悲願のサマー!「ウマ娘」でもおなじみの〝史上最強マイラー〟タイキシャトルの偉業を「東スポ」で振り返る(withシーキングザパール)
23年前のちょうど今ぐらいの時期、夏休みムードも吹き飛ぶ競馬ファン歓喜のニュースがフランスから飛び込んできました。日本調教馬による海外GⅠ初制覇――「ウマ娘」にも登場するタイキシャトルとシーキングザパールが世界に風穴をあけたのです。今回は、あのお盆の熱狂を、「この馬が負けることがあるのだろうか」とも思わせたパーフェクトな最強マイラー・タイキシャトルの生涯を中心に「東スポ」で振り返ります。極めて日本的な優等生ながら「ウマ娘」で金髪のアメリカンであるように、同期の才女・シーキングともどもルーツは外国。そのあたりから見ていきましょう。(文化部資料室・山崎正義)
マル外らしくないマル外
外国で産まれ、その後、日本に輸入された馬を「外国産馬」といいます。関係者にも競馬ファンにも浸透している呼び方は「マル外(まるがい)」。新聞などの出走表で、馬名の上に〇の中に「外」と書かれたマークが付いているからです。
昔からちょくちょく登場し、「外車」とも呼ばれたように明らかにエンジン性能が違う走りを見せていましたが、一気に数が増えたのは1990年代前半です。外国のトレーニングセールで購入されることが多かったマル外は、既にその時点で調教が進んでおり、日本馬と比べて仕上げるのに手間がかかりませんでした。2歳の早期からデビューさせることが容易で、「翌年のクラシックシーズンに向けて徐々に仕上げていく内国産馬をスピードで圧倒する」のが典型的なパターン。日本の競馬界がやや閉鎖的で、国内生産界の保護のためにクラシックに出走できないなど走れるレースは制限されていたものの、値段が手ごろだったこともあり、手軽に稼げる馬として馬主さんや調教師さんにも人気を博していたのです。
2歳から3歳前半にかけての馬が出走できるレースはそもそも短い距離ばかりなので、輸入馬にマイル(1600メートル)以下の短距離向きが多かったのは自然の流れでしょう。それこそファンの持つ印象も「外国産馬=速い」でした。ただ、そのスピードで圧勝することがある一方で、走りが粗削りだったり、大敗することもあるなど成績が安定しない馬が少なくなかったのも事実。また、完成度が高い半面、早熟傾向も強く、2戦目ぐらいまではめちゃくちゃ強くて「どこまでいくんだ」と期待させておいて尻すぼみ…なんて馬もいました(だまされた競馬ファンがいかに多いか苦笑)。というわけで、
「速いけどムラがある」
「強いけど信用しきれない」
といった感覚でマル外を見ていたファンも多かったんですが、そのイメージを覆す馬が登場します。タイキシャトルです。古馬になった4歳夏、海外に遠征した時点での国内成績に驚いてください。
10戦9勝、2着1回
ほぼ完璧!「ウマ娘」のタイキシャトルは初期のストーリーで集中力に欠けたり、性格もぶっ飛んだ感じですが、実像はレースぶりも粗削りとは程遠い優等生でした。
怪物感伝達スピード過去最遅
タイキシャトルの実力は、なかなか表に出てきませんでした。アメリカで産まれ、アイルランドで調教され、2歳の夏には日本にやってきたものの、ケガなどもあって、デビューは皐月賞も終わった3歳の4月。マル外なのに全然早くなく、むしろ日本馬と比べても遅いぐらいでした。
これは貴重なデビュー戦の馬柱。よく見ると、シャトル以外は既にデビュー済みで、印の付き具合もビミョーですが、最終的には1番人気に支持されます。前2年の最多勝調教師・藤沢和雄氏が管理し、誰もが認める名手・岡部幸雄騎手が乗っていたためです。レースでは先行して抜け出し、既走馬相手に4馬身差で完勝。ただ、ダート戦だったこと、また藤沢厩舎には良血馬や評判の外国産馬が非常に多く、正直、あまり目立つ存在ではなかったので、そこまで騒がれませんでした。
