見出し画像

【ダイアモンド✡ユカイ×杏子 対談・後編】

 1980年代に人気となり、最近も芸人の歌マネで注目を集めた「バービーボーイズ」の女性ボーカル・杏子の本音やバンド時代の秘話を、「レッド・ウォーリアーズ」のボーカル、ダイアモンド✡ユカイが次々と引き出す。今回は、ボーカリストの成長にまつわる“あるある”。そして杏子がOLに戻ろうとしていた!?(企画構成=アラフィフ記者F)

商社でOLしながらバンドを続けてた杏子、バービー加入を部長に報告したら…

 ユカイ 加入のきっかけになったバービーとの対バンの話の前に、商社のOLだったの!?

 杏子 制服着て、お茶出してね。社長が女性社員に「男性が疲れて帰ってきた時、君たちがかわいい笑顔で『お疲れさま』と言ってお茶を出せば男性は喜ぶ。そして頑張る。そうすれば君たちのボーナスも上がる」って鼓舞してたの、よく覚えてる(笑い)。

 ユカイ 1980年代は、まだ「キャリアウーマン」という存在が一般的ではなかったね。女性社員はお茶をくむのが当たり前みたいな時代で。

 杏子 女性は、ほぼほぼサポート役だった時代。でも、それぞれの役割を尊重してくれて、男性はお茶入れたりコピーすると、ちゃんと「ありがとう」って言ってくれたし、出張行くと土産を買ってきてくれたりね。女性の先輩は上司のお茶の好みを完璧に覚えていて、会議が続くと毎回お茶を変えて出す方もいて、そういうことができるのは、すてきだなと思った。それぞれのポジションでの極め方があるのよね。

紙面掲載4

根っからのロックスターのユカイと、実はOLだった杏子

 ――OLしながら「喝!タルイバンド」を

 杏子 そう、総務部は5時で仕事が終わるから、趣味でバンドを続けるには良かったわけ。1年ちょっとだったけど学ぶこともあったし、OLやってて良かったな。

 ユカイ てことは、OLになって1~2年で対バン、バービー加入、デビューと展開していったんだ。

 杏子 当時男子4人だったバービーと対バンしたのが83年の夏。その時、イマサに「次、ゲストで出ない?」って誘われたの。そのゲスト出演するライブ用にイマサが作った曲が、後にデビュー曲になった「暗闇でDANCE」。掛け合いで歌ったら結構ウケたから、CBSソニーのオーディションにテープ送ってみたら、グランプリを取った。これが、その年の秋。でもこの時点では、まだメンバーじゃないんだけどね(笑い)。

 ユカイ それで気に入って加入したわけ? 会社には報告したの?

 杏子 グランプリだし、このまま続けようかなと思ってね。部長に「グランプリ取っちゃって、なんかデビューできるみたいです」って言いに行ったら、「杏子ちゃん何? デビュー? 大丈夫? やるだけやってみて、ダメだったら戻ってきなさい」みたいな感じで(笑い)。

 ユカイ いい会社だね(笑い)。紅一点だから、他のメンバーに口説かれたんじゃない?

 杏子 ないない! 一切ない! むしろ、なんでバンド内で付き合うんだろう、と思うわぁ。

 ――前の話にもあったように、メンバーはプロ志向が強く、厳しくて、そういう空気でもなかったんですね

 杏子 私は自分がバンドのレベルに追いついてないと感じててね。急にうまくなるわけじゃないし、厳しい要求に応えられない時は、キツイなぁと思って、お得意の“闇”のほうがドロドロドロって出てくるわけ(笑い)。

 ユカイ 恋愛って感じでもないか(笑い)。

 杏子 今思えば自分をもっと主張すればいいのに、自分で追い詰めていたんだけどね。ライブ中は怒られないから、「楽しい~! イエ~イ」って。だけど終わると、またドロドロドロって暗くなる(笑い)。

画像6

BARBEE BOYSのKONTA(88年)

 ユカイ 確かに思い返すとバービーのイメージがあったかも。解散してからのほうが「杏子らしい」って感じだよね。

 杏子 ソロなら全部自分の責任だけど、私は男子4人のかっこいいバービーボーイズを知っていたから、私が入ったことでイメージが軟弱になったと思われてないかとか、音楽的に追いついてないことが知られるといけないとか、変に真面目に考えてたのよね。そういえば、事務所で「いい女とは」ミーティングとかあったなぁ。

 ユカイ 何それ!?どういうこと話したの?

