福永祐一ジョッキーと日本ダービー あのときの空気感を「東スポ」で蘇らせる
福永祐一騎手がサウジアラビアのレースを最後にムチを置き、今週末には引退式が行われます。この2週間、各メディアには名ジョッキー引退に関する記事があふれ、皆さんもその偉大さを痛感したかもしれませんが、私にもできることがあるかもしれないと、今回、筆を執った次第です。当noteでは、大人気ゲーム「ウマ娘」に登場するキャラの史実を過去の「東スポ」紙面を使っておさらいしつつ、当時の空気感を令和にもってくる試みを続けてきました。これは私が競馬担当記者ではなく、単なる競馬ファンで「東スポ」の資料班だからできること。記者席ではなく、競馬場のスタンドやウインズの人ごみの中にいたからこそ、現場でファンがどんな様子だったかをお伝えできるのですが、では、福永ジョッキーがダービーに挑んだあの時はどうだったのか。ファン目線で書いてみることで、当時を知らないファンの皆さんに当時の雰囲気が少しでも伝われば幸いです。名ジョッキーへの感謝を込めて。(文化部資料室・山崎正義)
キングヘイロー
福永ジョッキーとダービーとの関係で真っ先に触れないといけないのは1998年のクラシックシーズンで主戦を務めたキングヘイローでしょう。父は1980年代のヨーロッパ最強馬ともいわれるダンシングブレーヴで、母がアメリカのGⅠを7勝したスーパー牝馬・グッバイヘイローという超良血。デビュー3連勝で出世レースの東スポ杯(まだGⅢだったころです)を勝ち、クラシックの有力候補となりました。
ただ、皐月賞を前に強力なライバルが登場します。武豊ジョッキーが乗るスペシャルウィークです。弥生賞の発走前の時点ではファンも「どっちが強いのかな」といった感じで見ていたのですが、レースで4馬身差をつけられると、競馬場ではこんな声が上がりました。
「今年はスペシャルウィークで決まりだな」
弥生賞の結果を受けてキングはセイウンスカイとともに2番手グループとなるのですが…競馬というのは分かりません。皐月賞では圧倒的人気のスペシャルが追い込み届かず3着に敗れ、セイウンスカイが逃げ切ります。そんな中、キングはスタートを決めて3~4番手を進み、最後までしっかり脚を伸ばした2着。スペシャルの猛追をしのいだことで、評価が一変するのです。
「やっぱり強い」
「距離延長も良さそう」
「ダービーはこの馬かもしれない」
というわけで新聞の印も一気に厚くなり、本番を迎えました。
あのときの福永ジョッキーに対するファンの期待度はハンパじゃありませんでした。元天才ジョッキーを父に持つ競馬界のプリンスが、デビューからわずか3年目でダービー初騎乗。しかも、超良血馬で、いかにも府中向きっぽい有力馬に乗るのです。はい、輝いていました。ピカピカしていました。競馬場やウインズでは「ダービーはまだ早いでしょ」という声以上に、こんな声。
「この騎手は〝持ってる〟」
「武豊の次のスターは福永だ」
スペシャルの単勝2・0倍には及ばないものの、皐月賞馬・セイウンスカイをしのぐ3・9倍の2番人気。ここまで期待が高まったからこそ、そしてみんなが馬券を買ったからこそ、スタートが良すぎて押し出されるように先頭に立ってしまい、不本意な逃げの末、直線でズルズル下がっていったキングヘイローと福永騎手には辛辣な言葉が飛びました。
「あ~あ」
「何やってんだよ」
「なんで逃げてんだよ!」
いやいや、そこまで言わんでも…と思いますが、ファンというのは正直です。そして翌日、紙面で結果をチェックすると、当の福永ジョッキーもレース後、大きなショックを受けていたことが書いてありました。
デビュー3年目、初のダービーで2番人気です。後にご本人が口にしていましたが「頭が真っ白になった」のも当然でしょう。でも、ファンは目に映ったものだけを見て判断しがちです。
「ダービーにはまだ早かったかな」
「まだまだ青いな」
「これだからお坊ちゃんは…」
そう、あの頃の福永ジョッキーはファンにはお坊ちゃんに映っていました。元天才ジョッキーだった父・洋一さんの存在、そのおかげで競馬サークルで大事にされていることは報道で知っていましたし、本人の努力よりも、そちらにばかりスポットが当たっていたから、〝箱入り息子〟にしか見えなかったんですね。世の中にはそんな扱いをされる人の方が少ないですから、羨ましさ、ねたみ交じりで見ていた人もいたかもしれません。それが一気に噴き出した…というのが当時の現場の空気です。
では、なぜ、そうなったか。デビューしてから福永ジョッキーはしっかり結果を残していたし、誰もが温かく見守っていたのになぜ一度の失敗で逆に振れたのか、なぜ悪い意味でお坊ちゃんという言葉が使われたのか。理由はシンプル、