2戦目のダート1200メートルも2番手から抜け出す横綱相撲だった割にインパクトも強くなく、3戦目に初めて芝のレースを勝った時もマイペースの逃げだったのに楽勝というほどにも見えず(本当は楽勝だったのでしょうが)、ファンの間で「すげー!」とまではなりません。しかも、次のレースが先ほど〝ほぼ完璧〟とお伝えした戦績の「2着1回」の部分。圧倒的な1番人気で迎えた7月の菩提樹ステークスというレースで、伏兵に逃げ切りを許してしまうのです。大事に乗った実力馬が、逃げ馬に足をすくわれるのは〝競馬あるある〟なのですが、重賞でもなかったこの敗戦が、シャトルの強さをオブラートに包んでしまいました。だから、ひと休みした後の10月、3戦ぶりのダートとなったユニコーンステークス(GⅢ)に出てきたときの印はこんな感じです。
実際、強い相手と戦ってきているわけではなく、早熟の外国産馬にとっての3歳秋は既に成長が止まっている可能性もあるので、記者としても重い印は付けづらいところ。前走比プラス14キロだったこともあり、3番人気にとどまりました。レースでは5番手を追走し、直線で外からワシントンカラーにかわされそうになるものの、そこから突き放し、2馬身半差で完勝。この2着のワシントンカラーは続くダート重賞で古馬相手に楽勝するぐらいの馬なのですが、ぶっちぎりではなく、渋い勝ち方だったので、やはり、一部の関係者をのぞき、大物感を感じるまでには至りませんでした。芝に戻した続くスワンステークス(GⅡ)でも印には半信半疑感が漂っています。
この馬柱、よく見ると、とんでもないことに気付くはず。何と、藤沢和雄厩舎から5頭も馬が出ているのです。騎手の2つ下の欄に「藤沢」と記された馬が5頭、ついでに馬名の上をチェックすればそのうち4頭にマル外マークがついています。当時の藤沢厩舎と外国産馬の勢いがよ~く分かるのですが、シャトルはその中では最も年下で、まだ芝の一線級と戦ったことがなく、主戦の岡部騎手が別の馬に乗ったこともあり、記者もファンも、どう評価していいのか分かりませんでした。分からないままスタートが切られ、道中3~4番手のインを進んだシャトルは、乗り替わった横山典弘騎手に導かれ、難なく抜け出します。外から同じく外国産馬の1番人気・スギノハヤカゼが迫りますが、かわされそうな雰囲気はありませんでした。完勝です。完勝なんですが、正直、地味でした。外国産馬っぽくないんです。これが圧倒するスピードで逃げ切っていたり、後方からのゴボウ抜きなら別ですが、あまりに〝普通〟だったため、ファンはイメージとのギャップにどことなくピンときていない様子でした。それが証明されるのが、続くマイルチャンピオンシップの人気です。
前哨戦を完勝しているのに2番人気。記者やファンは、こぞって同い年の外国産馬・スピードワールドに◎を付けました。なぜならこの馬、シャトルとは対照的に、ハデな勝ち方をする外国産馬らしい外国産馬だったのです。2歳後半から3歳頭にかけて〝モノが違う〟と思わせるような豪快な追い込み勝ちを連発し、3歳馬ながら春のGⅠ安田記念でも3着。秋初戦の毎日王冠も3着に追い込んできていました。白い馬体もあり、〝いかにも〟だったんですね。
競馬ファンの皆さんも、あの怪物感に魅了されて馬券を買った人も多かったのではないでしょうか。ただ、残念ながらスピードワールドは悪い意味でもマル外で、成長が止まってしまったのか、このマイルチャンピオンシップは12着。以降、一度も勝ち星を挙げることはありませんでした。対するシャトルは、GⅠでも普段と同じように先行し、あっさりと抜け出しました。2着に2馬身半。まさに横綱相撲、完勝です。
「やっぱり強いんだな」
「すごいね」
何だったのでしょうか、あの〝熱〟の低さ。3歳馬ながらマイル路線のトップに立ったわけですから偉業です。でも、あまりに簡単に、お行儀良く勝利したので、ファンは熱狂しませんでした。マル外に求める〝異国発の未知なる強さ〟を感じられず、物足りなかったのでしょう、中には、「へ~」「ふーん」という人がいたのも事実です。スワンステークスで初めて芝の重賞を勝ったと思ったのもつかの間、すぐさまGⅠも勝ってしまったトントン拍子の展開についていけなかったファンもいたのかもしれません。で、ついていけない人を尻目に、シャトルは1か月後、1200メートルのGⅠ・スプリンターズステークスに出走し、これまたあっさりと勝利するのです。
