「ウマ娘」のトップウマドル!スマートファルコンを「東スポ」で振り返る
先日、「ウマ娘」の新キャラクターにホッコータルマエとワンダーアキュートが追加されました。ダート戦線がアツくなっていく展開が予想されますので、今回はこの馬をピックアップしてみましょう。「ウマ娘」では地道なアイドル活動によってファンを増やしつつ、ダートを芝以上に盛り上げるようとするスマートファルコンです。ウマドルとしての人気もハンパではなく、今年4月、誕生日に合わせて行われたイベントでは、参加した全トレーナーで2兆人のファン獲得を目指したところ、集まったのは3兆3000億人!〝ファル子推し〟の多さを証明する形になったのですが、実際のスマートファルコンは、最初はそれほど推されない存在でもありました。全国の競馬場でコツコツ走った名馬が、一部で〝砂のサイレンススズカ〟と呼ばれるまでになった道のりを「東スポ」で振り返ります。ワンダーアキュートとの息詰まる一戦もありますよ。(文化部資料室・山崎正義)
悪名
「ドサ回り」「地方荒らし」という言葉は使いたくないのですが、実際、競馬好きの間でそのような表現が使われていたのは確かです。そのぐらい、ファル子は日本全国を回りました。当noteで何度かお話ししている通り、ダートのトップホースは地方交流重賞を転戦するのが常識。若くしてダート適性を見出されたファル子も、例に漏れず、3歳の7月から本格的にダート路線に矛先を向けました。そこから約2年の成績を本紙の馬柱で並べていきましょう。
馬柱の左上にあるのが競馬場。改めて順に並べると…
大井(東京)
小倉(福岡)
金沢(石川)
園田(兵庫)
浦和(埼玉)
園田(兵庫)
佐賀(佐賀)
名古屋(愛知)
名古屋(愛知)
浦和(埼玉)
盛岡(岩手)
門別(北海道)
浦和(埼玉)
名古屋(愛知)
浦和(埼玉)
2つ目の小倉だけ中央の競馬馬で残りはすべて地方競馬場でのレース。北は北海道から南は佐賀まで転戦しています。で、成績は…
1着11回、2着3回、7着1回
交流重賞を10勝もしているので、めちゃくちゃな偉業なんですが、当時はそれほどリスペクトされていませんでした。なぜなら、すべてGⅡとGⅢだったから。それらを単勝1倍台で次々と勝っていくので、こんな声が上がっていたんです。
「地方の弱いメンバーばかり狙ってる」
「ずるい!」
ルールに反しているわけじゃないのですから何も問題はないのですが、こういう声があったからこそ「ドサ回り」「地方荒らし」という言葉が使われてしまったのでしょう。4歳で走った7戦にGⅠが含まれていなかったのも大きな理由で、「強い相手から逃げている」とも言われました。しかし、よくよく見てみると、そんなことはありません。
まず、3歳の夏にGⅠジャパンカップダートで2着し、秋にはJBCスプリントというGⅠでも2着。いずも好走ですから、この3歳11月以降、ガンガンGⅠを狙っていってもいいのかもしれませんが、前者が2000メートルで、後者は1400メートル。どちらでも勝ち切るほどではなく、適性がハッキリしません。しかも、ダート路線は賞金をたくさん持っている馬が多いのでGⅠ出走のハードルが高く、その後に控えるジャパンカップダート、年末の東京大賞典への出走は非現実的。「GⅡやGⅢで適性を見つつ、力をつけていこう」というのは誰もが考えることで、自然なローテーションです。何より、これは後に武豊ジョッキーも話しているのですが、ファル子は簡単な馬ではありませんでした。
「めちゃくちゃ引っかかる」
「乗りづらい」
