に上を目指さず、台湾で現役を全うしていれば、今ごろ台湾の英雄になっていたはずだ。

巨人のルイス・サントス

 これはサラリーマンにとっては、身につまされる反面教師だろう。人間には分相応というものがあるため、仕事において何がなんでも上のレベルを目指すことが良いわけではない。

 現段階で成果を挙げている環境(会社や部署)に身を置いているなら、そこを安住の場として職務を全うすることも立派な生き方だ。キャリアアップを目指して会社を移る、部署を異動するということは大きなリスクもはらんでいることを忘れてはならないのである。

山田隆道(やまだ・たかみち) 1976年大阪府生まれ。京都芸術大学文芸表現学科准教授。作家、エッセイストとして活躍するほか大のプロ野球ファンとして多数のプロ野球メディアにも出演・寄稿している。

※この連載は2012年4月から2013年9年まで全67回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全33回でお届けする予定です。

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