「怪物だ」
やっとです。
やっとファンは気づきました。
たいていのGⅠ馬、それこそ「ウマ娘」に登場する名馬たちは、デビューして早々にハデな勝ちっぷりを披露して、「怪物だ」とファンに思わせます。しかし、シャトルは一度もそんな印象を与えませんでした。このスプリンターズステークスの勝ち方も、正直、ハデではありません。でも、ライトなファンでもさすがに分かりました。芝では初めての1200メートルだったので、スペシャリストに適性で劣る可能性も指摘されていたのに、ポンとスタートを切ると必死で先行しようとするスプリンターを横目に涼しい顔でついていきました。天性のスピードとセンスがなければできない芸当で、3~4コーナーで騎手の指示通り息を入れられるのもセンスのなせる業です。追ってからしっかり伸びる点もケチのつけようがありません。何より、それを難なくこなしてしまったこと、芝でもダートでも、どんな距離でも、同じようなレースぶりで楽勝した様子にファンはついに、やっと底知れなさを感じたのです。
「怪物だ…」
「怪物じゃないか!」
デビュー8戦目。私の感覚では、怪物感がファンに伝わったスピードとしては過去最遅。翌日の本紙をご覧ください。
気付けば、扱いは「化け物」になっていました。
過去最速で世界へ
デビューからわずか8か月で国内を制圧したシャトルは、翌98年夏の海外遠征を予定し、春は国内で2戦しました。休み明けの京王杯スプリングカップ(GⅡ=5月)でも、レースぶりは前年と同じく、先行抜け出し。しかも終始持ったままの楽勝でレコードタイムをマークし、早熟性への不安をかき消します。
続くGⅠ安田記念は、ファンも海外遠征の予定を知っていたので、壮行レースといった雰囲気。雨が降り続いており、馬場の発表は最も悪い「不良」で、実力通りの結果にならない可能性もあるほどの極悪馬場だったのですが、これまた難なくクリアしました。
海外、特に欧州の馬場は雨で悪化することが多々あるので、不安をひとつ消したことになります。同時に、走る気をなくすような馬場でも走り切れる精神力も証明されました。まさにパーフェクト。この馬が負ける姿は想像できませんでした。
「シャトルならいける!」
誰もが日本調教馬による初の海外GⅠ制覇を意識しました。今まで何頭ものGⅠ馬が挑み、はね返された壁も、シャトルなら越えてくれる気がしました。極端な脚質ではないので展開に左右されません。操縦性が高く騎手の意のままに動けるから不利も受けづらい。体調の変動も少ない。精神力があるので外国でも平常心でいられそう…欠点がないのです。しかも、藤沢調教師には、過去に海外遠征の経験がありました。結果は出ていませんでしたが、ノウハウは持っていたのです。
「いける!」
「シャトルなら勝ってくれる!」
7月下旬、化け物は海を渡ります。狙いはフランス最高峰のマイルGⅠジャック・ル・マロワ賞。およそ1か月、現地で調整を進めるシャトルに対する期待は日に日に大きくなっていきました。
「頼むぞ」
「頼んだぞ!」
そんな中、ビッグサプライズが起こります。シャトルがフランスの水にも慣れたレース1週間前、ジャック・ル・マロワ賞が行われるドーヴィル競馬場でひと足先に歴史が動くのです。
主役はシーキングザパール。「ウマ娘」にも登場するシャトルと同級生のマル外牝馬が、海外GⅠを勝利した快挙を本紙は1面で伝えています。そう、シャトルの陰に隠れていましたが、シーキングザパールもフランスに渡っていました。1600メートルの適性でシャトルに劣ると判断し、ジャック・ル・マロワ賞の前週に行われるモーリス・ド・ギース賞に出走するため、主戦の武豊騎手も渡仏。1300メートルという中途半端な距離もあり、ジャック・ル・マロワ賞よりはるかに格や知名度は低かったものの、気楽な立場で、やや低調なメンバーを相手に逃げ切ってみせたのです。