ダービーだから
です。
競馬ファンにとって特別なもの
超絶インパクトの大きなものだからです。
日本ダービー
またの名を東京優駿
福永騎手の長い長い戦いが始まりました。
ワールドエース
キングヘイローの悔しさをバネに、翌年、プリモディーでGⅠ初勝利を飾った福永ジョッキーは、2000年代になると全国リーディングのTOP10に入ってくるようになります。2005年には海外含めてGⅠを6勝し、年間100勝も達成。名実ともに一流ジョッキーの仲間入りを果たし、毎年のようにダービーにも乗るようになっていました。2006年、マルカシェンクで挑んだときはキングヘイロー以来の単勝1桁台(5番人気)。
結果は4着でしたが、翌年は14番人気のアサクサキングスでアッと言わせます。直線半ばまで逃げ粘り、ウオッカの2着に入るのです。
ただ、これは離された2着ですし、ファンから見ても「惜しい」とは映りませんでした。で、福永ジョッキーはこの後も毎年、ダービーに名を連ねます。それだけのジョッキーになっていたのですが、09年にセイウンワンダーという馬で3番人気に支持されたぐらいで(13着)、ガチの有力馬はなかなか回ってきません。そんな中、ついに全国リーディングに輝いた翌年、2012年に大チャンスが訪れます。主戦を務めていたディープインパクト産駒の素質馬・ワールドエースが鋭い末脚を武器にクラシック路線に乗るのです。しかも、皐月賞で〝いかにもダービー馬〟という負け方をするのです。
見出しにもあるように、ゴールドシップ(ゴルシ!)がバクチ的な乗り方で馬場の悪い内を通って一気に距離を縮める〝ワープ〟で勝ったのとは反対に、大事にソツなく外を回した2着。福永ジョッキーはレース後にこう話しました。
はい、誰が見てもそう映りました。スタート直後にあわや落馬というシーンもありましたし、切れ味をそがれる馬場(やや重)でもありましたから、広くてきれいで、キレ味鋭い末脚が活きる府中で逆転しそうなのがミエミエ。記事の左下でも、本紙の渡辺薫記者が「ダービー最右翼」と書いていますが、多くの人がそう感じました。ダービーに向けて新聞での扱いも大きくなっていき、追い切り速報は皐月賞馬と並んで1面です。
当の福永ジョッキーはこんなふうに話しました。
落ち着きが
自信が
たくましさが
伝わってきます。
脂が乗りつつあった35歳
もうお坊ちゃんじゃないことは誰の目にも明らかでした。
本人が言う通りキングヘイローの時とは違うのです。
「もう大丈夫だろ」
「リーディングも取ったし」
「そろそろダービージョッキーだ」
印も集まります。
単勝オッズ2・5倍。皐月賞馬・ゴールドシップの3・1倍を上回り、1番人気に支持された福永ジョッキーとワールドエースは中団やや後ろにつけました。
「皐月賞ほど後ろじゃないし…」
「いい感じだな」
「今度は届くだろ」
4コーナーを回りながら、ゴールドシップとともに上がっていきます。
GOサイン
追い出す
ジワジワ伸びる
伸びるんですが…
ジワジワのまま
届かず4着
「…」
「…」
ワールドエースの馬券を買っていたファンは言葉を失いました。
きれいに乗った。
不利もなかった。
でも、伸びきれなかった。
「どうして…」
敗因が見えず、モヤモヤしたまま翌日の紙面を開いた私たち。福永ジョッキーはこう話していました。
モヤモヤは消えません。高速馬場で前が止まらず、時計が速すぎたというのも関係していそうでしたが、明確な敗因は見えないままでした。だから、福永ジョッキーを非難する声もありません。
「競馬は難しい」
「今回は仕方ない」
「ユーイチ、次があるさ」
ファンはまだ楽観していました。ダービーというのは、自らのお手馬がその舞台に立ってくれないとチャンスが生まれません。直前でケガをしてしまうこともありますし、出走できてもたまたまその年にめちゃくちゃ強い馬がいることもあります。巡り合わせや運が結果を左右するので、歴代の名ジョッキーでもダービーだけは勝てなかったという人が何人もいます。でも、福永ジョッキーはまだ35歳でした。毎年、多くの有力馬を依頼されるトップジョッキーにもなっていました。だから、チャンスはいずれくる気がしたのです。まさかあんなに早くそれがやってくるとは思いませんでしたが。
エピファネイア
1番人気で敗れたダービーからおよそ半年後。つまり、その年の年末、福永ジョッキーは既に翌年のダービージョッキー候補になっていました。秋にデビューし、3戦3勝でラジオNIKKEI杯2歳ステークスというクラシックの登竜門的重賞を勝った良血馬の背中を任されていたのです。その馬の名は…
エピファネイア!