だからこそ、丁寧にレースを教えていかなければならなかったんですね。で、JBCスプリント後、4歳夏までを教育期間にあてたことで、徐々にファル子はレースを覚えていきます。その間、8戦7勝。で、その後にGⅠにいかなかったから、前述のような声が上がったのですが、それはどうやら違います。この8戦7勝の後、ファル子はひと息入れて、秋にGⅠを視野に入れました。しかし、その前哨戦として選んだ浦和の浦和記念(GⅡ)でダートで初めての大敗(勝ち馬から2秒9も離された7着)をしてしまうのです。おそらくそこを快勝して年末の東京大賞典に向かおうとしていたはずなのですが、思わぬ負けで立て直さざるを得なくなり、半年ほど休むことになります。立て直さざるを得ないぐらいのことだったことが、あまり知られていませんので、5歳の5月に復帰した時の馬柱横にある陣営のコメントを載せておきましょう。
はい、両方の蹄鉄が外れたうえに、後肢を痛めていたんですね。そりゃ、GⅠにも行けませんし、休み明けも慎重にならざるを得ません。だからこそGⅢで復帰し、ここを勝った後も、もうひとつGⅢを使います。「セコい」という声も上がりましたが、陣営としては「本当に大丈夫だよな」というわけです。それが先ほど挙げた15戦のラスト、浦和のさきたま杯。で、ここを快勝したファル子、ケガから完全に復調したファル子はついにGⅠに駒を進めます。
「難しい気性が悪化しないように」
「成長を促しつつ」
「ケガをさせないよう…」
はい、別段おかしいことはしていません。陣営が慎重派だっただけで、しっかりGⅠには向かったのですから叩かれるほどではないのです。野球でも甲子園常連校で競わせるより、少し下の学校で力をつけた方がいいタイプの選手がいますよね?「ウマ娘」のファル子はアイドルですが、その業界だってそう。いきなりトップグループに入るのではなく、地下アイドルのような立場から、草の根活動でファンを増やし、徐々に認められていく子もいます。ファル子はGⅢやGⅡでは、しっかり結果を残していましたから、「地方のローカル局ではレギュラー番組を持っているぐらい人気の子」だったかもしれません。そんな子が、ついに全国放送、地上波の人気番組に出る!というのが、2010年6月のGⅠ帝王賞でした。
どこまで通用するか…という3番人気。陣営もこう言っていました。
レースでは3番手を追走します。しかし、道中ムキにもなってしまったファル子は直線でズルズル下がっていきました。勝ち馬から1秒4離された6着は、「踊る!さんま御殿!!」に初登場した地方出身アイドルがトークで空回りしてしまったときのよう。
「力はつけてきたはずなのに…」
「GⅠ級じゃないのか」
しかも、夏にひと休みし、秋初戦、再チャレンジに向けてGⅡの日本テレビ盃(船橋)に出てきたのですが、ここでも3番手から伸びきれません。GⅠでもないのに完敗の3着。心ないファンの声が飛びました。
「弱いメンバーとばかりやってきたからだよ」
「これじゃまたドサ回りか?」
主戦・岩田康誠ジョッキーの落馬負傷で乗り替わった武豊ジョッキーも、首をかしげていました。しかし、1回乗っただけで天才は気付きました。
「この子、ひょっとしたら…」
さあ、ファル子劇場の開演です。
目覚めたアイドル
次走、ファル子はGⅠに再チャレンジします。船橋で行われたJBCクラシック(1800メートル)です。
1番人気はフリオーソという地方のエース。単勝は1・7倍で、中央馬のシルクメビウスが2・9倍、オーロマイスターが6・3倍で続きました。印がかなり薄くなっているファル子はその後の4番目で、オッズは16・1倍ですから、もはや上位人気と呼べるポジションではありません。評価としては「よくて2~3着かな」。外枠なのも減点材料でした。そもそも小回りの地方競馬場での外枠は先行するのにはロスがあり、かといってファル子はガンガンいかせると引っかかってしまいます。ですから、ゲートが開き、軽く外にヨレるような、あまりいいスタートではなかったファル子を武豊ジョッキーが力を込めて前へ前へ促しているのは少し意外に映りました。