日本では追い込み脚質だったシーキングザパールで逃げ戦法をとった武豊ジョッキーの奇襲もさすが。1面に載った独占インタビューでは喜びを爆発させています。騎手として、外国で調教された馬に乗って海外GⅠを勝ったことはありましたが、日本調教馬では初。歴史的な勝利にジョークも飛び出すほどでした。
当然、日本も沸きました。ぶっちゃけますと、「あれ? シャトルは来週じゃなかったっけ?」というぐらいシーキングのことを忘れていた人もいたんですが、快挙は快挙、悲願達成は悲願達成です。
同時に、シャトルへの期待はさらに高まりました。〝いかにも〟な外国産馬であるシーキングは、2歳時はハデな勝利と敗戦が交互で、3歳になって4連勝。切れ味鋭い差し脚で、マル外のために設けられたともいわれるGⅠ・NHKマイルカップを制した(5月)のですが、秋以降の実績ではシャトルにはかないません。前出の安田記念でも10着に敗れていました。強いことは強い。でも、関係者も競馬ファンも、シャトルの方が上だという認識でしたから、「2週連続だ!」「もう一丁!」となったわけです。加えて、現地でも、「来週出てくる日本馬はもっと強いらしい」「たまったもんじゃないな」と評判になっていました。
見出しにあるように、勝つのが当たり前のようなムード。最終追い切りも万全で、体調もバッチリのようでした。
さらに、有力馬が次々と回避し、わずか8頭立てに。
シャトル陣営のプレッシャーはハンパじゃなかったでしょう。単勝オッズは1・3倍。一時は1・1倍にもなったほどで、圧倒的でした。シーキングザパールが勝っていなければ、これほどのオッズにはならなかったでしょうし、あくまでチャレンジャーという立場でいられたかもしれませんが、いつの間にか〝勝って当然〟という雰囲気になっていました。重圧に押しつぶされたり、舞い上がったりしてもおかしくはない状況です。しかし、陣営は平常心を失っていませんでした。少なくとも伝わってくる情報を集める限り、そう見えました。レース前々日、藤沢調教師は「プレッシャーは?」と聞かれてこう笑ったといいます。
「そんなものはないよ。海外で負けるのは慣れてるから」
その〝負け〟の中にはシャトルと同じ馬主のクロフネミステリーやタイキブリザードが含まれているのですから「今度こそ結果を出さねば」という思いがないわけがありません。タイキブリザードにいたっては、宝塚記念と有馬記念で2着があり、安田記念も勝った馬なのに、2年連続でアメリカのブリーダーズカップクラシックで大敗。相当なショックを受けたはずなのに、名伯楽はその敗戦を糧にしていました。人間が余計な力を入れても負ける時は負ける。やれることをやって、あとは馬に託すだけ…という境地に達していたのかもしれません。
百戦錬磨の岡部騎手も同様のスタンスだったのでしょう。若いころから海外に目を向け、86年には「ウマ娘」の生徒会長、〝皇帝〟シンボリルドルフで米国のGⅠに挑戦。国内の期待を一身に背負っての挑戦が惨敗に終わったことで、「七冠馬でも無理なのか…」と、しばらく日本馬の海外挑戦が減ったほどでした。それでも、岡部騎手はあきらめませんでした。藤沢調教師とタッグを組み、前出のタイキブリザードの手綱を取った人こそ岡部ジョッキーです。できる限りの用意をしても負けることはある。自分が気負っても仕方ない…だから冷静に、いつも通りの乗り方をしました。
奇襲はいらない――。
