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「ウマ娘」でも気性難!?エアシャカールの斜行伝説と〝7センチ〟を「東スポ」で振り返る

 ロジカル知的なのにエキセントリック。「ウマ娘」で超個性派キャラとして描かれているエアシャカールは、史実でも、底知れないポテンシャルを持ったクラシックホースでありながら、その激しい気性と困った癖で常に注目を集めていました。競馬界における様々な論争でも取り上げられがちな、いい意味でも悪い意味でもファンを魅了した名馬…ゲーム内でこだわる「7センチ」に詰まったドラマともども、「東スポ」で振り返りましょう。(文化部資料室・山崎正義)

ささる馬

 当noteでもこれまで気性に難のある馬を紹介してきました。ゴールドシップ気まぐれでいつ走るか分からずスイープトウショウは機嫌を損ねるとやだやだ状態になって動かなくなってしまう…といったように、〝困った〟にも様々なタイプがあって一概には言えないのですが、共通するのは人間の言うことをきかない点でしょうか(苦笑)。それがどんな方向に振れるかで個性が出るわけで、では、エアシャカールの最も特徴的な〝困った〟が何だったかと言うと…。

「まっすぐ走らない」

 気性が荒く、厩舎でも非常に扱いづらかったのも有名な話ですが、主にレースでサラブレッドのことを知るファンからしたら、とにかくコレでした。最後の直線、「いっけー!」とムチを叩き、スパートをかけると、斜め内側に走ってしまう癖があったのです。競馬用語で言うと「ささる」。JRAの公式ホームページの「競馬用語辞典」ではこう説明されています。

「レースや調教中に突然内に斜行すること。これに対して外に斜行するのは『ふくれる』という」

 困るのは「突然」だという点です。騎手からすると、「さあいくぞ!」とスパートをかけた瞬間、内に向かって走ってしまうんですからシャレになりません。安全第一、他馬の邪魔にならないよう、まずはその斜め走りを修正しないといけないので、ガンガン追うことができない。まっすぐ走るように矯正しつつ、めちゃくちゃ気を使って走らせないといけないのです。例えば、ゴールの瞬間のこの写真をご覧ください。

 シャカールの内側にも馬がいるので、接戦です。普通なら追って追って追いまくっている騎手がやや体勢を低くしてまっすぐ腕を前に伸ばしているような写真になるはずですが、何か違いますよね? そう、手綱で操縦しながら顔を外側に向かせようとしています。内に行ってしまうのを修正、矯正しながら走らせているのです。騎手にとっては非常に気を使う行為で、当然、100%の能力を発揮させるのは難しくなりますから、この悪癖を持つ馬は大成するのは難しくなります。そりゃそうですよね、数センチを争う状況、一秒でも速く走りたいときにアクセルを踏むだけじゃなく、ハンドル操作もしないといけないのですから。それを理解した上で、もう一度、上の写真をご覧ください。騎手がめちゃくちゃ苦労しているこの写真、実は皐月賞のゴール前です。つまり、エアシャカールはそんな癖がありながら、クラシックを、GⅠを勝ってしまったのです!

「なんかゴール前、変だったよな?」

「うん、危なっかしい」

「それでも勝っちゃうんだ」

「ってことはこの馬、相当強いんじゃ?」

 ファンがこんな感想を抱いたとおり、実はシャカールは皐月賞の時点では、GⅠ級だとは思われていませんでした。父が大種牡馬サンデーサイレンス、姉にオークス2着のエアデジャヴーを持つ良血ながら、新馬戦5着→未勝利戦1着→条件戦2着と戦績に大物感はなく、続くホープフルステークス(当時はGⅠではなく単なるオープン競走)を勝ったものの辛勝でしたし、3歳初戦となった弥生賞でも4番人気で2着。勝ったフサイチゼノンには1馬身4分の1差をつけられる完敗でもあったので、〝第2グループ〟的な扱いでした。皐月賞では、フサイチゼノンが故障してしまったことで押し出された2番人気になっていましたが、これは血統と、鞍上が天才ジョッキー武豊だったことが大きかったと思われます。レース前の状況としては主役不在の大混戦。そんな中で、後方待機から3~4コーナーでまくり気味に大外を上がっていき、内にささりながら、ロスなく回った1番人気のダイタクリーヴァ(5戦4勝でスプリングステークスを勝っていました)を差し切ってしまったため、