「ずいぶんガンガンいくな」
「大丈夫なのか?」
「こういう馬だっけ?」
内に斜めに切れ込みながら先頭に立ったファル子に、見ている人たちは「強引すぎるだろう」と思ったはずです。しかも、武ジョッキーはペースを落とさず、ハイペース気味に飛ばしていきました。
「最近、結果が出てないから思い切った作戦に出たんだな」
「でも、そんなに飛ばしたら最後まで持たないだろ」
ファンだけではなく、他のジョッキーもそう思ったに違いありません。でも、実はこの作戦、武豊ジョッキーの十八番でした。
「控えてムキになって体力を消耗するぐらいなら、気分よく行かせてみよう」
「スピードを最大限に活かす乗り方をしてみよう」
ドラクエの作戦で言えば「ガンガンいこうぜ」ですが、強引なように見えて理にかなっているこの作戦は、スピードを活かし切れず、ストレスがたまっていた馬にとって、今までない快適な状況を作り出します。
「あれ?」
「こんなにガンガンいっていいの?」
まるで魔法をかけられたよう。
「なんかいいぞ」
「気持ちイイ!」
スイスイ
スイスイ
軽やかに
気が付けば、自分のポテンシャルを最大限に発揮しているという、天才ならではの逃げの魔法。当シリーズで言えばサイレンススズカもコパノリッキーもそうだったように、ファル子にもこの〝武豊式ガンガンいこうぜ作戦〟がぴったりハマりました。そして、気分よく、自らのスピードを120%発揮したサラブレッドというのは、誰もが止まると思うようなハイペースでも止まりません。
「え?」
「え?」
「ええ~~~!」
先頭のままゴールを駆け抜けたとき、2着のフリオーソは7馬身後ろにいました。地方最強馬が7馬身置き去りにされたのです。
「逃げたらこんなに…」
「こんなに強いの?」
「別馬じゃん!」
本当に別馬のようでした。ウソみたいでした。だから、こう感じたファンもいました。
「フロックなんじゃ…」
「マグレなんじゃ…」
はい、それぐらい急激な変身、突然の覚醒でしたから陣営も戸惑ったはずです。かみ合わなかった歯車が急にかみ合った。もともと才能は買っていたし、だからこそじっくり成長を促し、我慢も教えてきたのですが、まさかここまで急に才能が開花するとは思っていなかったでしょう。
「本格化だ」
「一気にGⅠ連勝だ」
「大ブレークだ!」
噴出する期待の嵐。芸能界だったら一気に売り出すタイミングです。悪い輩が寄ってくる時期です(苦笑)。しかし、陣営はある意味、思い切った売り出し方をします。「ガンガンいこうぜ」で覚醒したファル子に「ガンガンいこうぜ」と言わなかったのです。
「落ち着こう」
「まずは地に足をつけよう」
当時のダート王道路線では、JBCの次は中央の阪神競馬場で行われるGⅠジャパンカップダート(現在チャンピオンズカップ)が普通。レース2週間前の登録馬発表にも、しっかりファル子の名前はありました。しかし、陣営は登録だけにとどめ、東に向かいます。
埼玉、浦和競馬場。
GⅠではなく、GⅡ
「なんで?」
「どうして?」
管理する小崎憲調教師にはしっかりとした狙いがありました。
「せっかく作ったいいリズムを崩したくない」
「この戦法を固めよう」
「しっかりマスターしよう」
もともと気性に難のある馬です。先行馬にキツイ展開になるのがミエミエのGⅠ、中でも特に激流必至がデフォルトのジャパンカップダートではリズムを崩され、戦法が確立するどころか、パニックになったりして、精神的な面で一からやり直しになる可能性があります。だからこそ相手が弱いGⅡの浦和記念を選択したのですが、ここが芝よりも注目度が低いダート路線、中央のレースではなく地方のレースのツライところ。ファル子陣営の意図は大々的にメディアで報じられず、勘違いして、疑問どころか怒りの声を上げるファンが出たのです。