母は福永ジョッキーが乗り、オークスとアメリカンオークスを制したシーザリオ。その子供がめちゃくちゃ強いうえに、しっかり鞍上に指名されていたのですから、「やっぱりこの騎手は〝持ってる〟んだな」とも思いましたが、クラシックシーズンになり、少々、歯車が狂いだします。皐月賞の前哨戦・弥生賞を前に福永ジョッキーが騎乗停止になり、代わりに外国人ジョッキーに乗り替わったところ、もともとあった気性難が表に出てしまうのです。それは福永ジョッキーに手綱が戻った皐月賞でも消えません。2番人気で臨むものの、レースで引っ掛かりまくり、2着に敗れます。
気性の危うさは距離延長となるダービーには足かせです。当然、陣営もいろいろ調教で工夫するのですが、エピファネイアの評価は分かれました。
「あの前進気勢じゃ2400メートルは無理だろ」
「いや、引っ掛かっても2着だった皐月賞は負けて強し。折り合いさえクリアすれば力は上じゃないか? お母さんもオークス馬だし」
というわけで印はこんな具合。
半信半疑の単勝6・1倍の3番人気でスタートを切ったエピファネイア。1コーナーにかかるところで既に引っ掛かり気味になっているのを見て不安になったファンは、その後も終始ムキになっているのを目にして絶望したに違いありません。しかし、後に菊花賞やジャパンカップをぶっちぎるこの馬の能力はスーパーでした。直線を向き、グイグイと伸びてくるのです。
残り100
先頭へ
ダービー馬へ…
その時でした。
外から天才
外から武豊
図ったかのように
キズナ!
ゴール直前でスルリと逃げていったダービージョッキーの称号。
翌日の紙面で福永ジョッキーはそうコメントを出しました。もう少し馬を御すことができて、もう少しパワーを残せていたら差されなかったかもしれない。勝てたかもしれない。馬に申し訳ない…という意味です。後年、本人も、このダービーを非常に後悔していると振り返っていますから、やはり乗り方として納得できるものではなかったのでしょう。責められてしかるべきだと感じていたのでしょうが、では、あの日のファンはどう感じていたか。実は現場では、福永ジョッキーを責める声はそれほど聞こえてはきませんでした。いや、実はそんなことを考えられないほど、あの日は誰もが興奮と感動で震えていたのです。
東日本大震災で広まった言葉
日本人の心に刻み込まれた言葉
その言葉を名前にした馬がダービーを勝つ
限界説も出ていた天才ジョッキーで勝つ
父・ディープインパクトの主戦騎手で勝つ
武豊がキズナでダービーを勝った!!