「思ったよりも強い」

「いや、もしかしたら相当強いかもしれない」

となったわけです。しかも、3着以下は2馬身半離していましたし、母は東京2400メートルのオークスで2着している一方で、当面のライバル・ダイタクリーヴァには距離の不安がありました。何より、ささり癖も修正できる範囲に映っていたので、ダービーでの印はこうです。

 穴狙いの記者もいましたが、他紙の評価もファンの見立ても「エアシャカールで大丈夫だろう」でした。実際、皐月賞で3・4倍だった単勝オッズは1倍台目前の2・0倍。2番人気のダイタクリーヴァは4・8倍で、3番人気のアグネスフライトが5・1倍ですから、支持率としては頭ひとつ抜けていたと言えるでしょう。で、レースでは、好スタートを切って、すーっと下げて後方に待機します。もともと前に行く馬ではなかったので予定通り。直線に向き、不利を受けづらい馬場の外目に出してグングン伸びてくるまでの流れは、まさに絵にかいたような展開でした。2年前のスペシャルウィークでダービーを初制覇した天才が、翌年、アドマイヤベガで連覇。そしてこのレースで3連覇を果たす…そんな筋書きが出来上がったように、誰の目からも見えたでしょう。しかし、直線半ばで先頭に立ったシャカールは、その天才の想像を悪い意味で越えてきます。一世一代の大舞台で、急に内に切れ込んでいったのです。

「いけっ!」

「いっけー!」

 ノンキに叫ぶファンをよそに武豊ジョッキーは相当焦ったはずです。抜け出していたので内に馬はいませんでしたが、突然の斜行ですから、走りを立て直さないといけません。しかも、大外から一頭だけ、猛然と追い込んできた馬がいました。

「フライト!」

「河内!」

 皐月賞には間に合わなかった〝遅れてきた大物〟アグネスフライト。その鞍上には、関西のトップジョッキーにして武豊騎手の兄弟子でもある河内洋がいました。数々のGⅠを勝ってきた名手は、なぜかダービーは勝っていません。

 45歳――

 ラストチャンス――

 誰もが気付いていました。でも、4戦3勝ながらキャリア不足で、大敗もしていて、追い込み一手のアグネスフライトが、ダービー馬になるほど強いかは半信半疑。だからこそ3番人気にとどまっていたのですが、名手の鬼気迫るムチにフライトがこたえます。

「差せ!」

「差せ!」

「差せ差せ差せーー!!」

 馬券を買っている人からすると声が枯れるぐらい絶叫できる強烈な追い込みと、そこに乗る想い。正直、エアシャカールを応援していた人でさえ、「河内に差されるなら仕方ない」と思えるほどでしたが、天才だって負けていられません。シャカールの体勢を立て直します。

 内から外へ…

 馬体を併せて…

 もうひと伸び!

 しかし、ここで再びシャカールは天才の上をいきます。なんと、今度は外に行きすぎてしまうのです。

「豊!」

「河内!」

 ノンキに盛り上がるファンをよそに天才は再びの修正に腐心していました。外にふくれるのを抑えつつも栄光のゴールを目指す難しい作業。対するは、内から寄ってきたシャカールに進路を邪魔されつつも、それを避けつつ、歯を食いしばって追う兄弟子…

 火の出るようなデッドヒートは、天才と名手によるギリギリの攻防でもありました。テレビではアナウンサーが叫んでいます。

「河内の夢か」

「豊の意地か」

「どっちだーー!」

 一方の馬が全力で追えなかったからか、それとも馬の力か、今となっては分かりませんが、最後の最後にハナだけ前に出たのは、フライトでした。

 内の武ジョッキーの腰がやや浮いています。やはり体を低くしてびっしり馬を追える状況ではなかったのでしょう。翌日の紙面でもシャカールの奔放ぶりに手を焼いたことがしっかりと記されていました。

 しかし、ファンからすると、「そこまで大変なことになっていたとは…」ぐらいの感覚でした。上に乗せた写真だって、シャカールの悪癖を知らなければ「馬体を併せた名勝負」でしょうし、祝福ムードしか漂っていませんでした。