「卑怯者」
「そこまでして賞金を稼ぎたいのか」
「地方荒らし、ここに極まれり」
そんな中、単勝1・1倍に支持されたファル子は、楽々と先手を奪い、2着に6馬身差をつけて楽勝します。
陣営の狙い通り、逃げ戦法を確立できた一方で、こんな声。
「つまんねーの」
「弱い相手に勝ってるだけじゃん」
おそらく耳に入ってきたであろう雑音。しかししかし、陣営はブレません。ファル子は激走の反動が出るタイプだったので、誰もが「さすがに次はここだろう」と思っていた1か月後の東京大賞典への出走さえ大前提としませんでした。むしろ、しっかり疲れを癒やし、翌年に備えようとしたのです。
「先は長い」
「じっくりいこう」
が! 生き物というのは不思議です。ファル子は疲れを見せるどころか、さらに調子を上げていくのです。
「走るのって楽しい!」
「みんなに勝つところを見せたい!」
はい、かみ合っていました。
心と体が
やっと、ついに、かみ合ってきていました。
「なら…」
「GO!だ」
年末の大一番、地方競馬版グランプリにエントリーしてきた小崎調教師は、レース前にこう話しました。
中央所属の大物ダート馬が不在だったこともあり、単勝は2・5倍の1番人気。2・8倍のフリオーソ、3・8倍のシルクメビウスとともに3強の一角に支持される一方で、小崎調教師はこんな本音も。
はい、そうなんです。圧勝したJBCはこの年1800メートルで、200メートルの延長がプラスに働くとは限りませんし、今度はノーマークで逃がしてもらえる保証もない。むしろ、完全にマークされる立場になっていました。芸能界でたとえると、JBCのときは、トーク番組のひな壇後列、はじっこ。気楽な立場で「すべってもいいや」ぐらいのエピソードをぶっこんだら、めちゃくちゃウケたようなものでしたが、今は前列の目立つ部分に座っています。もう一度、面白いことを言ったらレギュラーも夢ではないものの、逆に「すべるわけにはいかない」というプレッシャーがある状況です。ドラマで言えば月9や日曜劇場みたいな有名枠ではないものの、期待の若手として主役に抜擢されたようなもの。
「こいつ、本当に面白いのか」
「ここで数字(視聴率)を取れるのか」
ブレークできるかできないか、まさに勝負所。ましてや、その頃のファル子には前述のような勘違いを元にした辛辣な声がありました。
「JBCはマグレだったんじゃないのか?」
「浦和のGⅡにいったぐらいだから」
「まだまだ信用できないんじゃないか?」
疑うような目線も多い中で外枠から先頭に立つファル子に、内からフリオーソがぴったりついていきました。当然です。JBCでまんまと逃げ切られた相手を楽に逃がすわけにはいかない…当時はまだ地方に在籍していた戸崎圭太ジョッキーも、まさに地方の意地をかけてマークしていきました。それを見て誰もが気付きます。リトマス試験紙――これほどの判断材料はありません。
「強いのか」
「本物なのか」
3~4コーナーで果敢にペースを上げたファル子。フリオーソに2馬身の差をつけて直線を向きました。
「止まるか」
「止まらないか」
「ブレークか」
「メッキがはがれるか」
差は縮まりませんでした。
「あれだけマークされてたのに…」
「止まらないなんて…」
それでもまだ文句を言いたそうなファンを数字が黙らせます。表示されたタイムは…
2分00秒4
「おい…」
「速すぎる…」
「速すぎるだろ!」
その数字は、従来のコースレコードを1秒7も更新するものでした。そして、誰かがケータイで調べたのでしょう、こんな声を上げました。
「中央より速ぇ」
そう、中央競馬におけるダート2000メートルのレコード2分01秒0より速かったのです。つまり、
国内最速!
新記録!