だからこそ、かすんだ「福永祐一の2着」。
「仕方ない」
「仕方ないよ」
高揚感が敗因を探る気持ちをかき消します。また、こんな声も。
「武豊が立ちはだかったね」
「祐一にはまだ早いってことかな」
「まだダービージョッキーになるのは早い!って」
偉大なる先輩からのメッセージ
上乗せされた「いずれ勝てるんだから」という楽観視
まだ大丈夫
またチャンスはくる
ファンはあの時そう思っていました。
しかし、1年が経ち2年後に4番人気の馬で大敗し3年後に2番人気馬で敗れると雲行きが怪しくなってきます。
4年後は12番人気で8着
5年後は8番人気で11着
外国人ジョッキーに通年免許
熾烈を極めるお手馬争い
そんな中での大きなケガ
気が付けば福永ジョッキーは40歳になっていました。
ワグネリアン
2016、17年(上記の4年後と5年後)は人気馬での出走にはならなかったダービー。巡り合わせもありますから仕方のない面もありますが、そのころ、ジョッキー界の勢力図は変わりつつありました。15年にクリストフ・ルメール、ミルコ・デムーロ両騎手が通年免許を取得。17年にはルメール騎手が全国リーディングに輝きます。また、川田将雅ジョッキーの台頭もありました。つまり、福永ジョッキーには良血馬、素質馬が集まる確率が以前より低くなっていたと言えます。加えて、先ほど書いたように自らの年齢はベテランの域に達するようになっていましたから、今後現れるクラシックホースとの出会いは、より貴重になっていくかもしれない。グズグズしてたらダービーは取れないかもしれない…そんな時に登場したのがワグネリアンです。父はディープインパクト。新馬、野路菊ステークスを連勝し、続く東スポ杯も楽勝します。
誰もが認める出世レースですから、クラシックに乗ったのは間違いありません。東スポ杯が行われた競馬場にいた私の周りではこんな声が聞かれました。
「来年はいよいよ福永かもな」
「そろそろダービーだね」
翌年に備え、休養に入ったワグネリアン。年が明け、さあクラシックだ!と勇躍、弥生賞に向かいます。相手は前年の朝日杯フューチュリティステークスの覇者で、同じディープインパクト産駒のダノンプレミアム。2頭は未対戦でしたから、今後を占い意味で、すなわち、どっちがクラシックの中心になるかで、大きな注目を集めました。結果は…。
完敗――
ダノンプレミアムはこの時点で4勝4勝。大物感もありましたから完全なダービー馬候補です。
「ワグネリアンは厳しいか…」
「相手が悪い」
「祐一もついてないなぁ」
弥生賞後の競馬場ではそんな空気が漂ったのですが、一寸先は分かりません。皐月賞を前に大本命だったダノンプレミアムが軽いケガで回避を発表するのです。そうなると、2番手だったワグネリアンにチャンスが出てきます。
単勝3・5倍という数字は決して突出したものではないものの、距離に不安はなく、今まで連対も外していませんから、ひとまず頼りにされた1番人気。差し脚質なので直線の短い中山競馬場は合っているようには見えませんが、一方で、ここでしっかり差してくるようなら、ダービーでの好勝負は約束されたようなものです。直線、どこまで伸びてくるか…。
福永ジョッキーは「いつもの伸びがなかった」と肩を落としました。ただ、管理する友道調教師が「馬場適性の差かな」と話した通り、この日は瞬発力を武器にするディープインパクト産駒が苦手なやや重。ということは〝競馬あるある〟からすると、ダービーでの巻き返しも期待できます。ワールドエースのところで書いた通り、次は馬場がキレイで切れ味勝負になる東京競馬場なのです。しかも、この当時、ワグネリアンに関して「エンジンがかかるのに時間がかかる」という話が福永騎手や陣営から出ており、そういう意味でも舞台替わりは好材料。追い切りも上々だったため、ダービーでは、本紙予想陣からこれぐらい期待されました。
一頓挫あって弥生賞からのぶっつけになったダノンプレミアム、3勝3勝で毎日杯を制して急浮上してきたブラストワンピースと同程度の印が集まっていますから、完全に有力馬です。皆さん、この印を見て、単勝オッズはどれくらいだったと思いますか? 2頭には及ばないとしても…と考えると、想像するのは6~8倍ぐらいでしょうか。では、実際は何倍だったか。
12・5倍――
はい、驚くほど売れませんでした。皐月賞で1番人気だった素質馬です。条件も好転しています。なのに人気は上から5番目…まず、挙げられる理由は枠順です。
8枠17番――
今もそうですが、ダービーの8枠はかなりの不利。この2018年当時も、さかんにそのデータがメディアをにぎわせていました。馬場レベルが良くなった過去20年のダービー成績を集計すると…。
