【ダイアモンド✡ユカイ×高橋まこと 対談・前編】紙面掲載時より写真点数UP!
はじめに
昭和の終わりごろ、日本のロック界に次々と歴史に名を残すバンドが現れた。とてつもない輝きを放っていたあの時代に、何が起こっていたのか? ムーブメントの中心にいたグループ「レッド・ウォーリアーズ」のボーカル、ダイアモンド✡ユカイがゲストを招いてロックの歴史をひもといていく。最初のゲストは、日本のロックを変えた伝説のバンド「BOØWY」のドラマー、高橋まこと。知られざる2人の関係、BOØWY加入前後の秘話、さらにBOØWYの再結成の可能性にまで迫っていく。
(企画構成=BOØWY・レッズどんぴしゃ世代記者F)
聞いてくれ!俺達の因縁
ユカイ まことさんとは、実はBOØWYに入る前からの古い仲なんですよね。レッド・ウォーリアーズ(以下レッズ)結成前のシャケ(木暮武彦=レッズのギター)とまことさんがバンド組んでて、俺はシャケとその前から付き合いがあったから。
高橋 初めて会ったのはシャケと「ストレート」(1980年)をやってた時だな。
ポーズを決めるユカイ(左)と高橋。ロックスターはいくつになってもかっこいい
ユカイ シャケが「面白いおっさんとやる」って言うから見に行ったんですよ。まことさんは「HERO」ってバンドで、その前にデビューしてて、当時、プロになるのってすごい大きな壁があったから、「おおー! プロの人だ」と思ったよ。俺、まことさんがいたころのHEROを見てるんですよ。どこでかは忘れちゃったけど、埼玉の秋ヶ瀬公園のフェスかな?
高橋 浦和・ロックンロール・センター主催のか。よく見てたね。俺すぐクビになっちゃったからな(※HERO在籍は77~78年)。70年代には、今でいう「フェス」は既にやってたんだよな。「箱根アフロディーテ」(71年)に「ピンク・フロイド」が出たり、郡山でやった「ワンステップフェス」(74年)にオノ・ヨーコさんのバンドが出たり。ワンステップには佐久間(正英=後にBOØWYをプロデュース)さんの「四人囃子」も出てた。海外のバンドと日本のバンドが同じステージに立ってな。
ユカイ フジロックみたいなのは40年以上前からあったんだよね。
1971年に来日したピンク・フロイド
高橋 映画「ウッドストック」(コンサートは69年。70年に映画公開)を見た、ちょっと上の世代がああいうことをやりだして、それが日本にロックが根付くとっかかりみたいなもんかもな。
ユカイ そういえば、レッズがまだアマチュアでやってた時、一度まことさんに叩いてもらったことがあったよ。コンマ君(小沼達也=レッズのドラム)がハワイ旅行に行っちゃって、お願いしたんだよね。
高橋 渋谷のエッグマンか? なんか思い出してきたぞ。やったな(※レッド・ウォーリアーズが結成された85年のころの話。高橋は当時BOØWYのメンバー)。
ユカイ 話を戻すと、シャケとやってたストレートを辞めて入ったのがBOØWYだった?
高橋 あの時な、ストレートとして出た「イースト・ウエスト」(ヤマハ主催のアマチュアバンドコンテスト。76~86年)の埼玉予選を通って、次の日程がBOØWYの軽井沢合宿とカブってたんだよ。俺はBOØWYに入ると決めてたから、シャケに「ごめん! 出れねえ」って言ってさ。シャケたちは家まで来て「なんでですか! 出てくださいよ!」ってすごい言われたけど「悪い!」って抜けさせてもらった。シャケはあの時のこと、恨みに思ってるんじゃないかな(笑い)。
ユカイ 俺、レッズの前のバンドを「公務員になる」って辞めたこと、ずっと言われてた(笑い)。でも、まことさんのことはそんなに恨んでなかったよ。当時のこと覚えてるけど、シャケは「BOØWYってバンドに入っちゃったんだよ。しようがないな、あのオヤジ」みたいな感じで。でも、振り返ると、そんな流れから埼玉でレベッカとレッド・ウォーリアーズが生まれたんだな。
「なぜBOØWYを選んだの?」
ユカイ まことさんがBOØWYに入ったのって、人気が出るずっと前でしょ。なぜシャケ(木暮武彦=レッズのギター)とのバンド「ストレート」ではなく、BOØWYを選んだの?
高橋 1981年だな。ギタリストの山田淳から電話で「今から新宿ロフトに来い」って呼び出されたんだよ。そこで見たのがBOØWY(当時は暴威)だった。まだ6人編成でね(後に2人脱退)。ファーストアルバム「MORAL」(82年発売)がほぼ出来上がった段階で、最初のドラマーが抜けることになって、山田が「空きができるから入ればいいじゃん」と教えてくれたんだ。
ユカイ そのライブでビビッときた?
高橋 ビビッときたわけよ。粗削りだけど面白い。このバンドでやったら面白いことできるなってさ。後で知ったんだけど、それがロフトでの初ライブだった。
ユカイ そこから「ストレートでのコンテスト出場よりBOØWYの軽井沢合宿を選んだ」という話につながるわけね。
高橋 そういえば俺の後、ストレートのドラムって誰がやったんだ?
ユカイ タマという人。後に学校の先生になったのかな。あのころ、バンドでデビューを目指しながら、でも大学行って就職も視野に入れてって多かったよね。プロなんて簡単になれなかったから。俺だって公務員になろうと思ってたし(笑い)。
高橋 俺はいきなり東京でプロは無理だと思って、福島から一度仙台に行って活動して、段階を踏んで東京に出た。仙台時代に「頭脳警察」に入るかという話があったけど、東京に単身で出る自信がなくて行かなかったんだよ。
ユカイ 段階の世代だ(笑い)。まだ東北新幹線が通る前、東京まで一日がかりのころだね。話を戻すけど、シャケからまことさんが抜けたと聞いた時、BOØWYがあんなに大きなバンドになるなんて想像もしてなかったよ。それからしばらくして、シャケがまことさんに呼ばれたのかな? ロフトにライブを見に行って、「なんかすごいもの見ちゃったよ。なんなんだあれ」って青い顔してたことがあった。
高橋 何を見たんだ?
ユカイ これは俺の解釈で、シャケは違うって言うかもしれないけど、布袋(寅泰)君のギターのことだよね。当時の他のギタリストとは音が違ったから。シャケがディレイ(原音がやまびこのように鳴るエフェクター)を使いだしたのも布袋君の影響かな。布袋君のギターって、日本のロックの文脈の中では革命的な音を出していて、ギター観が変わるほどの衝撃を受けたギタリストが、あのころたくさんいたんだよ。マネしてディレイ使う人が増えたしね。
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