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往年のプロ野球選手から処世術を学ぼう【野球バカとハサミは使いよう#1】

“球春到来”に合わせ、2012~13年にかけて東スポ紙面連載された往年のプロ野球選手から処世術を学ぶコラムを復刻します。選手のエピソードから導かれる教訓は日々の生活に役立つこと間違いなしです!

たった1回でも〝伝説〟は存在感を高める

 今季のプロ野球が開幕した。開幕戦の主役を飾ったのは、周囲の予想を良い意味で裏切る完投勝利を挙げた日本ハムの開幕投手・斎藤佑樹だ。大舞台でも物おじしないハートの強さこそが、彼のスター性なのだろう。

 予想を裏切るという意味では、1988年の開幕戦も印象深い。88年といえば、日本初のドーム球場である東京ドームがオープンした年だ。ゆえに東京ドーム初戦となるセ・リーグ開幕戦「巨人VSヤクルト」は、全国の注目を集める記念碑的な試合だったわけだ。

 開幕戦直前、各メディアは「東京ドーム第1号本塁打は誰が打つのか?」という予想で持ちきりだった。テレビではそれをオッズ形式のクイズにしており、1番人気は当時の巨人の4番・原辰徳。実況アナウンサーも「原の調子は良さそうです!」と、あからさまに原びいきの発言を連発していた。中畑や吉村もいいが、ここは球界の若大将に花を持たせるべきだろう。すなわち、原が第1号を打つのが、最も丸く収まる空気だった。

 ところが、現実は厳しかった。オッズランキングにも入っていなかったヤクルトの新外国人デシンセイが、初打席でポコンとホームランを打ってしまったのだ。
「あ、デシンセイが打っちゃいました…」

東京ドームHR第1号男・デシンセイ

 興奮から一転、空虚につぶやく実況アナ。球場が一瞬静まり返り、ほどなくして渇いた拍手がぱらぱら起こる。原に至っては、口をポカンと開けていた(ように見えた)。

 しかし、こういった予想の裏切りがあったからこそ、デシンセイは強烈なインパクトを残した。ヤクルト在籍は1年限りで、目立った成績も残していないが、いまだに彼の名を覚えているファンは意外に多い。お笑い芸人の江頭2‥50ではないが、トータルの成績より1回の伝説が、彼の存在感を一気に高めたのだ。

開幕戦で第1号HRを放ったデシンセイ(88年4月、東京ドーム)

 これはサラリーマンにも通ずる極意である。組織で仕事をしていると、自己の存在感を周囲にアピールする処世術も重要。そのためにはデシンセイの伝説作戦が有効だ。

 伝説とは周囲の予想が一定の方向を向いているときであれば、それをあえて裏切ることで作為的に生み出すこともできる。例えば「明日、企画をひとつ出せ」と社員全員に指令が下ったとき、自分だけ企画を10個出してみるといい。それらが使えないものばかりだったとしても、予想の裏切りによって目立つことはできるだろう。伝説作りとは、自己アピールのための狡猾な作戦なのだ。 


今でも「組織への忠誠心」は有効だ

 その昔、まだセットアッパーなる言葉がなかった時代の球界では、リリーフ投手の地位は驚くほど低かった。どんなに登板数を重ねたとしても、メディアの脚光を浴びることはなく、年俸も極めて安かったのだ。

阪神時代の伊藤敦規

 中でも、1990年代に阪神などで活躍したアンダースローのリリーバー・伊藤敦規は、とりわけ不遇だった。勝っていようが負けていようが、連日のようにマウンドに立つミスター登板過多。特に97~2001年にかけては、5年連続50試合以上登板を記録する鉄腕ぶりを発揮し、うち防御率1点台が2回、2点台が2回という驚異的な好成績を挙げた。

 ところが、前述したリリーフ受難の時代だったため、この伊藤が正当な評価を受けることはなかった。おまけに当時の阪神は万年最下位の暗黒時代で、選手の年俸も軒並み低空飛行。97年オフの契約更改に至っては、60試合に登板して8勝5敗8セーブ、防御率2・67という好成績を残しながら、年俸はなんと現状維持というありさまだった。

 伊藤はそれでも文句を言わず、黙々と投げ続けた。そして、いつかのインタビューで「自分は一度終わった選手なのに、阪神に拾ってもらった。だから、鶴の恩返しのつもりで投げている」と泣かせる発言。そう、伊藤はもともと阪急の87年ドラフト1位投手として期待された逸材だったのだが、先発投手としては芽が出ず、徐々に窓際へと追いやられた結果、横浜へのトレードを経て、96年オフに阪神が獲得したロートル選手だったのだ。

阪急のドラフト1位・伊藤敦規(右)と上田利治監督(87年)

 だからこそ、この伊藤の発言に多くの阪神ファンは心を打たれ、01年の引退時には「鶴の羽がすべてむしり取られた」と号泣する者まで出現。一般知名度は低い割に「阪神ファンで伊藤を知らない者はいない」とまで言われる存在になり、現在もコーチとして阪神に請われている。決して花形選手ではなかったが、球団に長年重宝されているわけだ。

 これは会社の窓際で地味に働いているサラリーマンにとって、非常に参考になる生き方である。組織への忠誠心は、外部からは目立たずとも、内部からは高く評価される。花形部署で活躍することだけが勝者ではない。長い目で見れば、窓際のカメが日の当たるウサギに勝つことだってあるはずだ。

山田隆道(やまだ・たかみち) 1976年大阪府生まれ。京都芸術大学文芸表現学科准教授。作家、エッセイストとして活躍するほか大のプロ野球ファンとして多数のプロ野球メディアにも出演・寄稿している。

※この連載は2012年4月から2013年9年まで全67回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全33回でお届けする予定です。

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