最内から好スタートを切ると、日本でのレースと同じようにシャトルを先行させ、2番手につけます。実はこのレース、1600メートルなのにカーブがありません。日本では考えられないマイルの直線レースなのですから、乗り方も難しかったはずです。でも、岡部騎手はいつも通りを貫きました。レース前、鞍をつける装鞍所で暴れ、外れた蹄鉄を打ち直すハプニングがあったシャトル、いざスタートが切られたらよそ見ばかりしていたシャトルも、そのエスコートがあったからこそ、中盤から集中力を取り戻したのでしょう。馬場の真ん中、しっかり前を向き、岡部騎手も焦ることなく、追い出しを我慢します。逃げていたのが、世界ナンバーワンジョッキーのデットーリ騎手だったので、「悠長に構えていて大丈夫なのか…」と見ている我々は少し不安になりましたし、じっくり構えているうちに誰かが出し抜けを狙ったりしたらと心配にもなりました。でも、岡部騎手とシャトルは日本にいた時と同じように、最後の最後に抜け出し、しっかりと勝ち切ったのです。
「良かった…」
ファンとしても「嬉しい」より、「ホッとした」が強かった2週連続の海外GⅠ制覇。翌日の紙面(1面です!)に躍った岡部騎手の満面の笑みが、その価値を表していました。常にポーカーフェイスで知られる名手のこんな笑顔、見たことがありません。
記事でも武豊騎手が「岡部さんがあんなに喜ぶのを初めて見た」と話しています。当の岡部騎手は「これでフランス人もタイキシャトルが強いということを信用してくれたかな」とコメント自体はいつも通りオトナでしたが、やはり興奮気味だったと書かれています。ちなみに、大見出しにある通り、現地では日本人らしき女性が、関係者に「タイキシャトルの単勝を1000万円単位で買うにはどうすればいいのか?」と聞いていたという噂が流れていたそうです。そんな〝超常現象〟を笑って振り返れるのも、勝ったからこそ。本当に良かったです。私より年上の競馬ファンは感慨深そうにつぶやきました。
「信じられん」
81年、「世界に通用する馬づくり」を掲げてジャパンカップが創設されたとき、一流とは言えないアメリカの牝馬に全く歯が立たなかったどころかコースレコードを更新され、「日本馬は永遠に勝てない」と言われた時代を生きた人にとっては、確かに信じられないでしょう。ホームで勝つどころかアウェーで2連勝なのですから。
この勝利により、年々レベルを上げつつあった日本競馬の実力は世界にとどろきました。シーキングもシャトルも外国産馬ではありますが、調教し、遠征させたのはまぎれもなく日本人なのです。日本馬が海外挑戦を始めて40年弱。関係者とファンが歴史が変わる瞬間に立ち会った激動の2週間は、真夏の夜の夢ではありませんでした。
凱旋
シャトルの次走には米国のブリーダーズカップ・マイルが候補に挙がっていましたが、最終的には日本のマイルチャンピオンシップに落ち着きました。対して、シーキングザパールは遠征を続行し、9月に同じフランスで行われたマイルのGⅠムーラン・ド・ロンシャン賞にチャレンジします。結果は5着。
帰国したシーキングは次走にマイルチャンピオンシップを選びました。夏に世界を驚かせた2頭が国内のGⅠで対決するなんて、これまた夢のよう。ダブルの凱旋をメディアもファンも歓迎しました。ただ、その見方は〝一騎打ち〟ではありません。世界最強マイラーとも呼ばれるようになっていたシャトルに対し、シーキングにとって1600メートルはやはり長い。5着に敗れたフランスの2戦目もマイルでしたし、この距離でシャトルに勝つのは難しそうです。単勝オッズはシャトル1・3倍、シーキング6・7倍。新聞の印でもここまで差がつきました。
結果は印の通り、いや、それ以上にシャトルが強かったです。いつものように先行し、すっと3番手につけると、ハイペースもお構いなしについていき、直線を向いてもしばらく〝持ったまま〟。軽く気合をつけただけで、2着に5馬身差をつけました。しかも、馬体重が安田記念と比べて14キロも増えていたように、明らかに余計なお肉がついていました。なのに、つけた着差は今までの重賞勝利で最大――。
「怪物だ」
「やっぱり化け物だ」
ファンから歓声ではなく、ため息。こんな声も聞かれました。
「サイボーグみたい」