「河内ジョッキーおめでとう」

「良かったね~」

 そしてそして、兄弟弟子同士の叩き合いが、最後の最後、たった7センチ差の大激戦だっとことに、兄弟子の意地を見たのです。

「こんなドラマがあるのか!」

「やっぱり競馬は最高だ」

 まさに執念の7センチ。2400メートル走ってたった7センチ。そう、「ウマ娘」のシャカールがこだわりにこだわっているあの数字の元ネタはコレです。また、アグネスタキオンとのからみが多いのは、タキオンがフライトの弟だからでもあります。しかし、多くのファンに感動を与えた一方で、この7センチは、シャカールの〝馬生〟を語るファンには格好の題材になってしまいました。もちろん、どう解釈するかは皆さん次第。そのためにも、もう少しこの名馬を軌跡を追っていきましょう。

悪化

 クラシックで主役を担った馬はダービーの後、秋まで休むのが普通ですが、エアシャカール陣営は思い切った決断をします。それは、7月末にイギリスで行われる伝統のGⅠ「キングジョージ」(キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス)へ出走するための海外遠征。管理する森秀行調教師は2年前にシーキングザパールで日本調教馬として初めてヨーロッパのGⅠを制した海の向こうに目を向けるトレーナーで、3歳でのキングジョージ参戦を画策していました。日本馬では過去にシリウスシンボリがチャレンジしただけで、その1985年以来、クラシックを戦う年齢で挑戦した馬はいなかったのですが、古馬に比べて斤量がかなり軽くなる3歳での出走にこそチャンスがあると感じていたのです。

 レース当週の紙面でも斤量が魅力的だと解説されています。同時に、日本人ファンは「あの馬が出るのか!」と感じたことでしょう。

 そう、モンジューです。前年の凱旋門賞でエルコンドルパサーの夢をゴール直前で打ち砕いた欧州最強馬は、その後、ジャパンカップでは敗れたものの、年が明け、圧倒的な強さでGⅠを連勝していました。このキングジョージにおいても、まさに大本命。他にライバルが見当たらなすぎて、記事ではエアシャカールにも未知なる魅力があるとも記されていました。

「相当難しいだろうけど」

「可能ならエルコンドルの仇をうってほしい」

 レースでは武豊ジョッキーが、そんな日本人ファンの思いにこたえようという乗り方をしてくれました。4コーナーにかけて最後方からすーっと上がっていった先は、モンジューの背後。

「もしかして」

「もしかして…」

 ワクワクしたのは私だけではなかったと思います。

「いけ」

「いけ!」

 直線を向きながら武豊ジョッキーがGOサインを出しました。私も声を出しました。

「シャカール!」

 でも、すぐにおかしいと気づきました。

「シャ…」

「シャカール?」

 日本人ファンが見たのは、太刀打ちできない状況を嫌がっているのか、フラフラと走りながら、モンジューに突き放されていくシャカールの様子でした。そして直線半ば、なんとか意地を!と天才が振るったムチに、今度は内へ。

「あっ!」

「またささってる!」

 それどころかほぼ制御不能。最後は武豊ジョッキーが追うこともできませんでした。

「シャ…」

「シャ…」

「シャカール…」

 8馬身強差をつけられた7頭立ての5着。記事は「相変わらずの行儀の悪さ」を伝え、森調教師は「力を出し切れなかった」と首を傾げたそうです。陣営としては残念ですし、無念でしょう。とはいえ、世界のひのき舞台で悪癖を炸裂させたシャカールに、ファンは怒っていたわけではなく、苦笑いするしかなかったのが正直なところです。エルコンドルパサーの凱旋門賞時のように「勝てる」と思っていたわけでもなく、今みたいに海外レースの馬券を買えるわけでもなく、欧州最高峰レースのひとつを持ったままで楽勝したモンジューの強さからすればまともに走っても勝てなかったでしょうから、悔しさもそれほどありません。何より、慣れない海外遠征で癖がより強く出てしまった可能性もありました。

 情状酌量の余地あり――

 はい、こんな感情だったと思います。で、ひとまず悪夢?は忘れて、ファンは国内での復帰戦を待ちました。目指すは三冠ラストの菊花賞。まずは前哨戦の神戸新聞杯(GⅡ)に出てきます。