・勝ち馬20頭のうち14頭は1~3枠で内枠断然有利
・7枠と8枠は1番人気じゃない限り連対例はゼロ
というわけで、パソコンなどを使ってデータ予想を行ったら、ワグネリアンは真っ先に切られる馬。また、皐月賞で掲示板に乗っていなかったのもデータ的にはマイナスでした。だからこそ売れなかったのですが、今回はもう一つの見方があったこと、私が通っていた競馬場で、ウインズで、競馬ファンが集まる酒場で、こんな声が上がっていたことをお伝えしようと思います。
「福永か…」
「祐一じゃ…」
はい、長年競馬を見てきたファンの中に「福永祐一だからワグネリアンは推しづらい」という人がいたのです。
2度の全国リーディング
前年まで8年連続で年間100勝超
1年前には武豊に次ぐスピードで通算2000勝
そんなトップジョッキーを〝買えない理由〟にするなんて意味が分からないかもしれませんが、正直、あのときのワグネリアンの売れなさは枠順だけでは説明できませんから、似たような人がいたと考えられます。では、そんな人たちの思考は具体的にどんなものだったのか。当時、競馬場で、ウインズで、競馬ファンの集まる酒場で聞かれたのは、こんな意見です。
「福永祐一は優等生」
「ソツがない」
何が悪いんだと思いますよね。でも、彼らはこう言うのです。
「常に平均点以上の乗り方だよね」
「100点の騎乗もある」
「でも、120点はない」
「想像を超える乗り方はしない」
だからそれの何が悪いんだって話なんですが、続きはこうです。
「思い切ったことをしないとダービーは勝てないんじゃないか?」
「奇策でもないと、外枠不利のデータは跳ね返せないだろ?」
いやいや、何か考えてるかもしれないじゃないか!
「ほう、じゃ、考えてるとして、それをやると思うか?」
「イチかバチかというレースをすると思うか?」
「ワールドエースの時にそれをしたか?」
彼らはこうも言いました。
「誰もが腕は認めているんだよ」
「デビューしたころはお坊ちゃんだったけど…」
「周りが過保護にも見えたけど…」
「本人が努力しなければ今の位置にはいない」
「相当頑張ったんだと思う」
「秀才だよな」
「でも、天才じゃない」
「感覚やセンスで奇策を打つタイプじゃない」
「非常識な乗り方はしないんだよ」
「そうでもしなきゃ勝てない枠なんだから」
「今回も勝ちきるまでは難しいと思う」
私はそのとき、皐月賞前に自分が勤める新聞に載った福永ジョッキーのインタビューを思い出しました。こんな話をしていたのです。
天才ではないのを認めていた。
天才ではないから技術や戦術でその差を埋めていた。
自分がやれるパフォーマンスを最大限に
計算して
努力して
準備して…
福永ジョッキーはいつからか、こういう話をメディアでするようになっていました。自分のことを正直に、考えていることをしっかり伝えるのがトップジョッキーの役目だと思っていたのでしょうが、ファンはそれと、長年見てきた福永ジョッキーの乗り方を照らし合わせ、「そうだよな」と納得しました。そして、先ほどの私の知り合いたちのような考え方になっていきました。
「準備をしているのはよくわかる」
「本当に頼りになる」
「ファンの期待した通りの乗り方をしてくれる」
「でも…」
「いや、だから、常識は超えてこない」
「だから、常識的に厳しい状況は跳ね返せない」
「だから、ワグネリアンは買えない」
おかしいとは思いつつも納得してしまう理屈に私の心は揺れました。揺れたまま、迷ったまま、競馬場に向かいました。一緒に行ったのは競馬好きが集まる酒場で出会った後輩のM君。彼は福永ジョッキーと同じ年齢です。真面目なところも似ています。でも、私は知っていました。彼が絶対にワグネリアンを買わないことを。
「僕は凡人です。山崎さんから見ても分かるように、ごくごく普通の人間です。普通の人間が普通のことをするジョッキーを応援してどうするんですか? 競馬に求めるのは別でしょう」
M君は秀才タイプで、自分と似ている福永ジョッキーを昔は応援していたそうです。でも、年を取るにつれ、避けるようになった。いつからか、自分が普通であるがゆえに、自分が想像できないことをしてくれる馬、してくれるジョッキーを応援するようになった。常識が通用しなかったオルフェーヴル、奇想天外な乗り方をする田原成貴ジョッキーや横山典弘ジョッキー…。
「あの人たちぐらいのことをしないと今回も厳しいでしょうね」
「そういえば、東スポさんに今週火曜に載ってましたね、ユーイチのコメントが。あれができればいいんでしょうけど、できませんよ、この枠じゃ。常識的に考えて無理です」
それはこんなコメントでした。