6年前の二冠馬ミホノブルボンにつけられたニックネームでしたが、私もぶっちゃけ、シャトルの方がしっくりくると思いました。冷静沈着、パーフェクトな成績、計算通りのような勝ち方…ブルボンのように血のにじむような特訓をしている様子がなかったのもマシンっぽく、その意見に賛同したのを覚えています。それぐらいシャトルは完璧に、最高のパフォーマンスで次々と課題をクリアしていきました。遂行すべき任務はあと1つ。既に年内での引退が発表されていたため、前年同様、スプリンターズステークスに向かうことになっていましたが、本紙は半分冗談でこんな紙面を作りました。
気持ちも分かります。短距離に敵は皆無なのですから、2500メートルの有馬記念に出たっていいじゃん!というわけです。「出てくれたら盛り上がるんだけどな~」という単なる願望なんですが、テキトーに書いたわけではありませんよ。レース後の藤沢調教師が、メディアに「有馬記念でもいいのでは?」と聞かれ「それは面白いアイデアだね」と口にしていたんです。ジョークなのでしょう。でも、そのジョークに乗ってこんな見出しをつけたくなるほど、スプリンターズステークスの結果は目に見えていたのです。
1998年12月20日
シャトルの花道を祝福するような快晴でした。入場してきただけで大歓声。ゆっくりと返し馬(レース前のウォーミングアップ)を行います。競馬場に足を運んだファンは、太陽に照らされてキラキラと輝くシャトルの栗毛の馬体だけを追っていました。そして、場内のモニターや電光掲示板に映る単勝オッズに一瞬だけ驚き、「いや、そうなってもおかしくないよな」と納得したのです。
1・1倍――。
1986年以降、GⅠでこのオッズになった馬は一頭もいませんでした。絶好調のオグリキャップだって、全盛期のナリタブライアンだって1・2倍止まりですから驚異的な数字です。そのぐらい、誰もがシャトルの勝利を疑っていませんでした。普通は別の日に行う引退式が、レース後に予定されていたのも大きかったです。これは藤沢調教師による馬のためを思っての決断。引退式というのは馬を走らせます。ケガなく走らせるには引退した後に、体をゆるめすぎず、多少はトレーニングをしておかなければいけません。その負担を軽減させてあげようと前代未聞の当日施行に踏み切ったのですが、これがさらに勝利を確信させる結果になりました。
ファンファーレが鳴ります。歴史をこじ開けた世界一のマイラーの姿を目に焼き付けるためのGⅠ。シャトルにサヨナラとアリガトウを言うためだけの電撃戦。馬券の当たりハズレにのみ興味を持っている人にとっては、勝ち馬は見えているもののその馬がらみの馬券はオッズが低すぎて儲けづらい…という、傍観するしかない1分間が始まりました。
いつものように好スタートを切ったシャトルは、いつものように先団の直後で虎視眈々とレースを進め、いつものように4コーナー手前で上がっていきました。本当に、毎回毎回、同じでした。リプレーを見ているように、寸分の狂いもなく、勝利を手繰り寄せようとしていました。
君は本当に馬なのか。
生き物なのか。
サイボーグなんじゃないのか?
直線を向き、外から強気に馬体を併せてきた馬と並走しながら先頭に立ったシャトル。あとはその馬を突き放すだけ。世界を制した脚で、力の差を見せつけるように突き放すだけです。
「こうなったらぶっちぎっちゃえ!」
「すごいものを見せてくれ!」
精密機械のようなソツのない勝利ではない、ハデな勝ち方を期待したファン。最後ぐらい想像を超えるような勝利を…と願ったそのときでした。逆の意味で想像できなかった光景が目の前で繰り広げられます。外の馬が前に出ようとしていたのです。
「え?」
まさかの展開に場内がざわめきます。シャトルは内から差し返そうとしていましたが、明らかにもがいていました。最強のサイボーグが必死になっています。今まで完勝ばかりで、シャトルのレースで大きな声なんて出したことがない人たちから声が出ました。
「え!?」
「シャトル!?」
そのファンの目に飛び込んできたのは、さらに恐ろしいもの。外から一頭、猛然と追い込んでくる馬がいたのです。
シーキングザパール!
