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電話はオワコン?気持ちを伝えるために必要なこと

デパートのアナウンスみたいなテレアポ

休みの日の夕方、せっせと晩ごはんを作っていると、知らない電話番号から着信。怪しいと思ってしばらく無言で受けると相手方も黙っている。謎の沈黙に3秒で耐えられなくなって「もしもし」と声を発すると、「あ!」と相手の男が素で驚いたのち、やけに演技がかった口調でこんなことを言ってきた。

「わたしは、ソフトバンクの者なのですが、現在お使いいただいている光回線について、お乗り換えのご案内を差し上げるため…」

ああ、久しぶりに光回線のセールス電話かと合点したが、ガチャ切りはしなかった。相手の若い男性が、デパートのアナウンスかと思うほど抑揚をつけて喋ったからだ。演劇だとしても大げさだと思うレベル。テキストにするのは難しいが、「わたしは(1秒の間)ソフトバンクの(↑語尾上がる+1秒の間)者なのですが(↓語尾下がって伸びる+1秒の前)」といった具合に続く喋りを聞いていて、私は「この人、原稿を読みながら話しているな」と確信した。

光回線サービスの電話勧誘トラブルについては総務省が注意啓発を促しているし、そもそも乗り換えに興味のない私にとっては無用の電話である。それでも相手が一通りの〝ご案内〟を終えるまで、とりあえずの「はぁ」と「へぇ」と「そうですか」を繰り返しながら聞いてしまった。

総務省HPから引用

今度は私のターンである。
「最初にソフトバンクの人間だと言っていたのに、KDDIの光回線に乗り換えを薦めてくるのは、すごくおかしいと思うのですが、どなたさまですか?」
「大変失礼しました。わたくし、株式会社●●の●●と申します。お客様がお住まいのマンションではより高速なインターネットをお楽しみいただける…」

名前は明かしたが、まだ演技は続いている。
「●●さんですね。私は光回線の乗り換えに興味がないので、今後こういった電話は必要ありません。それから、ソフトバンクの人じゃないのに、『ソフトバンクの者ですが…』って騙るのやめたほうがいいですよ。もしもマニュアルにそう書いてあるなら、まぁまぁヤバい会社だと思うので、お仕事だとしても少し考えてみたほうがいいかと思います」

「え…、マジっすか…」と声色が変わった。電話口から困惑が伝わってくる。私は誰か知らない相手が、どこかのコールセンターで頭を抱えている姿を想像した。きっと営業成績のグラフとか意識高い系のスローガンが貼られているのだろう。
「いやー、なんか、そうっすよねー。自分、この仕事向いてないと思ってたんですよ」
会話を始めて3分くらい、友達のような距離感で話し始めたので、自然と私もくだけた感じで応じた。

「めっちゃ、原稿読んでる感じでしたよ」
「やっぱり。そうですよねー、見ながら話してますもん。バレてました?」
「はい、いろいろ大変なんですね」
「そうっすねー」
「それじゃ、そろそろ失礼します」
「あ、はい、ありがとうございました。失礼しまーす」

若い彼はテレアポの仕事を辞めるのだろうか。それとも場数を踏み続けていつかテレアポの達人になるのだろうか。そんなことを考えながら、私はコンロの火を止め、みそを溶きいれた。

「電話恐怖症」の人が増加中

近年、「電話恐怖症」の人が増えているそうで、『電話恐怖症』(朝日新書)の著者、大野萌子氏はこう記している。

「電話がこわい」という傾向は年々強くなっています。最近では、電話対応をしている最中に泣き出してしまう例も出始め、電話恐怖症は若者の間で定着しつつあるのではないかと感じます。
 もうひとつ、2015年ごろから顕著になってきた傾向があります。
 それは、自分の意思を伝えられない人が増えてきたということです。

大野萌子『電話恐怖症』(2024年、朝日新書、28p)

1984年生まれの私が育った家にはかなり長い間、黒電話があった。ダイヤルを回す固定電話だ。当然ナンバーディスプレイもないので、電話が鳴って受話器を取ったら「はい、森中です。どちらさまですか?」と相手を確認するよう教えられた。ケータイを持ち始めたのは高校生になってから。中学生までは友達や好きな子の家の電話にかけることが普通だった。無論、本人が出る確率はかなり低い。顔の知っているお母さんなら「●●くんの同級生の森中です。●●くん、いらっしゃいますか?」と気軽に話せたものだが、好きな女の子のお父さんが出たときの緊張感は忘れられない。本当はもっと喋りたいことがあったとしても、固定電話だと家族の目があるから長電話は許されなかった。相手が自分の部屋で、子機を使っていても、「ちょっといつまで電話してんの!」とお母さんの怒鳴り声が受話器越しに聞こえたのだった。

こうした経験がない世代が電話嫌いになるのは無理もないだろう。社会人になって、かかってくる電話にはどうしたって青春時代ほどの甘さがない。新聞記者となれば、遠方でどうしても直接取材ができない場合など電話取材をお願いするケースも出てくるし、しょっちゅう電話をしている。「電話をしてくる人とは仕事をするな!」というホリエモンの持論が話題を集めたこともあった(堀江貴文氏は2023年から格安SIM事業「HORIE MOBILE」を展開している)。相手のタイミングでかかってきた電話に時間を奪われるのは損失であるという考えは一理あると思う。

ホリエモバイル記者会見(2023年3月、カメラ=前田利宏)

では、電話ならではのメリットとは何か?大野氏はこう説明している。

 まず何といっても細かいニュアンスが伝わること。たとえば謝罪の言葉を述べるにしても、文字で「もうしわけありませんでした」とポンと送られてくるより、電話で「ほんとうに、もうしわけございませんでした!」「実はこれこれの事情でして」と直接説明したほうが、気持ちが伝わります。
 声の表情にのせてニュアンスや詳細が伝えられるので、文字だけに比べてはるかに情報量が多く、より正確に相手に思いが届くからです。
 数分間にしゃべる量は文字に直すと1000文字に達することがあります。もし同じ量のメールを書いたとしてもすべては読んでもらえないでしょう。チャットでも用件は通じるからいいという意見に対しては、文字と会話では圧倒的な情報量の差がある、ともうし上げておきましょう。

大野萌子『電話恐怖症』(2024年、朝日新書、66p)

まったくもって褒められた話ではないが、遅刻してしまったときなどは電話で息を切らせながら謝ったほうが伝わる(と思う)。だが、演技ではいけない。本当に走りながら電話しないと、その場で頭を下げないと、結局のところ伝えたい気持ちが相手はそう簡単に伝わらないものだ。「♪壊れるほど愛しても3分の1も伝わらない」というSIAM SHADEの名曲に学ぶべき部分である。

会話はよくキャッチボールにたとえられる。冒頭のテレアポエピソードのように、自分の意思を伝えるのが苦手な若者はきっと自分がどんな球種を投げているかに無自覚なだけだろう。大野氏も「電話恐怖症の人は根本的にコミュニケーションの問題を抱えていることがほとんどです」と指摘している。でも、必要以上に心配になる必要はないと思う。恋愛も電話も経験を積めばきっとどうにかなるはず。そう思っているけど、自分が言っても説得力が弱い気がするので、カポーティのステキな言葉で締めくくりたい。(東スポnote編集長・森中航)

 「みんなそのうち、きっとよくなりますよ」

トルーマン・カポーティ『遠い声 遠い部屋』(新潮文庫)


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