 7センチ差のライバル・アグネスフライトよりも◎がたくさんついているのは、夏にオーバーホールしたフライトの調子が上がっていなかったから。一方、シャカールは海外でレースを使ったぶん、体は仕上がっていました。また、前述のとおり、海外での〝やらかし〟をノーカウント扱いにしていたファンも多かったので、1・7倍の圧倒的な1番人気になります。そしてレースが始まると、いつもの最後方ではなく中団につけたので、「海外に行って成長したのかな」とも思わせました。手ごたえも悪くなく、勝負どころで先団に向かって上がっていき、4コーナーでは5~6番手の外。左斜め後ろからフライトをマークするような形で、最終コーナーを回っていきました。

「やっぱり調子は良さそう」

「人気にこたえてくれそうだ」

「一騎打ちか」

「やっぱりこの2頭か!」

 ライバル同士の叩き合いは競馬好きの大好物。直線を向いたシャカールに武豊ジョッキーがGOサインを出します。

「いけっ」

「シャカール!」

「フライトも負けるな!」

 いきり立つファン。しかし、熱狂は一瞬でした。

「シャ…」

「シャカール?」

 叩き合いを期待したファンは目を疑ったに違いありません。フライトの左斜め後ろで、シャカールはフラフラしながら謎の動きをしていたのです。

 スパート!

 しようとすると、内へ

 武騎手が修正してもう一度スパート!

 しようとしても、また内へ。

「え?」

「シャカール?」

「なにやってんの?」

 見たことのない光景にファンは戸惑いました。

 並びかけようとしては離れ…

 もう一度並びかけようとしてはまた離れ…

 ささって

 修正して

 ささって

 修正して

「追えてない」

「ユタカ、追えてないじゃん!」

 並ぶよな?

 いや、並べない。

 かわすよね?

 いや、かわせない。

「シャカール?」

「シャカール?」

「シャカール~~~!」

 何と、天才が馬をまっすぐ走らせるのに必死になっているうちに、ゴール板がきてしまったのです。はるか前を3番人気の馬がゴールし、完調手前のフライトに届かないままの3着――。

「おいおい」

「こんなことあるの?」

「なんじゃそりゃー!!!」

 これはレースを終えて引き揚げてくる武豊ジョッキー。おそらく気持ちはファンと同じだったでしょう。検量後、苦笑いしながらこう話したそうです。

「これまででも一番ひどかった」

「どこかに吹っ飛んでいくんじゃないか、というぐらい」

 極めつけはこれ。

「競馬にならなかった」

 もはや操縦不能。天才さえお手上げの悪癖は一気に有名になり、ライトな競馬ファンにまで広まりました。

「春とは比べ物にならない」

「完全に悪化してる」

「この馬はヤバイ」

「ヤバすぎる!」

 今となっては笑って振り返ることもできますが、当時は笑い事じゃありませんでした。情状酌量…できません。だって、そのヤバすぎる馬が菊花賞に出てくるのです。

「買えるのか」

「買えないよなあ」

「競馬にならないんだもん」

「でも、競馬にならないのに3着だったんだぜ」

「じゃ、まともに走れば…」

「勝っちゃうだろ」

「ってことは買う?」

「いや、買うのは怖すぎる(苦笑)」

 こんな会話を繰り返しつつ、情報を集めるために新聞を開いてまた悩む私たち。まずは火曜朝の調教助手さんのコメント。

「ウチのはああいう癖のある馬ですからね。途中で止まってしまう可能性もありますよ」

 完全に〝泣き〟が入っていました。しかし一方で、こんな情報も。

「ハミを替えたり、ブリンカーを着けたり、いろいろと工夫している」

 さらに、これは追い切り速報。

 1週前は追い切りでもヨレていたのに、この週はまっすぐ走ったというのです。記事にはこうあります。

「800メートルの追い切りと3000メートルの競馬では違う」と陣営は決して楽観視していない。だが、ヨレていた1週前追いよりは明らかに良化。真っすぐ走らせることに専念してきた陣営の努力が着実に開花しつつある。