これは「内でじっとしていたい」という意味です。でも、最終的に決まった枠順はそれが非常に難しい8枠17番…。
「山崎さんも分かってるでしょ? 常識的に考えて17番から内に入れるのは簡単じゃない。というより、そもそも後方からしかいけない馬ですから、枠なりに出たらやっぱり位置取りは後ろですよ。そこから内に入れたとしても、前にはズラリと馬がいます。直線で内をつくのも馬群をさばくのも簡単じゃないでしょうし、なんなら外を回すしかなくなる。でも、外をグルッと回っても勝てる馬じゃないんでしょ? 無理ですよ、常識的に。前が止まらない高速馬場ですし」
でも、私は、福永ジョッキーだってそれぐらい分かってるんじゃないかと思いました。「何か策を考えるんじゃないか?」と言うと、M君はあきれ顔でこう答えました。
「そうですねぇ、スタートを決めて先行馬の直後で内に潜り込む作戦とかもありますけどど、やっぱり17番は厳しいなあ。外枠ですから、そもそも先行するだけで脚を使う。距離的なロスもあるし、引っ掛かる怖さもあるし、常識的に考えてリスクが高すぎますよ。思い切った乗り方をしないユーイチがそのリスクを取るとは思えない。ワールドエースの時もそうでしたから」
なるほど。
「そこまでリスクを背負って勝負はかけないと思うけどなぁ…」
最後の語尾が少し寂しそうだったのを、私は数時間後に思い出すのですが、そのときは「やっぱり厳しいか」と、ほとんど論破されていました。そして、普段とは違う、どこかお祭りめいた競馬場で、レースまでに何度確認してもまったく人気が上がってこないワグネリアンの単勝オッズを見て、「みんなもそう思ってるんだな」と感じた私は、福永ジョッキー以外の馬券を買い、レースを待ちました。
ファンファーレが鳴ります。
「平成最後のダービーですね」
M君がつぶやきました。
私は初めて気づきました。
そうか
最後なのか
平成のダービーも終わりなのか…
「平成10年でした」
え? 何が?
「ユーイチがキングヘイローで逃げちゃった年が、です」
「僕が就職活動で四苦八苦していた年です」
そう続けたM君。私は彼が酒の席で福永ジョッキーについてこんなふうに話していたのを思い出しました。
「お父さんのおかげでみんなに助けてもらって順調なデビューを飾ったときは『恵まれた環境でいいよな』って思いましたよ。こっちは就職氷河期で前途多難なのに」
「だから、ユーイチがキングヘイローで逃げちゃったときは、『そううまくいってたまるか』と思いました。でも翌年、ちょうど僕が、何とか拾ってもらった会社に入って、『さあ、頑張るぞ』ってときにGⅠを勝ったんですよ。なんだか他人事に思えなくて、『俺も負けてられない!』と気合入りましたよね」
その後、順調に勝ち星を重ねていった福永ジョッキー同様、M君も仕事で結果を出すようになる。同期の中でも順調だった。
「勝手に同級生の同志だと思ってました。ユーイチは競馬界で、俺は自分の仕事でトップを取る。それぐらいの気持ちだった。だからスーパースターになってほしかった。だって僕らの同級生って、いないんですもん、スーパースター。少し上にイチローと松井秀喜がいて、少し下に松坂大輔がいるという完全に狭間なんですよ(苦笑)。まあ、でも、これに関しては仕方ないかなとも思いました。でも…」
でも?
「リーディングを取ったんだからスーパーじゃなくてもいいからスターっぽくなってほしかったのに、その感じがしなかったんです。確か35歳ぐらいだったと思いますが、既にソツのない、優等生的な乗り方だった。ガンガンGⅠを勝つわけでもないし、華やかでもなくて、それが何ていうか、秀才さを際立たせちゃって…それだけならいいんですが、天才にはかなわない感じが、見ていて苦しかったんですよね」
スター・武豊のキズナに差されたダービー。完璧に乗ったマイルチャンピオンシップで、地方出身の天才肌・岩田康誠のイチかバチかのイン突きで敗れたのもこの頃です。
「僕も理詰めで仕事をするタイプなんですけど、同じころ、天才タイプや、イチかバチかで勝負をかけてくる人に負けるようになっていたんです。だからといって、自分にそれができるかというと、できない。そういうのが分かってくるのが30代半ばなんでしょうが、だから、同じように理詰めでしっかり答えを出しているのにここ一番で天才に負けることがあるユーイチを見ていられなかったんですよね…」
同じように年を取っていく。同じように世間を知り、同じようにオジサンになり、同じように自分が、現実が見えてくる。同級生。同世代。才能。スター性…。そういえばM君はこのダービーの枠順が出たとき、「ほらね」という顔でこう漏らしたような…
「スターなら内枠を引いてますよ…」
ガチャン!