誰もが地方競馬場の砂は深く、タイムが出づらいと知っていたので余計に驚きました。しかも、JRAレコードが不良馬場だったのに対し、この日の大井は良馬場。ダート競馬では、雨で濡れた馬場の方が走りやすく、速いタイムが出ますから、そういう意味でも驚愕の時計でした。
「すげぇ」
「本物だ」
「最強だ!!!」
ついに誰もが認めました。タイムはもちろん、当時の地方最強馬で、この2か月後、中央のダートGⅠフェブラリーステークスでも2着に入るフリオーソに完勝したのですから、ケチのつけようがありません。ファル子はついにブレークし、「ドサ回り」「地方荒らし」という言葉は次のように、正しく変換されました。
「地方で地道に努力して」
「全国を回りながら力をつけて」
「日本一になった」
中央馬が中央で強くなるのとはちょっと違う、新たなサクセスストーリー。しかし、新星を放っておくほど、芸能界、いや、競馬界は甘い世界ではありませんでした。ついに本格化したファル子の前に、翌年、中央のダート路線を引っ張ってきた大物が立ちふさがります。
VSダート王
2011年をダート界の主役として迎えたファル子が目指すのは、2月に行われる中央のダートGⅠ・フェブラリーステークスや、3月のドバイワールドカップです。しかし、スーパーレコードはダメージもスーパーでした。ガッツリ反動が出てしまったファル子は調整が進まず、その2戦に間に合いません。仕方なく、ダート路線の上半期の大一番、6月の帝王賞を目指し、5月のダイオライト記念(船橋、GⅡ)で復帰します。
単勝は1・0倍(お金をかけても増えません!)。一部では今までで最も長い距離となる2400メートルを心配する向きもありましたが、全く関係ありませんでした。
さあ、帝王賞。そこにはダート界の大物・エスポワールシチーが出走してきました。ファル子が地方のGⅢをコツコツ勝っていた09年に早々に頭角を現し、ジャパンカップダートをはじめ、GⅠを3勝。10年にも上半期にGⅠを2つ勝ち、両年のJRA最優秀ダートホースに輝いています。実はファル子とは同級生ですが、実績的には明らかに〝先輩〟。前年秋はアメリカ遠征を行っていたため、ここが初対決です。
米国遠征の大敗以降、なかなか調子が上がってこないエスポが前哨戦を取りこぼしていたため、印のようにファル子が優勢。しかし、逃げ戦法を確立したファル子にとってやっかいな相手とも言えました。エスポも時に逃げも駆使する「ガンガンいこうぜ」タイプだったのです。鞍上の佐藤哲三ジョッキーも強気で知られる名手だったため、逃げ争いになるんじゃ…という懸念があったんですね。
「どっちが逃げるんだ?」
「どっちが強いんだ」
「面白い勝負になりそう」
そんなファンは呆気にとられたに違いありません。
本格化したファル子の勢いとスピードに、エスポはついていけませんでした。体調がイマイチだったのもあるでしょう、その着差は…
9馬身!
「おいおい」
「ハンパじゃねえぞ」
「相手にならないじゃないか!」
秋になり、今度はもう一頭の大物とぶつかります。日本テレビ杯(GⅡ)を軽くひと叩き(楽勝)して迎えた秋の大一番・JBCクラシック。そこには前年のジャパンカップダート、さらにこの年のフェブラリーステークスを連勝し、ドバイワールドカップでも2着に入っていたトランセンドがエントリーしてきたのです。
まさに一騎打ちという印。エスポと違い、海外でのダメージが少なかったトランセンドは秋初戦のGⅠ南部杯を快勝しており、万全の状態で出走してきましたから、ファンは盛り上がりました。ファル子1・2倍、トランセンド2・4倍。聞いて驚いてください。何と3番人気の単勝オッズは29・2倍でした。
タイマン勝負
頂上対決
ダート最強馬決定戦
あのときは本当にワクワクしました。私が「仕事なんてやってられん」と早々と切り上げてナイター開催の大井に向かうと、他にも同じようなサラリーマンがたくさんいました(苦笑)。「ウマ娘」のファル子はダート競馬を盛り上げようと頑張るのですが、まさに史実通りで、ファル子によってダート競馬は明らかに盛り上がっていたのです。そして、みんながゲートが開くのを息をのんで見守りました。
「どっちが逃げるんだ」
「どっちが先手を取るんだ」
そう、帝王賞の時と同様、今回の相手・トランセンドも逃げ戦法を得意とする馬だったのです。しかも、鞍上の藤田伸二ジョッキーは、エスポの佐藤哲三騎手にも負けぬ劣らぬ超強気。
天才VS勝負師
ガチンコマッチ
ゴング!