「今回は真っすぐ走るかもしれないね」

「まっすぐ走ったら勝つよな」

「勝つだろうね」

「なら、買う?」

「いや、買うのは怖すぎる(苦笑)」

 陣営の涙ぐましい努力には敬意を称しつつも、非常に買いづらい存在のまま、シャカールは菊花賞の出走メンバーに名を連ねました。

 本紙の看板記者・渡辺薫氏が思い切って黒く塗りつぶした◎を打っていますが、これはかなり異質。他紙でも◎はフライトの方に多くついていたと記憶しています。これはシャカールの不安要素に加え、ひと叩きしたフライトが明らかに調子を上げていたことと、前走で先団につける今までにない大人びたレースぶりを披露していたことが関係しています。実際、単勝はフライトが1・9倍で1番人気。この年はライバルになりそうな馬や新星がまったく出走してこなかったのでシャカールも2番人気になりましたが、フライトとは信頼度でかなりの差がありました。それはオッズにも表れており、馬連でフライトと3番人気馬の組み合わせが9・1倍だったのに対し、シャカールと3番人気馬の組み合わせは15・8倍。ガチでどちらかを選べない「2強」ではここまで差はつきません。

「やっぱり買いづらいよなあ」

「うん、買うのは怖すぎる」

 ただ、どの馬を見たいかと言われたら、単勝1・1倍でシャカールでした。

「競馬になるのかな」

「またささるのかな」

「今度はちゃんと追えるのかな」

「まさか本当に途中で止まっちゃったりして…」

「どうなるんだろう」

「何を見せてくれるんだろう」

 不安なのか期待なのか、もはやファンもどちらか分からなくなっている中で、ファンファーレが鳴ると、シャカールはかつてないほど好スタートを切って3~4番手につけました。

「え?」

「そんな前に?」

 この時点で既にザワつく場内。1周目の坂の下りで5番手の内にもぐりこむものの、スタンド前を通過するシャカールは首をフラフラさせていました。

「なんか怪しいな」

「危なっかしいなあ」

「一気にガーッといっちゃいそうだなあ」

 まだ続くザワつきの中、天才・武豊ジョッキーはとにかくじっとしていました。しかし、仕掛けていく馬もいますから、そうしているうちにポジションは下がっていきます。向こう正面では10番手ぐらいの内。すぐ外にフライトがぴったりつけていました。3コーナー手前、普段なら外から上がっていくタイミングですが、馬群の中では動けません。3~4コーナー、各馬が一斉にスパートします。外を回って上がっていくフライト。シャカールはまだ内。

「動かないぞ」

「動けないのか…」

 4コーナーを回ってもまだ馬群の中。ただ、コーナーワークとばらけていく馬群でポジションを少し上げています。内から3頭目ぐらいのところにいたシャカールにGOサインが出されました。

「危ない!」

 突っ込んでいったのは前をいく2頭の間。強引にそこを割りながらラチの方へ…。

「まただ!」

「また内へ行ってる!

「斜めに走っちゃってる」

 誰もが「やらかした」と思ったでしょう。でも、内へ内へ切り込んでいったその先は、まさかの天国でした。シャカールの内にはラチしかありません。つまり、これ以上、内には行けない。真っ先に抜け出したことで、周りにはぶつかりそうになる馬もいない。今までと全く異なる状況の中、シャカールはラチ沿いをグングン伸びていきました。

「え?」

「シャ…」

「シャカール?」

 まさかにイン突きに驚くファン。そこに3番人気のトーホウシデンが迫っていきます。外から並びかける。フライトはこない。この馬との勝負です。もうひと踏ん張り、100%、いや、120%の力を出すときです。ということは…誰もが「はっ」となり、そしてシャカールにクギ付けになりました。

「大丈夫か…」

「追えるのか?」

「まっすぐ走れるのか?」

 よみがえる前走の悪夢。

「シャカール?」

「シャカール?」

「シャ…」

「シャ…」

 追えていました。

 まっすぐ走っていました。

 伸びていました。

 能力を発揮できれば負けない。抜かせない。追いすがるトーホウシデンを突き放し、真っ先にゴールを駆け抜ける希代の癖馬に、ファンは唖然ボー然。

「なんで…」

「なんで…」

「まっすぐ走れるじゃん…」

 しばらく放心状態だった人もいたんですが、そんなファンも、場内に流れるリプレーを見て、やっと天才の魔術に気付きました。

「そうか…」

「内に斜行するんだもんな…」

「ってことは…」

「それ以上内に行けないところを走らせれば良かったんだ!」

 翌日の紙面では武豊ジョッキーが、からくりを明かしていました。いい位置を取れたらジッとていようと考えていたそうで、初めから狙いは内からの出し抜け。

「隣に馬がいなければ迷惑はかけないからね」

「まさかラチを飛び越えることはないだろうし」

 そして、こう付け加えることも忘れませんでした。

「今回の勝利はボクよりも厩舎スタッフの努力によるところが大きい

 そう、記事には、神戸新聞杯後、陣営が様々な工夫でシャカールの癖を矯正しようとしていたことが書いてありました。また、「精神が安定するぐらい体調を整えたことも大きかった」とも。苦しいところがあるとイライラしたりするのは人間も馬も同じ。そういう意味で、前走は仕上がっていそうに見えて遠征の疲れもあったのかもしれませんが、この菊花賞ではパーフェクトな状態になっていました。