ゲートが切られる音によって記憶の世界から現実に戻ってきた私の前で、皐月賞馬のエポカドーロが果敢に先頭を奪いました。内からはダノンプレミアム。データ的にも絶好の1枠1番に入り、単勝2・1倍に支持されていた1番人気馬が好スタートを切り、1コーナーに入りながら3番手につけるのを確認し、誰もがその後ろに目を移します。自分が応援している馬、買った馬を探そうと…その時でした。
「ユーイチ?」
隣のM君が声を上げました。なんとワグネリアンが前にいっています。福永騎手が明らかに意図的に馬を促していたのです。
「ムチャだ…」
1コーナーを曲がりながらさらに前へ。明らかにポジションを取ろうとしています。狙うは逃げ馬、それに続く2番手、内のダノンのその後ろ。でも、その4番手の絶好位を取ろうと、内から先行してきている馬も譲りません。激しい位置取り争い。ワグネリアンがムキになっています。
「まずい…」
もともと気性に危うさを持っている馬です。引っかかりそうになっている。しかも、2コーナーにかけてカーブを回っているうちに、4番手は内の馬に取られてしまいました。そりゃそうです。同じスピードで同じ場所を取ろうとしたら外が不利に決まっています。
「ダメだ…」
5~6番手の外
内に入れることもできず
距離をロスしながら
引っ掛かり気味
そんなワグネリアンを確認した私はさっさと自分の買った馬を探しました。隣のM君、ブツブツ言っているところを見ると、どうやら福永ジョッキーの馬券を買っていたのかもしれませんが、この後、全く声が出なくなりました。競馬を知っている人間が見たら、それぐらいの状況…
考えられる最悪な状況
常識的に考えて最悪な状況
何度も何度も見てきました。内がいい馬場で、ムキになりながら外々を回った馬が直線を向いて下がっていくのを。頑張ったとしてもゴール前で力尽きるのを。だから信じられなかった。4コーナーでも4~5番手の外を回ったワグネリアンが直線を向いても前を追っていたことが。残り200で、そろそろ力尽きるはずなのに、まだ前を追えていたことが。
「もしかして…」
その瞬間、厳しい現実
残り100
ロスなく最短距離を逃げていたエポカドーロがワグネリアンを突き放します。
「そりゃそうだよ…」
「やっぱり…」
誰もが思いました。
「常識的に考えたらキツイ」
だからあの後、声が出たんだと思います。
常識的に厳しい状況で
常識的には伸びないはずの馬が
一歩ずつ
一歩ずつ
差を詰めていく
その姿を見ながら気付いたんです。
その鞍上に気付いたから出たんです。
常識的に乗るジョッキーが
常識的に無理な状況を
リスクを背負ってぶち破ろうとしていることに気付いたから声が出ました。
「ユーイチ!」
「差せ!」
努力の人が
努力じゃ超えられないように見えた壁
常識という壁をぶち破るかもしれない!