真っ先に飛び出したのはファル子。隣のトランセンドは無理に競らず、完全マークの形を取りました。
「そうきたか」
「こりゃスマートファルコンも楽じゃないぞ」
そう、藤田ジョッキーは人気馬をマークし、ギャフンを言わせることでも知られていました。ぴったりついていきます。ファル子としては少しでもペースを落として体力を温存しておきたいところですが…
「ガンガンいってる」
「飛ばしてるぞ」
そう、天才はそんなことはしませんでした。肉を切らせて骨を断つ。挑まれた勝負を真正面から受け止めました。横綱相撲というのとはちょっと違います。
受けながらも攻める。
攻めないと勝てる相手じゃない。
だからこそのスピードMAX!
向こう正面に入ってもガンガン飛ばすファル子。2馬身後ろのトランセンド。軽快に脚を伸ばすその後ろでは3番人気馬が必死になって食らいついていますが、離されていきます。その他の馬はそのさらに10馬身後ろ。
もはや誰もついていけない。
2人だけの世界――
勝負所の3コーナー、ついにトランセンドが動きます。藤田ジョッキーが「おりゃーー!」とばかり手綱をしごき、前をいくファル子に襲い掛かったのです。
お前の好きなようにはさせん。
最強馬は俺だ。
勝負だ!
4コーナー。必死で並びかけようとするトランセンド。しかし、ファル子はさらにスピードを上げ、突き放すように直線を向きました。
「逃げ切りか!」
誰もがそう思ったのですが、トランセンド恐るべし。明らかにバテているのに、そして手ごたえは劣っているのに、藤田ジョッキーのムチにこたえた〝世界2位〟は、直線でファル子に食らいつきながら、必死で着差を詰めてきたのです。
「うわ…」
「あわわ…」
残り100。必死で逃げ込みを図るファル子に、トランセンドが一歩ずつ、近寄っていきます。
「残すか」
「差すか」
「どっちだ…」
「どっちだ!」
1馬身
残したのはファル子でした。
「すげぇ」
「すげぇ」
「すごすぎる」
最初から最後までガチンコで戦い抜いた2頭に思わず拍手を送っていたファンがたくさんいました。ゴールを過ぎて、1コーナーに向かいながら、武豊ジョッキーと藤田ジョッキーが馬上で握手をしたシーンが大画面に映ると大歓声。
「最高だ」
「ダートとか芝とか関係なく」
「競馬は最高だ!」
それを気付かせてくれたのがファル子だということをファンは既に疑っていませんでした。もう誰も「ドサ回り」「地方荒らし」なんて言いません。ファル子は正真正銘、ダートのトップスター、「ウマ娘」で言えばトップウマドルになったのです。そして、アイドルはエンターテナーであり、ファンを楽しませるのが使命だというのをファル子はよく分かっていたのでしょう。頂上対決を真正面から受け止め、多くの人々を魅了したこの馬は、年末に、違う意味で我々をドキドキさせてくれます。
昨年のように、出走するかどうか迷うような体ではありません。
完全本格化
ファル子、万全
トランセンドもエスポワールシチーもいない…
私はダートのGⅠであれほど1着馬が分かりやすかったレースを見たことがありません。「砂のサイレンスズカ」というファル子のニックネームは正直、それほど浸透していなかったというのが実感で(本紙でも一度もそのフレーズは使われていませんでした)、私もぶっちゃけピンとくるようなこないような…なんですが、この東京大賞典の状況は、スズカの天皇賞・秋と酷似していました。
「一番速い馬が逃げる」
「天才を背に逃げる」
「一番止まらない馬が一番前で競馬をする」
その状況で、対抗できそうな馬が見当たらないのです。スズカの天皇賞・秋の時と同じく、GⅠというトップカテゴリーのレースを、「誰が勝つか」ではなく「どう勝つか」にしてしまった…そういう意味で、ファル子は「砂のサイレンススズカ」だったと言っていいのでしょう。それでも、あのときのスズカの単勝オッズは1・2倍。このときのファル子の単勝オッズは…
1・0倍!