『レース前に競馬の話は何もしなかった』という森調教師の全幅の信頼に、天才ジョッキーがその手綱さばきでこたえられる状態にあったことこそが最大の勝因だ。

記事より

 私も含め、記事は読み終えたファンは痛感したでしょう。

「競馬って面白い!」

 そして…

「エアシャカールって面白い!」

 もうひとつ…

「エアシャカールなら面白くしてくれるかも!

 期待する舞台は、次走に選んだジャパンカップでした。

癖の強い挑戦者

 この年、古馬王道路線には〝絶対王者〟が君臨していました。

 後に世紀末覇王と呼ばれることになるテイエムオペラオー。本格化したこの馬が強すぎた上に、メイショウドトウ以外の対抗馬もまったく現れず、いささか退屈なレースが続いていたのです。「距離が短いのでは?」という不安もあった天皇賞・秋を完勝したことで、ジャパンカップでは不動の本命。対抗できそうな馬はやはりメイショウドトウか外国馬ぐらいしか見当たりませんでしたから、エアシャカールの参戦はファンをワクワクさせました。

「どこまで通用するか」

「悪癖があるのに二冠を取ったんだから」

「相当強いのかもしれない」

「まっすぐ走ればだけど」

「徐々に矯正されつつあるみたいだし…」

 いかに期待度が高かったか。それを証明するものがあります。これはレース当週の水曜日、夕方に発売された本紙です。

 なんと、シャカールが1面! しかも、「絶好調!」という内容ではありません。調教でヨレたこと、「悪癖が直っていない」ことが大見出しで報じられています。前代未聞、いや、それぐらい誰もが知りたいことだったのです。正直、追い切りの「ヨレた」は少しだけだったので、ここまでの見出しは大げさだったと思います。でも、やっぱりこの年のジャパンカップを面白くするのはシャカール以外にいなかったのです。

 テイエムオペラオーの単勝が1・5倍で断然。2番人気メイショウドトウが8・9倍。シャカールはその2頭に続く9・5倍の3番人気に支持されました。本紙ではそれほど印はついていませんが、やっぱり期待されていたんですね。

「ダービーと同じ舞台」

「やらかしたあの舞台」

「何をやってくれるのか」

「ささるのか」

「膨れるのか」

 いやいや、そこじゃない(笑い)。いや、そこもあるけど、そこだけじゃありませんでした。ファンはとんでもない癖があるのに2冠をゲットしたシャカールのポテンシャルに賭けたのです。

「めちゃくちゃ強い可能性もある」

「王者を脅かせるかもしれない」

「あれさえ出さなければ…」

「あれさえ出なければ」

「あれさえ…」

「あれさえ…」

 悪癖は…。

 出ませんでした。

 出すまでいきませんでした。

 最後方待機から、3コーナーを前に一気に中団に上がっていったシャカールに大歓声が上がったのですが、この日のシャカールは菊花賞の疲れが残っていたのかマイナス14キロで、道中の手ごたえもイマイチ。4コーナーを回っても伸びる気配もなく、ささるまでも、膨らむまでもなく14着に大敗したのです。

「シャ…」

「シャカール…」

 癖の強い二冠馬は休養に入りました。こんな期待を背に。

「古馬になれば…」

「大人になれば直るかも…」

大人シャカール

 4歳になったシャカールは、4月の大阪杯(GⅡ)で始動します。復帰に向けて、陣営は癖の矯正をしつつ、しっかりと体を仕上げました。神戸新聞杯のときが8分の仕上げだったそうで、だからこそ癖が強く出たかもしれない。だから、それ以上のデキを目指したのですが…。