周りの人も気付きました。
「ユーイチだ」
「ユーイチだ…」
「ユーイチじゃん!」
ワグネリアンを買ってないのに
福永ジョッキーのファンでもないのに
たくさんの人が急に叫びはじめたあの数秒を私は忘れません。
「ユーイチ!」
「ユーイチ!」
「差せ―――!!!!」
ゴール板を通過した馬が1コーナーから2コーナーに向かって走り去っていく中で、ファンは口々に確認し合いました。
「ユーイチだ」
「ユーイチだ」
「ユーイチだ!」
見りゃわかるんです。場内に流れる実況だってそう言っていました。でも、確認したかった。クラシック候補だと言われた馬が勝ったのに、大穴でもなかったのに、それでも確認したかったのは、やっぱりどこかで「勝つまでは厳しいか」と思っていたからでしょう。そして、確認作業が終わった人々が、開けていた口を閉じ、状況を咀嚼しはじめます。大レースにはそれだけの時間がある。勝者が、ゆっくりと時間をかけてスタンド前に戻ってくるまで、たっぷり時間があるから、しっかりと飲み込むことができました。
天才ジョッキーの息子
計り知れないプレッシャー
血の宿命を乗り越え
周囲の後押しにあぐらをかくことなく
自らを秀才だと認め
努力を重ね
トップに立った
でも、まだあぐらはかかなかった
トップに立った後も努力を続けた秀才に
ダービージョッキーの称号――
「おめでとう」
「おめでとう」
「おめでとう!」
ワグネリアンとともに福永ジョッキーが戻ってきたとき、競馬場は拍手に包まれました。誰もが無意識に手を叩いていました。少なからずアンチだっていたはずなのに、誰もが秀才の努力を知っていたのです。認めていたのです。
福永ジョッキーがファンに頭を下げます。
拍手、万雷――
私はあれほど「おめでとう」が飛び交ったダービーを経験したことがありません。
それほど「おめでとう」を言いたくなる騎手
祝福したくなるジョッキー
2018年5月27日
福永祐一によって
競馬の祭典は
祝祭になりました。
スターのバトン
拍手の中で、M君は泣いていました。結局、応援してたんじゃないか。嬉し泣きしてるじゃないか。そう思って「馬券も取ったでしょ」と言うと、彼は首を振りながら絞り出しました。
「悔しいです…」
「あんなに頑張っていたのに」
「努力を知っていたのに」
「最後の最後で信じられなかった」
「買えなかった」
「僕はユーイチを買えませんでした…」
祝祭の中で肩を落としたM君はあれ以降、仕事ぶりが変わったといいます。頑張るだけではなく、今まで以上に緻密な戦略を立て、時に勝負をかけ、ライバル企業に勝利することも出てきたそうです。
「あの後、リプレーを見て鳥肌が立ちましたよ。思い切って前にいったのは少なからずイチかバチかだったのかもしれませんが、よくユーイチがインタビューとかで言うようにレースのパターンを何十通り、何百通りと考えて、あくまで理詰めで導き出した結論だったんだと思うんです。普通は枠順が出た時点であきらめるか、腹をくくる。でも、たぶんユーイチは誰よりも考えたんだと思う。しかも、内に入れられなかった向こう正面では、しっかり馬の後ろにつけて折り合いをつけていたし、勝負所では内にいたブラストワンピースにもフタをしていた。勝つためにやれることを全てやっていたんです。だから想いが届いた。競馬の神様がほほ笑んだんですよね。じゃ、一方で、俺はユーイチぐらいの準備をして、ユーイチぐらい考えて、ユーイチぐらいの想いで仕事をしているのか、と…」
スッキリした表情。もともと努力タイプの秀才が、あのダービーに背中を押してもらったのでしょうが、彼を見ていると、あの日のあふれんばかりの「おめでとう」の意味が見えてきます。私も含め、世の中のほとんどが天才じゃないからこそ、努力しても天才に勝てないことがあるのを知っているからこそ、報われないことが多いのを分かっているからこそ、秀才による努力に拍手した。それは単に「頑張ったね」じゃなかった。自分自身にこう言いながらの拍手だったように思います。
「俺だってできるのかな」
天才ジョッキーが奇策で勝ってもあそこまでの盛り上がりは起こらなかった。改めて、秀才・福永祐一だからこその祝祭だった――な~んて話を先日、M君にしたら笑っていました。
「いや、本当は天才かもしれませんよ。いや、天才まではいかないかもしれませんが、ユーイチには天賦の才があると思うんです」
え? どんな?
「諦めずに努力を続けられるという天賦の才です。あと…」
あと?
「僕もスターになり切れない同級生の秀才に背中を押してもらったと勝手に思いましたけど、あの時はだまされました(笑い)。ユーイチは僕と同じじゃなかったんです。持ってるものが違います。だって、凡人が、単なる秀才が、あと2回もダービーを勝ちますか?」
そう、福永ジョッキーは2年後、無敗の3冠馬となるコントレイルでダービーを再び勝ち…
その翌年、シャフリヤールでまた勝つのです。
M君は言いました。
「カッコよすぎますよ。だってあれ、エピファネイアの時と同じじゃないですか」
どういうこと?
「立場は逆ですけど、キズナの武豊がエピファネイアのユーイチを差したのと同じですよ。まさにスターじゃなきゃできないこと。あれは時代を担うスターへのメッセージ…」
まだ早い――