GⅠなのに!
これだけでさすがアイドル、さすがのエンタメ。しかも、このオッズで、ファル子はとんでもないものを見せてきます。もちろん、逃げました。逃げたんですが、最後の最後、すぐ後ろにいたワンダーアキュートという馬に詰め寄られるのです。
「え?」
「ウソだろ?」
「おい…」
「おい…」
そう、ゴール前、誰もが突っ込みました。
「おい!」
結局、ハナ差で勝ってるんだから、エンターテナーにもほどがあります(苦笑)。そして、ファル子は翌年早々、川崎記念というGⅠをぶっちぎり、もうひとつ、我々に楽しみを与えてくれます。
砂のトップアイドル、海を渡る――
砂から砂漠へ
ファル子の戦績は世界中の最強ダート馬が集まるドバイワールドカップに挑戦するのにふさわしいものでした。
22勝
重賞19勝(当時の日本記録)
9連勝中
そんな日本のエースが海を渡るのですから、レースの週の月曜日、本紙は終面(裏1面)を使って大々的に特集しています。
海外のブックメーカーでは2番人気に支持されていること、さらに〝ダート世界一決定戦〟と言いつつ、当時の馬場がダートではなくオールウェザーという全天候型の人工馬場であり、ファル子の適性が悪くなさそうなことが書かれているのですが、ファンにとって海外遠征をする馬に関して心配になるのはまずは馬のコンディションです。長い輸送や環境の変化により体調を崩したことで、能力を発揮できなかった馬を、私たちはた~くさん見てきました。だから不安だったのですが、小崎調教師のインタビューを読んで私は思わず笑ってしまったのを覚えています。
そうか、そうだよな…と思いましたよ、このときは。サラブレッドは環境の変化に弱いのですが、ファル子は日本全国、いろんな競馬場を走ってきました。どんなところでも力を発揮してきました。輸送なんて、初めての競馬場なんて慣れっこだったんです! ドサ回りと呼ばれたあの経験が、ここで生きてくるなんて!
「やれるんじゃないか?」
「いや、やれるでしょ!」
現地に到着後の最終追い切りも絶好。小崎調教師が直後に「レースまでに太らせないようにしないと」と言っていたことから、カイバもしっかり食べていたことが分かります。レース前日にはこんな記事も載りました。
ファンは夢見ました。地方の小さな競馬場で地道にファンを増やしたアイドルが全国区になり、日本のトップになり、最後は…
世界のトップアイドルへ!
残念ながら不利もあり、スタート直後につまずいてしまったファル子は持ち前の先行力を生かせず、10着に惨敗してしまいましたが、あの日、多くの人がテレビにかじりつきました。
叩かれたこともあったアイドル
なかなかブレークできなかったアイドルが
あの日、世界一を決める戦いで歌っていました
ステージの真ん中で
一番前で
センターで
後に武豊ジョッキーはインタビューでこう話していました。
それぐらいの馬だったファル子が、無事に日本に帰ってきたことを最後に付け加えておきます。みんな大好き、ファル子ちゃん、本当にお疲れ様でした。
おまけ
「ウマ娘」の育成ストーリーで、皐月賞に挑戦したいと言い出すファル子。そこではこんなことを…。
「ファル子がダメダメになっちゃう芝のレース」
芝が苦手だということなのですが、どんな馬でも、3歳時はクラシックを夢見るわけで、実際のファル子も皐月賞に出走しています。
無謀? いやいや、そうでもありません。ファル子はデビューして3戦、ダートで1、2、1着した後、ジュニアカップという芝1600メートルのレースを豪快に差し切っており、芝が〝ダメダメ〟というわけではなかったのです。ただ、ジュニアカップの後の芝2戦は7、10着。なのでこの皐月賞も無印で18頭中の17番人気でした。結果は…
う~ん、ゲームで〝ダメダメ〟と言うのも仕方ないかもしれませんね。