 最終追い切りではやっぱりヨレてしまいました。そんな中、レースはなかなかの好メンバー。

 オペラオーが1・3倍の1番人気。シャカールは、ジャパンカップでのガッカリと、癖を矯正できていない情報、さらに鞍上が武豊ジョッキーではなくなった(この年はフランスに長期遠征中)こともあり、4番人気にとどまっていたんですが、この年全国リーディングを取る蛯名正義騎手を背にしたシャカールはなかなかの手ごたえでレースを進めます。最後の直線、断然人気の王者をアドマイヤボスという馬が外からの徹底マークで競り落とそうとするすぐ後ろから、勢いよく伸びてきました。

「きた!」

「やっぱり強いんだ!」

 アドマイヤボスをかわし、先頭に躍り出たシャカール。でも…。

「シャ…」

「シャカール?」

 はい、ささってしまいました写真を見ても分かるように、内へ内へいくのを蛯名騎手が修正しています。で、ビッシリ追うことができないその間に、外から飛んできたトーホウドリームという馬に差されてしまったのです。

「勝てたのに…」

「あの癖で2着…」

「やっぱり直ってないんだ」

 とはいえ、あくまで休み明け。体調を100%にした続く天皇賞・春では4番人気に支持されます。

 ただ、この日は雨で馬場が悪く、シャカールにいつもの反応がありません。ジャパンカップのように何もできないまま終わってしまいました。そして、3番人気に支持された次走の宝塚記念では、良馬場で、手ごたえ良く上がっていったものの、直線でゴチャついてしまい、伸びあぐねます。上位人気になる中での8→5着、癖を出すにも至らない敗戦で、やや影が薄くなったシャカールは、立て直しを図り、秋に備えました。でも、どこか歯車が狂っていたのでしょう。輸送熱を出したり、テンションが上がり過ぎたりで、結局、秋は全休となってしまいます。復帰は翌年3月末の大阪杯。追い切り速報の記事を見て、私は非常に驚きました。

 妙に落ち着きがあるというのです。調教でもまっすぐ走っていたというのです。で、レースでも真っすぐ走って2着に入ったのです!

「ついに…」

「ついに…」

「悪癖解消!?」

 続く金鯱賞。今度は59キロを背負ってしっかり2着に入りました。久々の連続好走です。こうなると期待は高まります。目指すは宝塚記念。運も向いてきたのか、本命候補のジャングルポケットとサンライズペガサスが回避し、メンバーも一気に薄くなりました。

 体調は万全、調教でもモタれず、鞍上には世界的名手ケント・デザーモ。ここまで揃えば2番人気になるのも当然でしょう。ファンの目線も非常に温かいものだったと記憶しています。菊花賞後、何度も裏切られ、「困ったやつだな」「いい加減にしろよ」と思っていた人に生まれた許しの心理

「やっとここまできたんだ」

「久々に勝利を」

「そろそろ勝たせてあげても…」

 陣営は気合十分でした。これは前日の本紙に載った調教助手さんのコメントです。

「今回勝たなければ2冠を取った同世代、(宝塚記念のファン投票で)投票してくれたサポーターに申し訳ない」

「同世代」という言葉に注目してください。前年のシャカールの不振をはじめ、実は当時、この世代のクラシック組の弱さがメディアや関係者の間で話題になっていました。古馬になって本格化するはずなのに、競馬界の主役を担うはずなのに、王道路線で台頭してくる馬がおらず「最弱世代」なんて呼ばれていたのです。実際はアグネスデジタルがいたのですが、外国産馬のためクラシック組ではなく、なぜか別枠扱い。それはそれでデジタルの異質キャラぶりが際立って面白いものの、シャカール陣営は相当悔しかっはずです。世代への評価はクラシックをリードしてきた自分への評価にしか聞こえません。悪癖に負けず2冠をもぎとったのに、癖を矯正しつつ努力を重ねてきたのに…。

 一矢報いたい。

 もう一度GⅠをとって、「どうだ!」「シャカール世代だって強いんだぞ」というのを見せつけたい!