かっこいい女を目指すために開かれた〝いい女とはミーティング〟

 杏子 ラジオで話していると、どうしても「ギャハハ」という感じだったから、「かっこいい女」路線でいこう、「かっこいい女」の条件を箇条書きにしてみて、ってね。逆アイドル路線ていうか。それで「桃井かおりさんみたいにいけ!」って。

 ユカイ 桃井さん!?

 杏子 ご本人にお会いした時「桃井さんみたいにと言われてました」ってお話ししたら、「私も大変だったわぁ」っておっしゃってました(笑い)。

 ユカイ 絵が浮かぶね(笑い)。

桃井かおりと吉行淳之介

かっこいい女の代名詞、桃井かおり(右)と小説家の吉行淳之介(1980年5月、銀座日航ホテル)

 ――偶然にも、桃井さんも椿鬼奴がモノマネしています。バービー時代の杏子さんはかっこいいイメージでした

 杏子 歌詞は痴話喧嘩だしメロディーもロック!って感じだったから、乗っかってやりきれれば良かったんだけど、なんかいっぱいいっぱいで、やりきれてなかったなぁ。

 ユカイ 外から見てると、バンドの中で杏子がどんどん成長していって、後半になると存在感が浮かび上がってたよ。それで他のメンバーと隔たりみたいなのがあったんじゃない? そんなふうに感じてたよ。

 杏子 そう見えたの?

 ユカイ ボーカルって面白くてさ。成長してくると別の人格が成長してきて、昔と同じとは思えないような人間になるんだよ。むしろ本当の姿は何年後かのそっちの姿かもしれない。でも最初を知ってるメンバーは成長した姿を見て「なんだよ、俺の知ってる杏子じゃない」とかになっちゃうんだよ。

 ――“バンドあるある”ですね

紙面掲載5

ボーカル同士だから共感できることがある

 ユカイ NOKKOもそうだった。俺なんか地元が同じだから高校生だった時から知ってるけど、レベッカでどんどん変わっていった。でも昔の仲間はずっと昔のNOKKOイメージだ。俺なんかでさえ昔の仲間は田所くんだよ。杏子もバンドの前期と後期で見え方が全然違った。外から見てて、メンバーが抑えきれてない気がしたよ。

 杏子 う~ん、後半は少しずつだけど、自我を出せるようにはなったかな。3~4枚目のアルバムあたりから、自分がバンドにいる意義、立ち位置がわかるようになって、自分はバンドにいていいんだな、この声が必要とされているんだなと考えられるようになった。

 ユカイ 自信を持つと自分が解き放たれていく。そうするとバンド内はクラッシュするわけよ。

 杏子 ユカイくんはそうなったでしょ。

 ユカイ あ、俺はそうだね。そうなるとバンドはおもしろくなる。でもバンド内はやばいんだ。

 杏子 私はそこまでいってない。やっぱりイマサ(=いまみちともたか、バービーの多くの曲を作詞作曲)のバンドだったからね。

 ユカイ 最後の方なんか、杏子が突出している感じがしたよ。

 ――そんな意識はありましたか
 
 杏子 バンドとしての意識が強かったからなぁ。バービーが解散する時は私が音楽を辞める時だと思ってた。解散したらOLに戻ろうと思ってたし。
 
 ユカイ ウソー!?

 杏子 本当よ。バービーがきっかけでプロになれたから、バービーがなくなる=プロではなくなるって思ってた。

 ユカイ 本当に戻ろうとしたの?

 杏子 まずOL時代の友達に相談したら、「派遣会社に登録して、いろいろな仕事を見て自分に向いている会社を選ぶといいよ」って教えてくれた。私は英文科出身で、簿記とか中途半端だったんで、簿記の学校に行ってスペックをちゃんと整えて、バンド上がりだけどできますよ!みたいにしたらかっこいいなと思って、学校のパンフレットを取り寄せたりしてた。

1980年代の最強レコード会社、CBSソニー

 ユカイ OLに戻ろうとして、やっぱり音楽の道を選んだのはなぜ?