武豊騎手でした。どうしてもかなわなかった相手に一矢報いる最後のチャンスに、名手は秘策を練っていました。シャトルはスプリントもこなしますが、適距離はマイル。対してシーキングが最もパフォーマンスを上げるのは1200~1400メートル。ファンにも記者にも見えていなかった勝機が、天才にはかすかに見えていました。ただ、それは今までのように普通に追い込んでもつかめない。瞬発力を最大限に引き上げ、かつてない爆発力を生じさせる必要がありました。そのためにはリスクを承知で最後方まで下げ、スパートのタイミングをギリギリまで遅らせるしかありません。弓矢を引けるところまで引くイメージ。ギギギギ…と極限まで引いて、ちょうどゴール前でシャトルをかわすタイミングで手を離したのです。
「うわわわ…」
おびえるファン。矢になった真珠がすさまじい勢いでまっすぐ坂を駆け上がってきます。ひと足先に海外GⅠ初制覇の栄誉をかっさらった時のように、再びシャトルに前に立ちふさがった同じマル外の牝馬と天才。その矢のような馬体が測ったかのようにゴール板の前でシャトルを射抜いたとき、私は競馬の面白さと怖さに鳥肌が立ちました。きっちりクビ差だけ差し切った先に、もう一頭いたのです。
シャトルを競り落としたのはマイネルラヴという1歳年下の伏兵。奇しくも2着シーキングザパールと同じ父を持つマル外でした。タイキシャトルは生涯初の3着。ファンは沈黙し、少しざわめき、顔を見合わせます。引退式が始まっても、なんとなく消化不良のままでした。「ありがとう」「お疲れさま」も、なんとなく上の空。スッキリしない、そんなモヤモヤした気持ちを晴らしてくれたのは、どんどん暗くなっていく競馬場で、ライトアップされたシャトルの金色に輝く馬体でした。
「きれいだな~」
黄金の国ジパングの競馬史を変えた黄金の美しさに、その日の3着なんて徐々にどこかにいってしまいました。そして、大観衆の前でスポットライトを浴びながら、ゼッケンをつけずに歩かされる初体験にキョロキョロしながら落ち着かない様子のシャトルに少しホッとしたのです。
そうだよな。
サイボーグなんかじゃない。
君も生き物なんだよな…。
シャトルはまだキョロキョロしています。記念撮影では脚を上げたりして、軽く暴れていました。それがおかしくて、かわいくて、ああ、今日は見に来て良かったと思ったものです。シャトルだって機嫌が悪い日もある。走りたくない日もある。完璧な馬なんていない。そして何より、結果が決まっているレースなんてないのです。そのことを、シャトルは教えてくれたのかもしれません。
最後に3着というお茶目な隙を見せてくれて、ありがとう。私としては、そのチャーミングさが「ウマ娘」に反映されたのも本当にうれしかった。13戦11勝、2着1回、3着1回という成績とあのレースぶりをそのままキャラにしたら冷酷無比なコになっちゃいますから、むしろ逆方向に振ってもらって良かったデース。
おまけ1 年度代表馬
ジャック・ル・マロワ賞を含めてGⅠを3勝した1998年、タイキシャトルは年度代表馬に選ばれました。短距離専門の馬が受賞するのは初めてのこと。99年には殿堂入りもしましたが、それもまた短距離専門の馬としては初でした。
おまけ2 シーキングザパール
ウマ娘で「海外を転々としながら育った」という設定になっているように、シーキングザパールは、シャトルを破ったスプリンターズSの後、再び海を渡ります。向かった先はアメリカ。サンタモニカハンデキャップという1400メートルのGⅠに挑みました。初めてのダート戦だったのですが、父はそのアメリカのダートで活躍した馬。3~4コーナーでやや置かれてしまったものの4着と健闘しました。
本文で2歳時は勝ち負けが交互だったと記しましたが、その成績はまさに名馬。シャトルの前ではかすんでしまうものの、芝1200~1400に限れば9戦5勝。そのうち4つは牡馬混合重賞ですし、残りの4戦も2着2回、3着1回、4着1回。4着もGⅠで馬場が悪かったためです。何とかNHKマイルカップ以外の国内GⅠタイトルをもう1つ取らせてあげたかったのですが、前出サンタモニカHの後に出走した高松宮記念では惜しくも2着。続く安田記念はやはり距離が長く3着。面白いのは、その後、アメリカに移籍したこと。最後の最後まで海外と縁のある馬でした。
せっかくなので国内唯一のGⅠ勝ちとなったNHKマイルカップの馬柱とゴール前写真をどうぞ。
おことわり
次回の更新は1週空いて9月1日。しばらく隔週でお届けすることになりそうですが、今後もご愛読のほど、何卒よろしくお願いします。