 そんな思いを感じ取ったデザーモ騎手、間違っても不利を受けるわけにはいかなかったのでしょう、絶好の3番手を進んでいたシャカールを、3コーナーを前に馬群の外に誘導します。さすがです。誰にも邪魔されぬよう、2番手へ。勢いをつけながら4コーナーを回ってきました。

「いけ!」

「シャカール!」

「そろそろ決めろ!」

 ファンが声を出しました。デザーモ騎手もGOサインのムチ連打。

「いけ!」

「シャカール!」

「シャ…」

「シャ…」

「シャカール?」

 ささっていました。

 豪快に内へ。

 修正しないといけません。

 追いづらい

 追いづらい

 追いづらくて…

 追いづらくて…・

 伸び切れませんでした。

シャカールはいつまでも

 最大のチャンスを逃したシャカールは秋も王道路線を進みましたが、結果を残すことはできず、この年で引退しました。ラストレースとなった有馬記念のファン投票は5位。私も含め、その魅力にとりつかれた競馬ファンがいかに多かったかよく分かる順位ですが、実は、シャカールは競走生活を終えた後、様々な論争にも巻き込まれていきます。

 まずは前出の「最弱世代論争」。必ずといっていいほど、シャカール世代(2000年クラシック世代)が上位に入ってきますし、その流れでシャカール自身が「史上最弱の2冠馬」なんて言われることもあります。そしてそこでも引き合いに出されるのがダービーの「7センチ」です。「7センチ差で3冠を逃した馬」だったらまだいいのですが、「あの7センチのおかげで弱い三冠馬が誕生せずに済んだ」なんて残念なノイズも出て、それに対する反論とともに論争となるのです。ただ、このnoteを読んでくださっている方なら分かってくれると思いますが、正解なんてありません。間違いないのはシャカールが好きで斜行していたわけではなく、関係者の方々が苦労に苦労を重ねたこと。他はすべてタラレバで、その結末だっていろいろです。それこそ癖が出たのに7センチ差で勝っていたとしたら、3冠馬への道を優先して海外に挑戦しなかったかもしれません。そうなったら神戸新聞杯で癖は強く出なかったかもしれない。何事もなく菊花賞に進んでいたら、武ジョッキーもあの魔術を思いつかなかったかもしれないのです。

 そんな中で確実に言えることがあります。それは、現役時代も引退後も、エアシャカールという馬はいつまで経っても注目される存在だということです。種牡馬入りした途端、不慮の事故でこの世を去ったことでほとんど血も残っていないのに、論争のたびに名前を思い出されるのは、私は悪いことではないと思います。フランスの女性画家の詩にはこんな一文がありますよね。

「死んだ女より、もっと哀れなのは、忘れられた女です」

(マリー・ロンランサン「鎮痛剤」)

 そう、直線でもよくささっていましたが、我々の心にもその走りは間違いなくささっていました。忘れられない癖馬、エアシャカール。死から約20年がたった令和の今、「ウマ娘」で再びあの「7センチ」が取り上げられるのですから、いかに記憶に残る馬だったか…。だから別にいいんです、そのスキル等を活かせる場面が少なく、サポートカードとして不人気だっていい。やたらとエキセントリックでもいい。むしろ、私としては、データ至上主義者として描かれている点が興味深くて仕方ありません。正直、最初は「なんで?」と思ったんです。データとはかけ離れた、ぶっ飛んだ馬だったのに、と。しかし、このnoteを書きながら、その生涯をなぞってみると、公式HPのプロフィールにある「何度計算しても、三冠獲得には7センチ足りないと出ており、自分の計算に対する自信と絶望を抱えながら、一縷の可能性を探し続ける」という部分、ゲーム内でシャカールが、もがき、怒り、悩み、苦しんでいる理由が何はともあれ勝ちたいからだという部分は、やっぱり史実と重なるような気がするのです。むしろ、「ウマ娘」のシャカールを知った後に史実を見返すと、斜めに走りながらも懸命に勝利を目指した姿が愛おしく思えます。

 一方で、ゲームのシャカールが追い求めるのは「ロジックによる絶対的な勝利」なのに対し、史実のシャカールが教えてくれたのがそれとは正反対のことだったのも面白いです。つまり、

「競馬はロジック通りにはいかない」

 シャカールには、期待して期待して、何度も裏切られました。消化しきれないこともたくさんありました。よくある物語なら、最後の年の宝塚で涙の勝利をもぎとり、世代批判へのうっぷんを晴らすはずなのに、最後の最後まで、私たちの思い通りにはいきませんでした。

 それぐらい難しい。

 サラブレッドは、

 競馬は本当に難しい。

「ウマ娘」のシャカールの口癖で言えばこうです。

「ロジカルじゃねえ」

 だからこそ、面白いんですけどね。

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