 杏子 バービーの解散が正式にアナウンスされる前に、「解散する」っていう情報がちょいちょい出てたみたいで、「組もうよ」という電話がいくつかかかってきた。最初に電話をくれたのがジャイアンこと今のオーガスタの最高顧問・森川欣信。よく考えたら、なんでウチの家の電話番号を知っていたか、不思議なんだけどね。

 ――最初に電話をくれた事務所に入ったんですね

 杏子 そう。もう一回音楽をやって、ダメだったらお嫁に行けばいいかって。親は帰ってきてお見合いすると思ってたみたい。

 ユカイ そっちは今のところ実現してないね。

 杏子 そうだね(笑い)、そういえば、余談だけど、ユカイ君に「URASUJI」(杏子プロデュースの舞台)に出てもらったじゃない(2007年)。打ち上げの時に「杏子、離婚はいいぞ。自分を見つめ直すことができるから」って言われて。「私は結婚してないから離婚できない」って言ったのに、一度向こうに行って、しばらくして戻ってきたらまた「杏子、離婚はいいぞ」って(笑い)。

 ユカイ そんなこと言ってた? まあ、離婚して、そう考えられるようになったころだね。ところで同じ女性ボーカルとして、NOKKOのことはどう見てたの?

 杏子 うらやましいなぁと思ってた。移動する時とか、スタッフが守って、すごい大事にされてたもの。昔、バービーで移動した時、新幹線を降りたら修学旅行の団体に遭遇して、コンタやイマサが囲まれて。先に出た私は一人歩いてたら、おばさんに「あの人たちなんなの?」って聞かれ、「なんか、バービーボーイズってバンドみたいですよ」と答えたことがあった(笑い)。私もNOKKOみたいに守られたかったなぁ。それにNOKKOは破天荒で自由にできてるように見えたから、うらやましかったな。

 ユカイ 一見、自由そうに見えたね。

 杏子 そういえば、デビュー1年目にバービーとレベッカで仙台のライブハウスに出て、お客さんが4人ってことがあった。

 ユカイ 4人!? そんな時代もあったんだ。バービーもレベッカもソニーのレーベル所属だったけど、1980年代ってソニーが圧倒的なパワーを持ってたよね。一時の読売ジャイアンツのように強打者を揃えて、ソニーに入らないと売れないぐらいの勢いだったよ。

98年の聖飢魔Ⅱ

聖飢魔Ⅱの「ふるさと総世紀末計画」会見(98年3月、都内)

 ――80年代のソニーには他に佐野元春、TMネットワーク、尾崎豊、久保田利伸、米米クラブ、ハウンド・ドッグ、爆風スランプ、聖飢魔Ⅱほか人気ミュージシャンが多数所属していました

 ユカイ 実はレッズもソニーに入るって決まってたんだよ。なのに途中から話が変わって、コロムビアに。同じ事務所だった尾崎豊が問題起こしたからかな。

 ――レッズがデビューした86年、尾崎さんは無期限活動停止を宣言して、シングルもアルバムも一枚も出してませんね。ところで数年前からレイザーラモンRGと椿鬼奴によるバービーモノマネがウケていますが、ご本人はどう見ていますか

 杏子 めちゃ面白くて大好き! もっとやって!って感じ。2人とごはん食べに行ったし、奴ちゃんとはちょいちょい会ってます。

RGと細川たかし(17年1月)

演歌歌手の細川たかし(右)とレイザーラモンRG。モノマネのバリエーションがハンパない

 ――初めて見た時はどう思いました?

 杏子 へー。モノマネするんだ~って。奴ちゃんは声から私と似てるから面白いし、RG君はコンタの微妙な細かい動きがそっくり。足の動きとかよく見てるなって思った。

 ユカイ クルクル回すのとか、今もやってる?

 杏子 やってるよ。相変わらずストール回したり。奴ちゃんにはどんどんやってほしい。

 ユカイ 俺のモノマネする人っていないんだよな。テレビでそっくりさんが出てきたことあったんだけどね。俺、その番組に出ててさ。そいつカツラだったから、俺、カツラ取っちゃったんだよ(笑い)。

 杏子 ほんと、やんちゃだよね(笑い)。

紙面掲載6

きょうこ 1960年8月10日生まれ。83年にバービーボーイズとCBSソニーのオーディションを受け、グランプリ獲得。後に正式加入し、84年にデビュー。92年に解散後はソロアーティスト、山崎まさよしらとのユニット「福耳」などで活躍。
ダイアモンド・ユカイ 1962年3月12日生まれ。東京都出身。86年にレッド・ウォーリアーズのボーカルとしてデビュー。89年に解散後、数度再結成。最新ソロアルバム「The Best Respect Respect In Peace…」が発売中。

※この連載は2018年4月3日から5月15日まで全6回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真やアーティスト公式のYouTube動画を加えて2回にわけてお届けしました。

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!

カッパと記念写真を撮りませんか?1面風フォトフレームもあるよ