報道陣にもカレーと手紙を渡して感謝を示した石川佳純「直接お礼を言う機会があまりなくて…」
これが誰からも愛される理由か――。2023年5月18日に都内で行われた卓球女子の石川佳純氏の引退会見では、随所に抜群の人間性が垣間見えた。
愛されキャラでコート外でも見本となってきた
五輪の団体で3大会連続のメダル獲得に大きく貢献し、17年世界選手権では混合ダブルスで日本勢48年ぶりの金メダルを手にするなど、数々の実績を残してきた。全日本女王・早田ひな(日本生命)が「多分みんなが、石川さんがいるから大丈夫と思っていた部分があった。それって本当に信頼している選手だからこそ、頼ってもなんか大丈夫、という感覚がずっとあった」と明かすように、長きにわたって女子卓球界をけん引してきた。
プレーはもちろん、コート外でも他選手の見本となってきた。団体で銀メダルを奪取した21年東京五輪後の22年4月には、卓球などのスポーツの魅力を発信する交流イベント「47都道府県サンクスツアー」をスタートさせた。当時は現役中だったものの、多忙なスケジュールの合間を縫って参加。日本卓球界初のプロ選手で五輪4大会出場の松下浩二氏は「東京五輪が終わった後に『休みたい』『試合がある』という気持ちがありそうな中でも、感謝を込めて全国で卓球教室をして回っていたのが印象的だった。意識はしていなかったと思うが、若い選手に模範を示してきたのはすばらしい」とずば抜けた行動力と思いやりに舌を巻いていた。
卓球界の顔としてあらゆる舞台で大活躍。早くもテレビ関係者からは「石川氏はマルチタレントとしてさらに人気が出るのでは」との指摘もあり、24年パリ五輪のキャスターとしての活動も期待されるほど。〝愛されキャラ〟だからこその声だが、取材する私も石川氏の魅力は存分に感じてきた。
引退会見では報道陣に石川氏から手紙、自身が監修した「石川佳純(かすみん)カレー」などが配布された。手紙には「10歳で初めて出場した全日本選手権から約20年間、(あの時はメガネッ娘でしたね)長い間、本当にお世話になりました。メディアの皆様のおかげで、良い時も悪い時も沢山の方に成長を見守って頂き、応援して頂きました。これからもよろしくお願い致します」(原文ママ)と記されていた。
小さい頃から注目を浴び、さまざまな重圧に苦しんだのは一度や二度ではないだろう。そっとしておいてほしい時もあったに違いない。それでも、エースの役割を全うし、結果で実力を証明してきた。「直接メディアの方にお礼を言う機会があまりなくて、手紙を書かせていただいて、みなさんにも感謝の気持ちを伝えたいと思った。10歳のメガネをかけていた時から、長い間たくさんお世話になりました」と素直な思いを口にできる石川氏の器の広さは、まさに別格だった。
中国でも絶大な人気を誇る
無茶ぶりにも満面の笑みで応えてみせた。引退会見の質疑応答で同国メディア「新華社通信」が「中国語で質問するので、中国語で答えていただいていいですか?」とまさかの提案。石川氏は「頑張ります」と苦笑いを浮かべながらも、流暢な中国語を披露して会場を驚かせた。
「現役引退を表明した時に、こんなにたくさんのメッセージをいただけるとは思っていなかったのでビックリした。すごくありがたかった。中国で試合をすると応援してもらって、本当にホームのように気持ち良くプレーできた。機会があればいろんなことにチャレンジしてみたい。いつかは中国に行って、ファンの方にも感謝を伝えられる機会があったらいいな」
日本のみならず、中国でも絶大な人気を誇る石川氏ならではの神対応だった。
引退の決意を固めたのは、3月の世界ツアー・WTTシンガポールスマッシュ終了後だった。世界選手権(南アフリカ・ダーバン)の代表から漏れ「自分でもいいタイミングなのかな」。最後の試合となった4月のWTTチャンピオンズマカオでは、東京五輪2冠で同年代の陳夢(中国)と対戦。ジュニア時代から何度も顔を合わせてきた盟友との試合は、運命の糸に導かれたモノだった。試合は1―3で敗戦を喫するも「コート外では友人でもあって、最後の試合が陳夢だったことに不思議な縁を感じた」。全てを出し切った石川氏の表情は晴れやかだった。
今後は「47都道府県サンクスツアー」を継続しながら「これまでは練習の時間がほとんどで、勉強する機会がなかったので勉強をしてみたい」と多様な分野にチャレンジしていく方針だ。約12年間競技生活をサポートしてきた全農も「サンクスツアーをわれわれも何回か協力させていただいている。まだ40ほど残っているので、いろんな形で応援していきたいし、石川さんのそういった取り組みを一緒にやっていきたい」と話しており、引き続き全面バックアップしていく意向を示した。
限界まで戦い抜いた石川氏の笑顔と涙は、私たちの想像を絶する苦労を乗り越えてきた証だ。「よく頑張ったかな?」。左手一本で築き上げた遺産は、永遠に語り継がれていく。(運動2部・中西崇太)